第2話 萌芽の妖精㉑
「ニクサ様。私の言ってること、ご理解いただけてますか?」
「!……ああ、もちろんだ。俺様の下ではもう働きたくないってことだよな。いいぜ。ならやめちまえ。お前の代わりなんていくらでもいるんだ」
「代わり…そうでしょうか?ここにいるウンディーネは全てここを出るとのことですよ」
「全て…?」
「ええ」
「1人残らず…?」
「ええ」
ニムエの2度目の首肯の後、彼女の背後で水面が持ち上がり始める。それは柱のような形から人の形へと変形し、徐々にその数を増していく。
言うまでもない、それはニムエと共に反旗を翻したウンディーネたちだった。
「ちょっと待てお前ら!俺様の何がそんなに不満なんだ!」
「何、とおっしゃいますと…」
ニムエはちらりと振り返り、彼女の後ろに控えるウンディーネたちに視線を送る。それが着火剤となり、方々から声が上がる。
「横を通るといつもお尻を撫でられます」
「この間その…酷く、下品な質問をされました」
「少し前に胸を触られました」
「なんだか視線が、ねちっこい気がするんです!」
「1日に1度は下ネタを言われてると思います」
押し寄せる膨大な苦情にニクサは再び言葉を失う。まさか自分の配下であるウンディーネたちがこんな風に裏切るとは思わなかったのだろう。
しかしなぜ今なのだろうか。丁度僕たちが来た時というのはタイミングが良すぎる気がするが。
ニムエはスッと片手をあげ、ウンディーネたちの言葉を止める。
「というわけです。納得いただけましたか?」
「いやいやいや。お前ら正気か?お前らマザーに何て言われて妖精になったんだ?俺様の部下として生きろって言われたよな?」
「そうでしょうか。あなたがウンディーネ、つまり私たちの王とは言われましたが、そのような命令を下された覚えはありません。なにより私たちの忠誠心はすべてティーターニア様に捧げていますので」
ニムエの背後から賛同の声が上がる。
「謀反を起こしたとしてチクってやってもいいんだぞ?」
ニクサが怒気をはらんだ声で威圧的に唸る。それと同時にウンディーネたちの声もぱたりと止んでしまったが、ニムエだけは恐れを感じさせない毅然とした態度で口を開く。
「謀反ではありません。これは革命です。えっと…コールド…アフェ、ア?です」
「コール…何だって?」
「フッ。コールドアフェア。すなわち絶対的支配からの相対的脱出。あるいは大番狂わせとでも言っておこうか」
聞き覚えのある声が洞窟内に響いた。今まで首だけだったのを、僕は体ごと振り返り、目を皿にしてその声の出どころを探す。
「やっぱり…オスカー。それにパティも」
顔を見たわけではなかった。彼らの頭部はヘルメットに覆われていたから。しかし頭部をそんなもので覆う者などあの2人しかいない。
「久しぶりだな。王よ。中々帰ってこないから何かあったのかと、俺たちは別ルートで潜入したのだ」
「別ルート?」
「海から潜りました。レジスタンスに接続できるエアボンベ、その名もサンセットを開発しまし…したのだ」
「海からってまさか…海底洞窟から登ってきたのか?」
2人は同時に頷く。無事でよかったが、途中で行き止まりになって空気切れになったらと思うと正直ぞっとしない行動だ。
「おい待て!聞いてねえぞ!何だそいつらは。俺様に黙って匿ってたのか?」
「ええ。ニクサ様が気づいていなかったようでしたので、逃がしてあげようと思いまして」
「逃がすだあ?」
「はい。声でしかお分かりにならないでしょうが、こちらの方は女性です。ニクサ様のことですからどうせ下種な対応をするだろうと思い、秘密裏に逃がしてあげたのです」
「え、いや。ちょっと待てお前たち」
今度は僕が口を挟む。背後からニクサに睨まれた気がしたが、無礼講ということで気にしないでおく。
「逃がしてもらったんなら、何で今ここにいるんだ?」
「フッ。それは呼ばれたからだ。俺たちが、地底からの声によって」
