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第3話 狡猾の獣人㉔

キレネと別れて30分後、なるべく急いで僕はラクティヴに借りた寝室から波斗原への手紙を取り、ペナテロ宅に至った。

ドアをノックするとペナテロの妻が現れた。


「こんにちは。うちの者がお世話になってます」

「あらこんにちは。旦那は今仕事で出るのだけど、主人に用だったかしら?」

「あ、いえ。ノラに用があって来ました」

「それならよかった。今丁度部屋にいるわ」


部屋にいるということは、まだ寝ているのだろうか。そう思ったその時だった。

ノラが僕の目の前、ペナテロの妻の後ろに現れた。


「私に何か用?」


どうやら起きていたようだ。目つきは寝起きのそれとは違う意味合いで不機嫌そうだった。


「ああ。話したいことがある」

「…分かった」


僕たちは場所を変え、外で話すことにした。


「ノラ。ごめん」


僕は言葉を並べる前にまず頭を下げた。


「……」

「……」


ノラに何かを言われるまでは頭を上げないつもりだったので、僕は地面と自分の靴をしばらくじっと見つめることとなる。


「……」

「……」


この沈黙はノラが意図しているものなのだろうか。それとも対応に困っているがための結果なのだろうか。

いい加減頭を上げてノラの顔色を窺おうとしたその時だった。


「何のつもりなのよ。そうしてるとそのうち私のが怒りが静まるとでも思ったの?」

「いや!そういうつもりでやったんじゃない」


僕は慌てて頭を上げる。ノラは最後に見た場所から一歩も動いていなかった。


「僕はお前があの生徒たちのことをどう思っているか、ちゃんと理解していなかった」

「そりゃそうよ。あんたには心を読む力なんてないものね」


そう。僕は何でも知っていることを自称することしかできない、ただの人間だ。


「すまなかったと思ってる。お前の気持ちを考えなかったばかりか、僕は自分の考えた計画すら完遂できなかった」


策士としての本文すら果たせない。これではノラにいらないと言われても仕方ない。


「さっきのことをあんたは謝ってるんでしょうね。ついでだから私も謝らせてもらうわ」

「え?謝る…?今、謝るって言ったか?」


仮に本当にそう言ったのだとして、何のことについて謝るというのだろうか。


「私がむきになってたことは認める。たとえいくらあの子たちに同情したとはいえね」


同情。故郷を捨てたノラにとって、故郷に疑問を抱く彼らを放っておくことなど無理だったということか。


「あんたがしようとしたことは間違ってる。その考えがは変わらない。でも、私も少し、正しくないようなことをしようとしていたのかもしれないというのは認めるわ」


それを認めてもらえると非常に手打ちにしやすいのだが、平謝りするつもりで来た手前、こちらから手打ちを申し出るのはどうも気が引ける。


「えっと…それじゃあ…」

「ええ。もう終わり。今回のことは両方に落ち度があった。お互いに反省するということで」

「ああ、そうだな」


よかった。またノラが離れてしまうんじゃないかと不安になったが、どうやら丸く収まったようだ。


「それじゃあ、もうういい?」

「あ、ちょっと待ってくれ。波斗原への手紙の転送を頼みたいんだ」


言って僕は手紙を取り出す。


「分かったわ」


ノラの言葉の直後に手紙は僕の手から消えた。


「それと、荷物をまとめておいてくれ」

「分かった」


言葉に続いてノラの姿も消えた。

一人残った僕は踵を返し、ラクティヴ宅へ帰る。もうこの州でやることは終わった。そろそろ出ていく支度をしなければならない。


「とはいっても、荷物なんてないんだけどな」


やることと言えば泊めてくれたラクティヴに礼を言うくらいのものだ。

その後僕は徒歩でラクティヴの家まで戻り、タイミングよく家にいたラクティヴに挨拶をし、外に出ていた双子を待ち伏せて撤収の指示を出した。


「もうこの州終わりなのか?」「まだ全部歩いてねえんだけどな」

「全部って、この州の全域を徒歩で網羅するつもりだったのか?お前ら」


一体獣人帝国の州面積が何万キロ平方メートルあると思ってるんだ。


「とりあえず、ノラに城まで転送してもらうから、ペナテロさんの家まで行くぞ」


一応挨拶として最後に宮殿に顔を出すつもりだ。恐らく同盟の一員として今後どうするべきか、どのように連絡を取るかなど話があるだろう。

僕はポケットのガラス玉を取り出して撫でる。


「ノラ」

「何」


ノラの顔はすぐに表れた。


「こっちは引き上げる準備ができた。双子を城に送ってくれないか?」

「…それだけ?」

「え?ああ、えっと、僕は王様に挨拶したいから僕のことは宮殿に転送してほしい」


視界が歪んだ。ノラからの返事は僕の耳には届かなかったが、そんなことを気にしている場合ではなかった。


「なっ、なんだアーサーか。驚かせるな」


ひらひらと舞い落ちる数枚の紙。僕の後頭部辺りから響く声。そして、僕の喉には冷たい感触が5つ。


「いくら同盟の一員と言えど、急にこのような登場は止めてもらいたいものだな」


喉の冷たい感触が消えた。僕はようやく理解した。それは王様の爪で、彼は今半分ほど狼の姿になって僕の背後を取っていたということを。


「それで、何か用なのか」


ノラは恐らく自ら編み出したとかいうワーウルフにも感知されない魔法を使ったはず。ならば王様は僕の姿を目で捉えてから動いたということになる。

その動きで巻き起こった風によって机上の書類が散乱したのだろう。

椅子に座った状態から瞬時に僕の背後を取るだなんて、これって本気で奇襲をかけても失敗してたんじゃないか?


