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第3話 狡猾の獣人⑬

「突然お顔が現れたので驚きました。アーサーさんは魔法をお使いに…」

「なりません。これはノラの魔法です。…ちなみに今の僕ってどう見えてます?」

「霧の中にアーサーさんの顔だけが映し出されています」


それっていきなりやられるとかなり度肝を抜かれるんじゃないかと思ったが、ニルプが浮かべる笑みはいつか見たものと変わらないものだった。


「何かお飲みになりますか?お顔だけでも飲み物は喉を通りますよね?」

「いえ、これ僕の顔が直接来てるわけじゃないんで」


飲み物を用意しようとしたのか立ち上がったニルプを、僕は言葉で引き留める。


「話したいことがあってこうしたんです。ニルプさんだけに聞いて欲しいことなんですけど、今他に誰もいませんよね」

「ええ。私は今一人ですよ?どんな話でしょう」


僕はニルプにベヒーモスのことを話した。

彼が無事でいること。レヴィアタンを守るために獣人帝国のカルロ村に自ら閉じ込められていること。


「…このことをレヴィアタンに伝えてあげれば、彼の心も少しは救われるでしょうし、魔王にとってもあなたがこの情報を掴んでいるということは想定外のはずです」

「確かにレヴィの心の傷を早く癒すことにはなるでしょうが、魔王様はわたくしがこの情報を掴んでいることを、想定外とは思っていないかと」

「それは、どうしてですか?」


僕の胸中で不安が鎌首をもたげる。ニルプがこの先どんな発言をするにしても、落ち着きすぎている。それがどうしようもない不安となって僕に押し寄せる。


「わたくしは既にそのこと、魔王様本人から聞き及んでいます。レヴィとアーサー様に話さなかったのはその必要がなかったからです」


耳を疑いたい発言だった。

しかし現実逃避なんてしても仕方ない。僕はニルプに詰め寄る。


「本当に知ってたんですか?僕にはまだしも、レヴィアタンに教えなかったというのは納得できません。あなたは彼を救いたいんでしたよね?」

「ええ。その通り。ですが言いましたよね?彼は『わたくしが』救いたいのです。ベヒーモスが生きていると知れば、わたくしの元から離れてベヒーモスの方へ行くでしょう。それではわたくしの本懐は遂げられないのです」


なるほど。魔王はベヒーモスとレヴィアタンを無力化したく、ニルプはレヴィアタンを手放したくない。その点で両者の利害は一致しているということか。


「…そう言えばそういう人でしたね。ニルプさんは」

「ええ。…まあ、人ではなくアプサラスなのですけどね」


言ってニルプはにこりとする。冗談のつもりで言ったんだろうか。このタイミングで冗談とは、センスを疑いたくなるが。


「お話は以上ですか?」

「…はい」


しばらく言葉が継げなかった僕はその言葉だけをようやく絞り出す。


「それではごきげんよう。ケイレヴによろしくと伝えておいてください」

「ケイレヴ…?」


流れに身を任せて、ガラス球の表面を3度撫でて通信を終了しようとした僕の指が止まる。ケイレヴとは一体誰のことを言ってるのだという疑問が脳裏をかすめ、同時に記憶内でケイレヴという名を検索する。