「ククッ。そう。これによって」
パティが差し出した掌の上には水色で半透明の饅頭のような物体だった。パティの手の動きに合わせて表面がプルプル波打っている。
「この国に踏み入り帰ってこない仲間を探していたとのことでしたので、協力しようと。こちらで何か手掛かりを掴んだ時、連絡するために渡しました」
「それで先ほど連絡を貰い、サラマンダーたちに脚を借りてここに駆け付けたということだ」
「サラマンダーたち?」
「ええ。私たちがここを出て王たちを探している折り、偶然遭遇したのだ。あの赤き紅蓮のトカゲたちに」
紅蓮はこの上なく赤なので赤きという形容詞は蛇足な気がするが、それどころではなかった。
「サラマンダーたちと会ったのか?」
「出会い。戦い。そして俺が勝利し、友となった」
「その時に彼らがこれを…」
パティは背中に背負っていたカバンからランタンを取り出した。中では真っ赤な炎が揺れている。そんなものをカバンに入れても大丈夫なのかと思ったが、サラマンダーがくれたというのだから魔法のアイテムなのだろう。
「ん?ちょっと待て。戦って勝利して、プレゼント?」
覚えのある流れだった。
というかそれは僕がこれまでに2度経験したキングとの戦いだった。
「2人とも。そのランタンをくれたサラマンダーってキング・ジンって言う名前じゃなかったか?」
「キングかどうかは分からないが、確かに奴はジンと名乗っていた」
「金髪に橙色の目をした、妙に元気がいいというか声が大きい妖精でし…だった」
パティの口から出た人物像と僕の印象の中のキング・ジンの人物像がぴったり一致する。
「ということは…」
「おい待て!なんかよく分からねえ方向に話が進んでるみてえだが、こっちの話はどうなってんだよ」
「それは先ほども申し上げた通り、私たちが全員お暇をいただくということで決まったはずです」
「それを俺様は納得してねえってんだよ!」
「ねえちょっと」
ここで今まで沈黙を貫いてきたノラが口を開いた。
「私はオスカーとパティに聞きたいことがあるの。あなた達とは関係ないことのようだから、もう帰ってもいいかしら?」
いいかしらと聞いておきながらしかしノラは答えを待たずに椅子から腰を上げ、立ち尽くすウンディーネたちの間を縫ってオスカーとパティ目指して歩き始める。
「ちょっと待てノラ。それはまだ駄目だ」
しかし僕はそれを引き留める。
「マザーに言われただろ。僕らはここでニクサと勝負をしないといけないんだ」
「そうだったわね。じゃあ帰らずにここで話してるから、あんたはあんたでやりたいことをすればいいわ」
言い捨ててノラは再び歩き始める。
「ああもう面倒臭え!勝負のことならもうどうでもいい!お前らの勝ちでいいからもう帰れ!」
「え?」
「俺様がそれどころじゃねえのは見れば分かんだろうが!」
確かにそうだった。ニクサにしてみればよそ者の僕らの相手なんてしてる場合じゃないだろう。
「戦利品がいるってんならニムエ。渡してやれ。確か水差しだっただろ?」
「あの、私はもうあなたの部下ではないのですが…」
「ああ?」
「ですがそうですね。あなたはあれがどこに保管されているか知らなかったのですね。いいでしょう。今回で最後ですよ」
「お前なあ…」
ニムエは勝ち誇った笑みを浮かべて足元の水と同化するように姿を消し、しばらくして戻ってきた。
「こちらを」
彼女の手に抱えられていたのは銀色の水差しだった。受け取ってみると満タンに水が入っているようでズシリと重かった。
「それでは御機嫌よう。本日は我々の問題に巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」
「あ、いえ。そんなことは…」
「さようなら。お元気で」
そう言ってニムエは深々と頭を下げ、そして頭を上げる。ほんの僅かな間だったが、ニムエはオスカーとパティに笑みを向けたように見えた。