「何か用なのか?」


書類を拾いながら、答えなかった僕に王様は再び問いかけた。


「挨拶に来ました。そろそろこの州を出るつもりなので」

「そうか。まあ、お前たちの狙いである情報収集が終わった以上、長居も無用ということか」

「お世話になりました。色々と」

「何を言う。それはこっちのセリフだ。息子のことは感謝している」

「え?リードの?」


聞き間違いだろうか。王様が僕にリードのことで感謝するなど普通に考えてあり得ないのだが。


「お前が裏で手を回してくれたおかげであいつを反逆者として裁かずに済んだ。それどころか、あいつを成長させるためのきっかけを作れた」

「ははは。狙ってやったわけじゃないですよ。リードの選択の結果ですよ」


そんなことを考えているうちに王様は書類を拾い終え、揃えて机の上に置く。


「ところで、次はどこに行くつもりだ?残る州はアルフヘイムと死人街だったな?」

「ええ」

「最高位の州と最低位の州か。また両極端な州が残ったな」


これも狙ってやったわけではなかったが、しかし言われてみるとその通りだ。水魔城から順に、地理的に行きやすいところを選んだ結果だったのだが。


「次はアルフヘイムに向かうつもりです。死人街はあまり情報源として期待できませんから」

「何?そうか…」


何か思うところがあるのか、王様の表情が曇った。


「どうかしたんですか?」

「いや、どうということはないのだが、アルフヘイムは最後にした方がいいと思うぞ」

「それはどうしてでしょう」

「首都と同じくらい外部を締め出しているからだ」


もちろんそれは知っている。その問題はオスカーとパティがいるから大丈夫だと踏んでいたんだが。


「それと、同盟の仲間として死人街の視察も頼みたいのだ。先代は避けていたようだが、仲間にしてもいいのではないかというのが俺の考えでな」


つまり早速お使いを頼まれるというわけか。


「まあ、王様がそう言うなら、そうします」


逆らう意味はない。死人街には簡単に入れるだろうか、簡単な仕事からこなしていくと考えればいい。


「うむ。…それと俺のことを名で呼んでみてはどうだ?これから俺達は対等な仲間、否、友なのだから」

「名、つまりケイレヴ、さんということですか」


さすがに呼び捨てにするのは畏れ多い気がしたので僕はケイレヴさんと、そう呼ぶことにした。


「ああ。同盟の他の仲間は城主だったり女王だったりするが、皆名で呼び合っている。お前だけが俺達を肩書で呼ぶのは変だろう」


確かに、ニルプのことはニルプさん。ティターニアは、今はアニーという名前だが、少なくとも女王という呼び方はしていない。ケイレヴのことだけ王様と呼ぶのは確かに一貫性がない。


「ではわが友アーサーよ。死人街の偵察、どうか一つ頼まれてくれ」

「任せて下さい。使えると思えば僕の判断でこちらに引き入れていいんですよね」

「ああ。任せる」


