第3話 狡猾の獣人⑪
「さ、続きを…と言いたいところだったけど、もう休み時間が終わるわね」
ノラは見上げ、黒板の上に掛けられている時計を見る。
「ということで今日の授業は終わりよ。今日の夜中もまた実戦練習をするから、来られる人は来なさい」
生徒たちは口々に返事をし、起立してぞろぞろと教室から出て行った。
最後の1人が出て行ったのを見届けて僕は口を開く。
「実戦練習って何だ?」
ノラはすぐには答えず、手近な椅子に腰を下ろし、重ねた両腕を机の上にのせて突っ伏して、それからやっと口を開いた。
ノラと入れ違いに立ち上がったオスカーとパティは黒板の掃除を始める。
「実際に魔法を使うのは夜中にやらせてるのよ。他のことを気にしないで集中した方がうまくいきやすいから、邪魔の入りにくい夜中にね」
つまりノラは夜中にも起きているということか。
「それでお前が寝不足に見えたんだな」
「見えたというか、その通り寝不足よ。まったく、あの子たちはどうしてあんなに元気なのかしらね。寝なくても生きていけるのかしら」
「ああ。それはだな。一部の動物は脳を半分ずつ寝かしたり、内臓だけ寝たりすることができるんだ。それと同じ能力がガンダルヴァにはある」
「…なるほど。道理でみんな夜中に集まるわけね」
それでも普通に寝た方が睡眠の質もいいため、あまりやる人はいないみたいだが。
現にラクティヴも夜は僕たちと同じように眠っていた。
「まあ何でもいいわ。私はあの子たちと違って授業を受ける必要がないから今寝ればいいわけだし」
そう言って目を閉じて僅か数秒。ノラは寝息を立て始めた。
「オスカー。パティ。お前たちは寝なくて大丈夫なのか?」
「無論だ。脳内システムの蓄積ダメージは現在20パーセント。再起動の必要はない」
黒板の掃除をしているオスカーとパティに向かっての問いかけに、オスカーは黒板消しをわざわざ左手に持ち替え、右手で顔の反面を覆ういつものポーズを決める。
それを目にするのは実に1週間ぶりだった。
「一応言っておくけど、ノラに付き合う必要なんてないんだぞ」
「心得ていま…いる。ノラさんの魔法の講義は我らの『道具箱』の拡張に有意義な発想を与えてくれるかもしれないから拝聴しているに過ぎない。真夜中の実戦演習には参加していない」
賢明な判断だ。
ちなみにこの時キレネはというと、まだ眠ったままだった。教室から生徒が出て行ったりして一時室内が騒がしくなったというのに。
「そうだ。マスター。耳に入れておきたいことが」
黒板消しを置いてオスカーが僕の方へ歩み寄ってきた。
「この学校にベヒーモスがいた」
オスカーの口調は落ち着いていた。それゆえに聞き取りやすいことこの上なかったんだが、しかしそのせいで反応が遅れた。
「…え?ベヒーモス?」
「いかにも」
「かつて守護神とか言われてたあの魔物のことだよな?」
「その通りだ」
「驚愕の事実、だよな?」
オスカーは黙ったまま、神妙に一度頷いて見せた。
「待て。でも、ベヒーモスは死んだって……。人違いじゃないのか?」
オスカーには失礼なことこの上ないが、しかしオスカーを疑わずにはいられない。
僕の知識にも、歴史にも、そして水魔城の城主ニルプの話にも、ベヒーモスは死んだものとして語られていた。
それら全てを疑うよりはオスカーの証言を疑った方が
「俺も初めはそう思った。単に同じ名を持つ別人だとな。…そう。あの時までは」
「あの時がいつのことなのか、なるべく簡潔に教えてくれるか?」
「もちろんだ。…あれは、セミラに連れられて皆でここへ来た時のこと…」
オスカーは簡潔に話してくれたが、それをさらに簡潔にまとめると、この学校はただ1人の教師によって授業がなされている学校で、その教師の名がベヒーモス。
そして、オスカーは彼と対峙した時に感じたのだという。レヴィアタンと同じような存在感のようなものを。
「存在感か」
「まるで質量以上の存在がそこにいるかのような感覚。同じものをレヴィアタンの時にも感じた」
「うーん…。レヴィアタンと直接戦ったお前たちにそう言われると、確かに信ぴょう性は増すな」
何にせよその教師に会いに行くべきではある。
「じゃあちょっと会いに行ってくる」
「あ、いや。待ってくれ」
教室を後にしようとした僕をオスカーは引き止める。
「何だ?」
「今彼は授業の最中。接触ならば終業後、標的が孤立した時に仕掛けるべきかと」
「なるほど。確かにそうだな…」
もっともな指摘に僕は足を止めて引き返す。
2人に聞いたところ、授業はきっかり1時間だという。しっかり睡眠をとっている僕たちに昼寝は不要。そこで僕は王様から与えられた情報を2人と共有することにした。
「今日王様に会って情報を貰えたんだが、それによると、僕の探している本には同系列のアイテムがある可能性が浮上した」
言いながら僕はポケットから王様に貰ったメモを取り出し、2人に見せる。
「同系列…。つまり他にも知識を授ける道具があると?それも6つも」
「それは分からない。けど、多分違うと思う。そのうちの1つに籠手があるんだけど、それは『民を守る』ということと『魔を祓う』ということしか書いていなかった」