結果、該当はなかった。全く覚えのない名前だ。


「あら?今アーサーさんがいるのは獣人帝国ですよね?」


僕の表情から何かを察したのか、ニルプは小首をかしげて僕に尋ねる。


「はい」

「そちらで『王様』と呼ばれてる方の名前がケイレヴというのですが、まだ宮殿には向かわれていませんでしたか」


いいえ。宮殿には向かいました。

つまり僕にメモを託したあの王様の名がケイレヴということか。

ここで一つ、当然の疑問が浮上する。


「ニルプさん。まさか、獣人帝国と交流があるんですか?」

「……」


ニルプは数秒間、表情を一切変えないまま黙りこくった。

沈黙の中、外を吹く風が窓を揺らした音が、やけに大きく聞こえた。


「ええ。あります」


ついに開かれたニルプの口から出たのは肯定の言葉だった。


「実はわたくし達は、とある協力関係にあるのです。同盟と言いましょうか。この際ですのでアーサーさんもご一緒にどうですか?」

「え?いや、ご一緒にって言われても…」


突然の暴露に突然の勧誘。何に誘われてるかいまいち分かってないのに、そんなお茶会に誘うような気軽さで誘われても、困る。


「一体僕は何に誘われてるんでしょう…。詳しく聞かせてもらってもいいですか?」


しかし興味はあるので一応聞いておく。水魔城は魔王から孤立を命じられていたはず。にも拘らず外の存在である獣人帝国と協力関係とは。一体どういうことか。


「まず打ち明けますと、水魔城、獣人帝国、妖精の園。この3つの州は協力して首都の新政権を打倒しようとしています」

「新政権…というと、魔王のことですか?」

「はい。アーサーさんの違和感もごもっとも。すでに魔王は『新』政権と呼ぶにはその地位は盤石すぎますね」


ということはニルプ達は大戦の終結後から、つまり1000年前から、魔王の首を狙っている。


「ニルプさんがそんな計画を企ててたなんて、思いもしませんでしたよ」

「わたくしが、というよりも…どちらかというとケイレヴ、獣人帝国の王様が代々。というのが正確なところですね。わたくしの目的は王国の長になって民衆を支配することではありませんので」

「民衆から支持…というより、依存されたいんでしたっけ」

「はい。その通りです」


ニルプは嬉しそうに目を細める。そのためだけに魔王を敵に回すような同盟に加担するなんて。どうかしてると言うべきか、さすがというべきか。


「妖精の園の名前もさっき出てきましたよね。僕たちはあそこへ立ち寄りましたけど、ティターニアからそういった野心は感じられませんでしたよ」


妖精の園が今なお計画に参加している場合、その主導者はティターニアでなくマザーであるということを、僕は知っている。しかしその事実はニルプも知らないはずだ。なにせマザーはそのことを妖精たちにさえひた隠しにしていたのだから。


「そうですね。妖精の園はいざ戦力として使えば使い勝手がいい。という理由で仲間に引き入れました」


ニルプは僕の言葉を、違和感を抱いた様子もなく受け入れる。


「この戦いにおいてわたくし達水魔城と妖精の園は補助的な立ち回りです」

「なるほど。アルフヘイムとは繋がってないんですか?」

「ええ。ご存知かと思いますが、あそこは気位の高い方々ばかりで取り付く島もありませんでしたから」

「まあ、そうですよね」


残るは第5州の死人街だが、あそこはエレツ内で最弱小の州。首都から出る廃棄物を押し付けられているようなところだ。多分仲間には入れて貰えていないだろうな。

そう思っているとこちらが聞く前にニルプが説明を始めてくれた。


「死人街は申し出れば快く引き受けてくれるのでしょうが、かつての王様は難色を示していましたね。『あやつは利他的すぎる。他人のために簡単に死ぬ男だ。そんな男は信用ならん』と」


モノマネのつもりか、ニルプは声のトーンを3段ほど落として唸るように言った。しかしそのニルプの真似している「当時の王様」の声を知らない僕は、いい反応をできなかった。


「利他的、ですか。それも当時の王様が危惧するほどの」

「ええ。何の見返りもなく味方になるということは、何の見返りもなく裏切る可能性もありますから」

「ということは、この計画が成功して魔王が倒れた場合、ニルプさんには何かいいことがあるんですか?」


当然そうなる。

さらに言えば、妖精の園に関してもそうだが、妖精の園と獣人帝国の間で貿易がされていたことから察するに両者は友好的な関係で結ばれている。同盟に入って問題なしとされたのはその辺が理由だろう。