任されたこの時点で死人街を同盟に引き入れることはほぼ確定だ。同盟を大きくすることは僕にとって得でしかないのだから。

友と言っておきながら、完全に使い走りのようにされている僕だが、この同盟は僕にとってかなり重要なものなので、甘んじて受けよう。


「いつ出発するつもりだ?」

「今すぐにでも出発しようと思ってます。もしおすすめのルートがあれば教えていただけますか?」

「おすすめのルート、か」


ケイレヴはしばらく口を閉ざし、やがて「無いな」という言葉と共に口を開いた。

ならば好きにさせてもらおうと僕は宮殿を後にした。


「というわけで次は予定を変更して死人街に行くことになった」

「そうなんだ。ここはスープがおいしかったけど、死人街は何がおいしいかな?」

「さあ、それは行ってのお楽しみだな。ところでこの村ではどんなものを食べたんだ?」


戻った城の中で僕は最初にキレネと遭遇した。


「えっとね、蒸した芋にバターと野菜のちょっと酸っぱいソースをかけたやつとか、

葉野菜と芋と卵の挟んだサンドイッチ。平べったくて長い、えーと、フィットチー…ヌ?」

「ネだな多分」


キレネと僕は気付けば雑談をしていた。別行動をしているときにあったことを聞いたのだが、食べ物の話ししか出てこない。


「ネ?フィットチーネ…。あ、多分それ。ひき肉とトマトのソースにチーズが乗ってた。あとさっきも言ったけどスープ。サイコロ上に切った野菜がいっぱい入ってて、お肉も入ってて、透明なのに物凄い旨味だったよ」

「そうか」

「あとパンケーキも…」

「ごめん。そろそろそのくらいで」


凄まじい記憶力だった。相槌を打ち続ければこれまで食べた全ての料理を挙げそうな勢いだった。


「ごめんごめん。アーサーが気になるのはそのことじゃなかったよね」

「僕が気になること?」

「ノラちゃんのこと、じゃない?」


ノラの名を聞いて僕の心は若干ざわつくが、しかし返す言葉は決まっている。


「いや、ノラとはしっかり和解した。お互いに反省するってことで」

「え?そう、なの?」


キレネは首を傾げ腑に落ちないと言った表情を作る。


「何か引っかかることでもあるのか?」

「えっと…さっきアーサーはノラちゃんに転送してもらって帰ってきたよね」


その時なんだけど、とキレネは言う。


「何かちょっと躊躇してから応答したように見えたんだよね。…本当に仲直りした?」

「……」


したと思っていた。しかしその後のノラの反応に違和感を覚えたのも事実だ。


「ああ。心配しなくて大丈夫。和解は確かにしたよ」


キレネには、こう言う他あるまい。彼女に余計な心配をさせてはいけない。もしノラの心のうちにしこりがあるのだとすれば、それを取り除くのは僕の役目なのだから。

そんな不穏なオチで今回のお話は幕を下ろす。そして僕たちは死人街を目指す。

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