第3話 狡猾の獣人④
「さあ、着いたよ」
荷車を引いていた2頭の馬が歩みを止め、右の方の馬が僕たちを振り返ってそう言った。もちろんこの馬は実際の馬ではなく、荷車を引くために姿を変えた妖精。ディーバと呼ばれる羽をもたない妖精だ。
「ここが、境界なのか?」
僕たちはたった今森を抜け、開けた視界の中央には一本の川が流れている。橋はどこにも架けられていないが、まさかこれで境界なのだろうか。
「うん。妖精の領域はフェアリーカーペットの上だからね。丁度この川が切れ目になってるんだよ」
見ると確かに川岸のぎりぎりのところまでフェアリーカーペットが生い茂っていた。
「州と州の境界だからもう少し厳重かと思ってたんだけど、そんなことはないんだな。そんなことどころか何もないじゃないか」
「境界に壁を立てているのは首都とアルフヘイムくらいのものだよ」
もちろんそれは知っていた。僕の知識には首都とアルフヘイムの壁の位置がちゃんと地図的に示されている。
妖精の園や獣人帝国にそういった知識がなかったのは僕の知識が感知できないレベルだからだと思っていたが、どうやらそもそも壁がなかったらしい。
となると、この2州同様、壁があるという情報のない第5州、死人街にも壁はないと考えるべきだろうか。
「向こうの人はまだ来てないみたいだね。暫く日陰で待ってようか」
馬の姿の妖精たちはゆっくりと方向転換し、後方の森へ引き返し、木陰に入ると変身を解いて元の妖精の姿、若葉色の髪に紅葉色の目をした少年の姿に戻った。
僕たちは荷車から下りて川の対岸を見据える。見据えてふと気づく。
「橋が架かってないけど、どうやって荷物を運ぶんだ?」
木の実はまだしも、蜂蜜に水が混ざるのはまずいだろう。
「ああ、それはね。半分ずつ橋を持ってるんだ。僕たちは」
さっきまで右で馬車を引いてた方のディーバが言い、左の方のディーバが荷車の中から一枚の木の板をすっと取り出す。
「それを橋に変形させるのか?」
「それは逆でしょ」
ディーバからではなくノラから声が飛んできた。
「元々橋だったものをその板の形に変形させてるんでしょ?」
「うん。そうそう。正解だよ」
右のディーバは言いながら頷き、左のディーバは無言で頷く。
「この魔法の粉をかけると元の姿に戻って、もう一度かけるとまた小さくなるんだ」
「橋なんて使わなくても」「車ごと飛べばいいじゃねえか」
双子は不思議そうに首を傾げる。と同時にディーバたちも揃ってこの2人は何を言ってるんだという顔をする。
「そんなことできるのはお前たちくらいだ。それに、橋があるのに常に架けておかないということは、何かそうしないといけない理由があるんじゃないか?」
「うん。勝手に物のやり取りをしたら駄目って言われてて、許可された時しか橋は架けられないんだ」
自分の推理が的中したことに満足していると対岸から近づいてくる人影が見えた。
「あ、来たんじゃないか?」
「そうだね。じゃあ行くよー」
右側のディーバは板をもって駆け出し、左側のディーバが今度は馬の姿になって荷車を引き、その後を追う。
一足先に川岸に着いたディーバは板を地面に置き。その表面をなぞる。指が離れた瞬間に板は光だし、膨らみながら徐々に半分で切れた橋が姿を現した。
橋が出現するとディーバは引き返し、馬の姿になって荷車を引いているディーバを手伝って橋を渡り始めた。
向こう岸では橋の残りの部分が車輪のついた板の上にのせて運ばれてきていた。板に括りつけられたロープを引いているのは半人半獣の魔物、ガンダルヴァ達。体格のいい者達ばかりで、1人は象、残りは全て牛だった。
彼らは掛け声をしながら先に架かった半分にぴったり合うまで板の上の橋を前進させ、川岸まで来ると動きが変わった。これまで橋に先行して引いていたのが180度反転し、橋についた勢いを打ち消す向きにロープを引き始めた。
「こっちは魔法なのに向こうは力仕事。えらい違いね」
ゆっくりとこちらに近づいてくる橋の残り半分を眺めながらノラが呟いた。
橋がつくと右のディーバが一ついなないた。それが合図だったのか、向こう岸でロープを引いていた者たちは手を放し、車輪と地面の間に車輪止めを設置する。設置が終わると向こう側から、いいぞー!と声が上がる。
ディーバたちは歩き出し、その後を僕たちも追う。
橋を渡り切った先では6人のガンダルヴァが待ち受けていた。彼らはまず最初に僕たちを見た。
「そこにいるのは…人間か?」
6人のガンダルヴァのリーダーらしきガンダルヴァ、灰色の肌をし、下唇までほどの長さの鼻と2本の牙を持った象のガンダルヴァがいぶかし気に問いかけてきた。
「はい。僕たちは人間…と、エルフも2名ほどいますが、人間です。ちょっと事情があって彼らと同行させてもらいました。詳しいことはここに」
言って僕はフェアリーゴッドマザーから渡された書状のうち、ここで見せるように言われた方の書状を目の前のガンダルヴァに渡す。
受け取ったガンダルヴァは書状にぐいっと顔を近づけ、一字一句見落とすまいとばかりに鋭い目つきで書状を読み始めた。その後ろでは他のガンダルヴァ達が木箱を担いだまま、所在なさげに時折僕たちの方をちらっと見たりした。
やがて読み終わったのか、象のガンダルヴァが顔を上げた。
「色々曖昧な言い回しがされてていまいちよく分からねえが、わしがすべきことは分かった。…おいお前ら!そういうわけでわしはこの方々を王様のとこへ連れて行く!仕事はお前らでやっててくれ!」
