第3話 狡猾の獣人㉓
熱が引き始めた左頬を押さえながら、僕は主の不在となった部屋を後にする。
「さすがに怒らせすぎたか…」
恐らく今回ノラがあんなに怒っていたのは、彼女を利用したということが自尊心を傷つけたのだろう。だから僕は自分の自尊心を踏みにじってでも彼女に詫びるべきだったんだ。
冷静な今ならすぐに分かる。しかし実際に言葉を交わしている時にそんなことを考える余裕はない。その場その場で最適だと思う言葉しか選べない。いや、そうでもないか。時には最適じゃないと分かっていながらも言ってしまう言葉もある。
「何か前にも同じようなことがあったな…」
確か波斗原を出る前あたりのことだ。あの時は何とかお互いに落としどころを見つけられたが、下手をすれば彼女と袂を分かつことになりかねなかった。
今回もそうなるのではないかという漠然とした不安がある。ただしあの時と違うのは、解決の糸口も落としどころも見つからないという点だ。
沈黙に浸されたことで冷静さを取り戻しつつある頭で僕は状況を整理する。
「多分怒らせたのはあの言葉だよな」
じゃあ、僕は何て言えばよかったんだ。という言葉だ。完全に開き直っている。より良い答えがあるなら教えて欲しいものですなあ、と言わんばかりだ。
ノラの自尊心を踏みにじったであろう直接の行動も分かる。黙ってノラを利用したことだ。それは今後一切そんなことをしないと約束するのが落としどころだろうが、しかしそれ以前に大きな問題がある。
「今あいつ、僕と口きいてくれそうにないんだよな…」
顔も合わせてくれないかもしれない。
そう思うとふと新たな不安が僕の脳内に浮上した。
「待てよ。ここって妖精の園だよな」
僕たちの城は妖精の園に預けているのでそういうことになる。
「どうやって帰ればいいんだ?」
ポケットにガラス玉は入っているが、今は何回こすっても無視される予感しかしない。つまり、帰るとすれば徒歩で帰る他ないということになる。
「何日、いや、何年掛かるんだ一体」
到着する頃にはノラの怒りも鎮められていることだろうが、そんなことを言ってる場合ではない。
「とりあえずオスカーとパティのところに行くか。あの2人は頻繁にここに帰ってるみたいだしな」
もしかしたらあの2人なら馬よりも速い移動手段を用意してくれるかもしれない。
無理だったらその時はその時だ。城の外に出てマザーにでも助けを求めるとしよう。
「オスカー、パティ、いるか?」
祈りながら僕は研究スペースの扉を開く。
「マスターではないか」
「あ、マスター」
2人ともいた。
「よかった。助かったよ」
「どうかしたのか?まさか、まさか…!」
オスカーは中々「まさか」の後を口にしなかったが、多分正解は出てこないだろう。ノラと喧嘩して帰れなくなったなんて、一体誰が予想するだろうか。
「実はノラと連絡が取ることができなくなって、帰れなくなったんだ」
「それは大変ですね。これ、使ってください」
パティは僕に駆け寄って手の平くらいの大きさの金属板を僕に渡した。
「これは?」
「通信装置です。それを使えばノラさんと交信が可能となります」
「そうか…」
しまった。解決してしまった。実際にこれを使ってノラに助けを求めることなど無理なのに。
「ところで、2人はいつもどうやって帰ってるんだ?これを使ってノラに飛ばしてもらってるのか?」
「はい」
まあそりゃそうだろう。それが一番速くて確実な移動方法なんだから、使わないのは愚かというものだ。
「ノラに転送してもらう以外の帰り方はないのか?」
「え?何故です?」
ノラと喧嘩して転送してもらえそうにないからです。とはさすがに言えない。
「もしかするとこの先ノラが魔法を使えない状況があるかもしれないだろ?その時にノラの力を借りずに帰る方法が無いのは良くないじゃないか」
「そう、でしょうか?」
「フッ。パティ。マスターのいう通りだ。そして…さすがはマスター。全てを見通す真実の目の持ち主にふさわしい考えだ」
結果、オスカーの助け舟のお陰もあって、僕はパティから人を乗せて走ることを想定して設計された馬型のオートマトン。ロードホースver3を借りることに成功し、
「安全な走行は保証しますが、カロル村までは2時間かかります。途中で絶対に退屈すると思うので何か暇つぶしになるものを持って行った方がいいと思います」
と説明を受けて送り出された。
2時間と考えると長い気もするが、城からカロル村までを2時間と考えるとなかなかのスピードで疾走するであろうことが予想される。景色を見ているだけでも退屈しないのではないだろうか。
今回のオートマトンは馬をかたどっているが、本物の馬ならばまたがるところに人間がすっぽりと入ることができる。まるで車のようだった。どうしてわざわざ馬の形を取ったのかと思ったが、聞きはしなかった。
道中事故もなく、僕は極めて安全に輸送され、パティの言っていた通り2時間後、カロル村の入り口で僕はオートマトンの体内から這い出し、無事帰還に成功したのだった。
「くっ…長時間同じ体勢は思ったよりもつらいな…」
少し動いただけなのに首や背骨や腰や色んなところから音が出た。
「さて、帰るか」
もちろん宿を貸してもらってるペナテロのところへ帰るのだが、口で言ってることとは裏腹に僕の足は中々前に進もうとしない。