「ほら。貰うものは貰ったんだし、さっさと行くわよアーサー」
「賊かお前は。…まあでもそうだな。邪魔しても悪いし」
僕は受け取った水差しを片手に、来た時よりも2人ほど人数を増やして洞窟の外へと向かう。
「ところで、2人はサラマンダーと、ジンと勝負して勝ったんだよな?一体どんな勝負だったんだ?」
「端的に言うと我慢比べだ」
「我慢比べ?」
「はい。灼熱の小部屋に閉じこもり、先に音を上げた方が負けという戯れを」
つまりはサウナで我慢比べということか。
「パティが事前にレジスタンスの耐温度変化性をアップグレードしたおかげで労することなく勝つことができた」
「技術の勝利」
兄妹はそろって力強く頷く。
「で、今もまだそのレジスタンスを着てるのは、やっぱり空気のせいなのか」
「ああ。この国の風は俺たちを歓迎していないようだ」
「しかしサウザンドアイに浄化フィルターを取り付けた。問題ない」
その分怪しさが増しているという事実は存在しているが。
「ねえ2人とも。ちょっと聞きたいんだけど」
ノラが僕の脇をすり抜けてオスカーとパティに近づく。
「あなた達、マザーに会った?」
「…マザー?それは何かのコードネームか?」
「そんな存在との遭遇は私たちは一切…」
「そう。分かったわ。ええ。分かった。分かったわ」
兄妹からの返答が自分の期待していたものだったのか、ノラは突如不敵な笑みを浮かべ「分かった」を連呼する。
「ねえアーサー。私が何を分かったか、気になる?」
「え?ああ。まあ」
「気になるのね?いいわ。仕方ないわね。説明してあげる」
ノラが嬉々として紡ぎだした「説明」という言葉に、僕はノラが急に生き生きしだした理由を見出す。
「まず、オスカーとパティがここに侵入したにも関わらずマザーが反応しなかった理由、それは魔法を使わなかったからよ」
「そうなのか?魔物だから気付かれなかった可能性はないのか?」
「うるさいわね。ちゃんと根拠はあるわよ。私がこの州に侵入した時、すぐに魔法を使えなくなりはしなかったでしょ?それに今だって、ほら」
ノラは右手を広げ、そこから自分の魔力をあふれ出させる。
「私がこうやって魔力を出してもマザーは邪魔しに来ないでしょ?」
「それはマザーにとって脅威じゃないからなんじゃないか?」
「じゃあ見てなさい」
ノラは手からあふれた魔力を操作し、小さな魔法陣を描く。
「火よ。原初の命よ。今我が目前にて顕現せよ」
ノラが唱えた直後、魔法陣から火の玉が一瞬現れ、すぐに消えた。
「魔法を使うのに詠唱とは、らしくないな」
「ええ。今のは原始的な魔法。魔術とさえ呼べないおまじないみたいのもの。で、こっちが私の専門とする魔術」
言ってノラは左手を持ち上げるが、何も起こらない。
「見ての通りマザーによって妨害されて機能しないわ。同じ魔法を使ったにもかかわらず」
「つまり、マザーは魔術に反応するってことか?」
「反応するというか、判別できないんでしょうね。魔術くらい不自然な使い方をされないと」
何となく分かったような分からないような感じだ。しかし一つだけ確かと思えることは、
「マザーの技は破れるんだな?」
「ええ。でもその前にマザーのところまで行かないといけないでしょ。ちょっと待ってて」
ノラは再び手から魔力をほとばしらせ、頭上に図形を描いていった。
しばらくすると、
「できたわ。完成よ」
ノラの頭上には直径10メートルはあろうかという巨大な円形の魔法陣があった。その輪郭や中の模様の線は時折煙のように揺らいでいる。
「この転送魔法では2人分しか運べないんだけど、アーサーは一緒に来たい?」
「ああ。行くよ。行かせてもらうとも」
あの目の前が歪む感覚は久しく味わっていなかった。久しぶりに転送されて、酔ったりしないだろうか。
僕は転送魔法が成功するか否かよりも先に、そんな心配をしたのだった。