リーダーからの指示の直後、ガンダルヴァの面々からの口からは「おっす!」という野太い声が出る。了解の合図のようなものだろうか。
「問題は起こらねえと思うが、何かあればラクティヴ。副リーダーのお前の判断で対処しろ」
「おす」
ラクティヴと呼ばれた牛のガンダルヴァは短くそう答え、仕事にとりかかった。
「それじゃあ付いて来てくれ」
「はい。…2人とも、ここまで送ってくれてありがとう」
「いいのいいの。また遊びに来てね」
「お元気で」
2人のディーバは馬の姿のまま手の代わりに尻尾を振って僕たちを見送ってくれた。
前を歩く象のガンダルヴァの背中は巨大だった。しかしそれ以上に目の前に広がる景色は広大だった。つい先ほどまでいた妖精の園は背の高い木が密集した森だったが、ここは一転して、背の低い草ばかりの草原。僕は地平線というものを生まれて初めて見た。
こうも広い場所で生まれ育てば体もここまで大きくなるのだろうか。それとも象のガンダルヴァというものはどこで生まれてもここまで大きくなるのだろうか。僕の知識ではその問いに対する答えは見いだせない。
「そうだ。名乗り忘れてたな。わしの名前はペナテロだ。対妖精の園貿易の運搬係責任者をやってる」
「僕はアーサー・マクダナム。ここの王に用があって来た…旅人です」
自らの身分をなんと称するのが適切か分からなかったが、とりあえず無難に旅人としておくことにした。
「私は万能の魔術師。ノラ・カタリストよ」
「シニステルだ」「デキステルだ」
「混沌の無限、オスカー・テンペスト」
「永劫の虚無、パティ・テンペスト」
「え、えっと…何でも食べます。…キレネです」
僕が無難な身分を選んだというのに3名ほど空気を読まなかったものがいた。
「…そうか。よろしくな」
ペナテロは初めて聞くであろう謎の肩書にどう反応するべきか迷ったように見えたが、幸運なことにと言うべきか、彼も僕同様、無難な返事をした。
奇抜な自己紹介をしたことを咎める意味で僕は振り返ると、それどころではないものが目に入った。
「おい…。オスカー、パティ。もう妖精の園を出たんだからそれは脱いでいいんじゃないか?」
ヘルメットのバイザーは下ろしていなかったが、それでも身に着けている服は真っ黒な防護服、レジスタンス。十分怪しいと言える服装だった。
「それはどうだろうか。今はこの州の王様とやらの元へ向かうのが先決ではないだろうか」
オスカーは何食わぬ顔で僕にそう指摘する。
「いや、その格好で王様と会うのはさすがに失礼だと思うんだ」
「兄者。マスターの言う通りだ。会うのが王様ともなれば脱帽は必須」
「なっ。確かに…!マスター。この俺の察しの悪さを許してくれ」
「うん。いや、まあ、そうなんだけど、脱帽したついでに服の方もいつもの服に戻してもいいんじゃないかと思うんだ。ほら。正装ってことだよ」
「そうするべきなのだろうが、しかし今俺達は着替えを持っていない」
オスカーからの指摘を受けて僕は諦めそうになるが、すぐにノラが数秒前に言っていたことを思い出す。
「ノラ。お前の魔法で2人を着替えさせることはできるよな?」
「当たり前でしょ。待ってなさい…転送魔法、術式『鳳仙花』」
ノラの手から2人の体を包めるくらいの大きさの魔力の球体が放出され、瞬時にオスカーとパティの服装がいつもの黒ずくめと白衣に変わる。
「今のは転送魔法に服を着せる魔法を組み込んだ術式よ。今までなら服を転送してから着せてたのを、転送することで着せることができるようになったのよ」
そしてノラは頼んでもいないのに説明を始める。
「な…なんてこった」
歩いていた僕は突如目の前に立ちはだかった壁に激突しそうになる。その壁とはペナテロのことだ。彼は目を見開いてノラを凝視していた。
「お前魔法使いなのか…?」
「魔法使いよりも魔術師って呼ばれる方が気に入ってるけど、その通りよ」
「そうか。魔法を使えるって言ってるやつは今までに何人か見たことあるけど、実際に魔法を見るのは初めてだ」
驚きに見開かれていたペナテロの目は、気のせいか少し輝いて見えた。
「そう。ところで、さっきから私たちの進んでる方向には草原しか広がっていないように見えるんだけど、この方向であってるの?」
「ああもちろんだ。わしは目がよくないから見えないが、あっちの方に宮殿があるんだ。王様はそこにいる」
ペナテロが指さす方に目を凝らすが、僕には何も見えない。
「あれって宮殿なのか」「城だと思ってた」
「宮殿と城は用途の違いによる区別がなされているのみ。外観での判別は困難だろう」
どうやら双子には見えてるようだ。人間より五感の優れたエルフであるオスカーとパティも見えているだろう。
「どんな感じの宮殿なんだ?」
「目測だが、俺達の城よりは大きそうだ」
「屋根が丸い形をしています。…放電装置だろうか、あるいは避雷針か…?中央の建物とそれを囲む4本の棟の頂点は針のようになっている」
「そうか…大きいのか…」
大きいと聞いて頑張れば見えるんじゃないかと思ってさらに目を凝らすが、やはり見えない。
「諦めなさいアーサー。かなり視力を上げて私も今ようやく見えたわ。…それに、この距離を歩くのはさすがに嫌ね。…飛ぶわよ」
視界が歪んだ。慣れた感覚だったので僕は突如目の前に現れた宮殿を落ち着て見据えることができたが、ペナテロはそうではなかったようだ。
パニックを起こした彼をなだめるのにここから少しばかり、僕らは時間を費やすこととなった。