僕に言わせてみればあの本は、望んでもいない知識を人に押し付ける魔そのもの。籠手についての記述とは印象が正反対だ。
「私は、かの妖精の地で得た『時を司る』という情報について考察していたのだが…」
話が途切れたのを見計らってキレネが口を開いた。
「マスターの探している本とその籠手の共通点は、エネルギーの操作ではないかと考えられる」
王様から得られた情報が正しいことを前提にして、と前置きしてからパティはさらに続ける。
「まず本に関していうと、情報の操作。情報はエネルギーということはマスターもご存じかと」
僕は頷いて応える。そういう解釈がなされているということは知っているし、個人的にそれは理にかなった理論でもある。
「そして、過去という情報を全て把握すれば、未来を掌握することは可能。つまり、時を司ることが可能になる」
「それは、司ってることになるのか?単に未来を把握しているだけじゃないか」
パティは言葉を発そうとしたが、それを息と共に呑み、瞑目すること2秒。再び目を見開いたかと思うと彼女の口から大量の言葉が流れ出した。
「これはあくまで私の支持している仮説に過ぎないんですが、この世界に時間というものは存在しないんです。世界の始まりから淡々と変化の結果が繋がっているだけで、仮に過去に戻ったとしても選択肢なんてものは存在せず、全て世界が始まって以来の連鎖反応によって決められているという…」
「お、おい。パティ…」
オスカーがいるというのにパティは普段の口調になっている。それが気になってつい遮ってしまった。
オスカーの表情を伺いみると、意外にも落ち着いている。何事もなかったかのように、とはこのことと言わんばかりだった。
「案ずるなマスター。今我が妹の体を使っているのは彼女の第2人格、名を『ホワイトクローク』。様子がおかしいのはそのせいだ」
訳知り顔でオスカーは言うが、もしかしてオスカーは妹の中二病がフリであると気づいているのではないだろうか。
こうも都合よく設定を飲み込んでくれるものなのだろうか。
「…そうか。えっと…パティの言う通り本は情報操作のアイテムだったとして、籠手はどんなエネルギーなんだ?」
「はい。籠手に関する魔を祓うという記述。この『魔』というのが魔法のことなら、この州の魔法に対する態度からも、魔力に干渉、あるいは無効化する力のある道具ではないかと考えられます」
「なるほど…」
筋の通った仮説だとは思う。もっとも、与えられている情報が少なすぎるだけに、てんで的外れなただの空想という可能性もあるが。
「ん…あれ?アーサー?」
どうやらキレネが起きたようだ。伸びをしながら椅子から立ち上がり、よたよたとこちらに歩み寄り、何をするかと思えば僕の隣の席に座ってまた目を閉じた。
体を僕に向けて両手を膝の上にのせ、ゆらゆらしている。
「お前もノラの実戦練習に付き合ってるのか?」
「……実戦練習?」
キレネの揺れが止まり、その両目が僕を捉えた。
「…何それ?」
付き合っていないようだ。
「キレネには偽装工作で役立って貰っている」
「偽装工作?」
オスカーは頷き説明を始める。
「万能の魔術師ノラと、セミラは必ず家を抜け出す。俺達には2部屋、4つのベッドが与えられた。つまり、偽装工作としてセミラ自身の部屋も含めて3人が寝ていないといけないというわけだ」
「客人の寝室は流石に覗かないだろうけど、それでも誰もいないと不自然だもんな」
それで寝る役が3人分必要というわけか。
「あ、マスター。そろそろ」
パティが時計を見上げて僕に告げた。そろそろ1時間だ。
「それじゃあ行ってくる」
「どこ行くの?」
「ベヒーモスっていうやつのところだよ」
「そっか。…そう言えばアーサーに話しておきたいことがあったんだけど、それなら後でいいか」
キレネからの話は気になるが、ベヒーモスとの接触を優先した僕は教室を出て廊下を歩き始めた。木造の廊下は踏み出すたびにきしんで音が上がる。
ざわめきが聞こえる方を目指した。教室の場所は分からないが、教師が1人なら行われている授業も1つ。生徒のいるところがベヒーモスのいるところだ。
角を曲がると生徒がわらわらと出てくる教室が目に入った。
生徒たちは空き教室には戻らず、校舎から出ていくところだった。どうやら学校自体がもう終わりなようだ。
「なおさら好都合だな」
生徒が出てこなくなるまで待ってから教室に踏み込む。
中にいたのは黒板を消す大柄な男だった。よく日焼けした浅黒い肌は毛のない頭部まで続き、光を反射していた。
声を掛けようと思っていたが、教室に踏み入った時に床が上げた音で気づかれてしまい、先手を取られた。
「君は…おれの生徒じゃないな?」
振り返ったその姿に、オスカーの言葉を思い出す。
存在感。渦のように纏っていたレヴィアタンに対して、彼のは地面から湧き上がるようだった。
「あなたはベヒーモスですね?…かつてこの国を守るために戦った。伝説の魔物」
僕は手順を省略し、本題に入ることにした。