「はい。法王の座を奪い慈愛の象徴となれば、悩みを抱えた人間を相手にすることができるでしょう」

「それで人心を掌握して、依存させるってことですか」


なるほどと僕は納得する。

ニルプにとっては十分な見返りだ。少なくとも今の魔王になびいていては達成できない望み。それゆえに魔王側に寝返ることはないということか。


「申し訳ありません。少しおしゃべりしすぎましたね。本題に戻りましょうか」

「本題…ああ、僕があなた達の仲間に加わるかどうかでしたっけ」


忘れかけていた。考えてみれば、ニルプの口がここまで軽くなったのも僕をあちら側へ引き入れるためだったに違いない。


「そうですね。じゃあ、仲間になります」

「即答、ですか」


ニルプは意外だったのか、目を丸くする。話し込んでしまった分、考えるだけの時間はあった。


「ニルプさんのように、仲間ではありつつも積極的に戦力を提供したりはしない立場でもいいんですよね?」

「…わたくしの口から駄目だ。とは申し上げられませんね」


ニルプは苦笑交じりに言ったが、それで終わりではなかった。ニルプは続ける。


「ただ、アーサーさんの強みと言えばノラさんの魔法や、クラーケンを即座に戦闘不能にまでしたあの剣士の御兄弟。そしてオスカーさんとパティさんが繰り出す兵器。全て『戦力』としか言いようのないもののように思えるのですが」


僕の知識を強みとされていないのは心外だったが、ベヒーモスが実は生きていることを見抜けなかったのだから仕方ない。


「そうですね。その通りです。じゃあ魔王に大規模な戦闘を仕掛けるときは僕たちも手を貸すということで、仲間になります」

「ありがとうございます。とはいうものの、この同盟は獣人帝国が主宰のものですので、わたくしの一存で勝手に味方に引き入れていいものかどうか。ケイレヴに直接確認を取って貰ってもよろしいですか?」

「わかりました。そうします」


どうせ2週間後にまた呼ばれるんだし。その時でいいだろう。

一応その時までもう一度よく考えておこう。この計画に参加することが本当に僕にとって得かどうか。


「それにしても…僕が味方になるって返事をする前からかなり計画について話してましたね。僕が仲間にならないと言った時どうするつもりだったんですか?」


年齢が文字通り桁違いの存在に説教臭いことは言いたくないが、あまりに口が軽い気がしてたしなめたくなる。


「ベヒーモスのことを知られた以上、もう何も隠しておく必要はありませんからね。変に疑われるよりはいっそ情報面で協力し、急接近してしまった方がいいかと」


味方は近くに、敵はもっと近くに。というやつか。どうやら考えなしの発言ではなかったようだ。


「真実を知ることはアーサーさんにとって嬉しいことだったでしょう?」

「まあ、それは確かに…」

「だからアーサーさん。これからはわたくしのこと、情報源として存分に頼ってくださっていいのですよ。今日からわたくしは、聞かれたことに対して正直に、真実を話すとお約束しますから」


ニルプは右手で胸を押さえながら言った。今の今まで僕を欺き続けていたのによく言う。

とはいえ、ニルプの目的と僕を欺いてきた理由ははっきりしている。信じてもいいかもしれない。


「分かりました。それじゃあこれからは頼らせてもらいます」

「それはどうもありがとうございます」

「それではお時間を取らせてすみませんでした。僕の聞きたいことは以上です」


思ったよりも話してしまった。いつの間にか窓からは斜陽が差し込んでいる。


「そうですか。それじゃあわたくしもそろそろ、レヴィの部屋に行ってきます」


ガラス球の表面を撫でようとして僕は、ニルプに言わなければいけないことがあったことを思い出す。

通信が繋がった時にまず言わなければいけなかったのにすっかり忘れていたことを恥じながら、別れの挨拶と共に述べる。


「ニルプさん。この間お土産にいただいた干物、おいしかったです。ありがとうございました」

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