不用意に歩き回るとノラと遭遇するかもしれないからだ。
今ノラに会ってもどうすればいいのか分からない、いや、会っていいのかさえも分からない。だからあまり不用意に歩き回りたくないのだが。
「いや、あいつなら魔法とかでうまく察知して避けてくれるか」
ノラがそこまで万能でないことは分かっていたが、口に出して言うことで自らを鼓舞する。気が進もうが進まなかろうが、戻らないといけないのだから。
なるべく周囲を警戒しながら進んだ。足音がそろりそろりと聞こえてきそうなほど慎重に、進んだ。
こんなに警戒している姿を見られたら、それはそれでよくないんじゃないだろうか。そう思った時だった。
「アーサー!」
3時の方向から僕の名が呼ばれた。
首をひねらずとも声で分かった。キレネだ。
「キレネか。どうしたんだ?」
僕は背筋を伸ばしてキレネに向き合う。
「さっきノラちゃんが帰って来た」
「そうか、何か言ってたか?」
キレネは答えず、僕のことをただじっと見る。
「…ああ、そうだな」
何かを言ったのは、言ってしまったのは僕の方だ。
「ノラに少しきついというか、失礼というか、悪いことを言ってしまった」
「喧嘩したの?」
「喧嘩、なのかな…」
喧嘩とは違う気がする。
当然僕とノラで主張が相容れないからこうなっているのだが、真正面から衝突しているという感じはしない。
「分からない。冷静に考えるとあいつを怒らせたのは僕で、だから僕が悪いんだけど」
しかし元はと言えばノラがクーデターに加担したことが問題の引き金となっているんだ。そのことをノラには自覚してほしいという思いが今回の反省とは別に、僕の中にはある。
「私がノラちゃんの様子がおかしいなんてアーサーに言ったのも、よくなかったよね」
「そんなことない。よく気が付いてくれたよ」
そもそも、それに関して僕がノラのことを言えた立場ではない。僕だってあれから手紙を読みこそすれ、返事を書くのは結局のところキレネに任せてしまっていたのだから。
「自分一人で何とかしようとするんじゃなかった。…いや、何とかできると思ったこと自体が問題だったんだろうな」
僕はノラに頭を下げて力を貸してもらっている身だったのに、そのノラの力を、あてにできないと言っているようなものだ。
「んー、それなんだけど」
「どうした?」
「私も最初そうノラちゃんの怒った理由はそれだと思ってた」
「ノラに相談せず、知らせずに作戦を実行したことか?」
キレネはこくりと頷く。
「でも話を聞いてるとどうもそうじゃないんだよね」
つまり、僕が犯した最大の過ちは僕が思っているのとは別のところにあるということだろうか。
「アーサーはノラちゃんに最後に何て言った?」
「最後?えっと…」
僕は記憶をさかのぼり、最後にノラに言った言葉、すなわちノラの逆鱗に触れたと思しき言葉を引き出す。
「確か、『じゃあ、僕は何て言えばよかったんだ』だったと思う。…少し、開き直ってしまった」
「そう、なんだね。…えっと、本当はアーサーが自分で気づくのが一番いいと思うんだけど…」
そう前置きをしてキレネは続ける。
「ノラちゃんが怒ってるのは自分のためじゃなくて、生徒たちのためなんだよ」
「生徒の?」
まさか、ノラは自分に内緒で計画を進められたことよりも、生徒たちを陥れようとしたことの方が気に入らなかったというのだろうか。
「うん。アーサーは今回ノラちゃんと一緒じゃなかったからあまり知らないかもしれないけど、ノラちゃんはあの子たちのことかなり大事に思ってたんだよ」
「それは、知らなかった」
ただ魔法の知識を求められて、おだてられてあんなことをしているだけだとしか僕は考えていなかった。
「だとしたら話が変わってくるな…ノラがあんなに怒った理由も、分かった気がする」
僕は生徒たちの未来を奪おうとしたんだ。それも一挙に。ノラがそんな行いを許容しないであろうことは、今となっては理解できる。
「僕は駄目だな。ノラの怒った理由が分かったのが今になってようやくだなんて」
「うん…でも、仕方ないと思うよ。今回はノラちゃんと離れてたんだし」
「その言い訳はきっとノラには通じないよ」
これまでずっと一緒にいたのだから、少し離れたくらいで分からなくなるなんてこと、許されないはずだ。
「まあ、これでノラちゃんの怒ってる理由も分ったし、生徒たちの方も捕まらずに丸く収まったし…」
キレネはそう言うが、何より僕の中でひっ掛かっているのはそれだ。
僕の立てた計画は失敗した。しかし結果としてノラのことを除けば全てうまくいってしまった。その認識を改めないことには、僕の謝罪は言葉だけのものになってしまう。
「ありがとうキレネ。相談に乗ってくれて」
「ああ、うん。いえいえ」
ここからは僕の問題だ。これ以上手伝ってもらうわけにはいかない。
「それじゃあ僕はこれで…」
「あ、待って」
すぐに行動を起こすべく立ち去ろうとした僕だったが、キレネに引き止められた。
「何だ?」
「波斗原から届いてる手紙、今回の分の返事そろそろ出そうと思ってたんだけど、アーサーも何か書く?もう忙しい時期は終わったんだよね?」
「ああ、実はもう書けてる。あとで…」
今その手紙はラクティヴの家にある。それを取りに行って
「すぐ持っていくよ」




