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第2話 萌芽の妖精⑳

「すまないスプリガン。駄目だったみたいだ」

「そうか…。残念だったな」

「協力してくれてありがとう。結果的には失敗したけど少しの間魔法を使えていた。多分手掛かりは掴んだだろう」


と言いつつも、ノラは何も言わないので本当のところはよく分からない。


「それで最後にお願いなんだけど、僕たちをこの場所に下ろしてくれないか?」


僕は地図を取り出して3つ目に立ち寄る予定だった印を指差す。


「ここは…ああ、ウンディーネ達のいる洞窟か。構わない。場所なら分かっている」


スプリガンは巨大なままの首を縦に振り、ゆっくりと移動を始める。僕とキレネはスプリガンの右手の上に、そしてノラと双子はスプリガンの左手に移っている。

スプリガンの歩行の振動が、かなり抑えられてはいるが、足を介して伝わってくる。5歩ほど歩いたところで下降が始まる。スプリガンは地面に膝をつき、手を胸の前に構えたまま、上半身を倒す。


「じゃあな。おまい達。もし妖精になることがあればいつでもワイは歓迎するぞ」

「ああ。その時はよろしく頼むよ」


もちろんそんな未来は実現しないだろうが。さよならの代わりに僕はそう言っておくことにした。

スプリガンは唇を吊り上げるように笑い、腕を前に突き出す。スプリガンの顔がぐんぐん遠のき、代わりに地面が近づいてくる。

手が止まって目の前にあったのはスプリガンの言っていた通り洞窟だった。


「みんないるな?」


僕は振り返って全員の顔を確かめる。1名ほど沈んだ顔の者もいたが、それ以外は特に問題なく全員が揃っていた。


「よし。かなり時間が過ぎてしまった。急ぐぞ」


洞窟には本来もっと慎重に踏み入るべきなのだろうが、既に妖精の園に上陸して4日が経過した。もたもたしてはいられない。

洞窟の中の空気はひんやりしていた。まるで洞窟の外と中では世界が別と言わんばかりだった。

始めはただ岩だけの洞窟だったが、進むにつれて水溜りが姿を現し始め、入り口の光が小指の爪ほどになった頃、水かさは増し、もはや足を濡らさずに進むのは不可能になった。


「仕方ない。濡らしたくなければ靴は脱いでいった方がいいぞ」


僕はもちろん脱いだ。濡れた靴というのは不快以外の何物でもない。

靴を脱ぎ、ズボンの裾をたくし上げていると、ざぶざぶという水音が僕の耳に飛び込んできた。

顔を上げて見るとそれはノラだった。彼女は靴がどうとかいう以前にローブの裾を水に浸かるままにしていた。


「ノラ!ちょっと待て!」


僕は急いでノラに駆け寄り、彼女のローブの裾を持ち上げる。既にかなり水を吸っていたが、何もしないよりはいいだろうと考えて僕は軽く絞る。

ノラはそんな僕を一瞥しただけで気に留めず、歩みを再開する。


「ちょっと待てノラ。せめてローブは自分で持て」


水面に目を凝らすとノラは靴を履いたままだった。既に中に水は侵入しているだろう。それをどうしろとは言わないが、ローブはまだ救いようがあった。

だがノラは止まろうとせず、結果僕はベールボーイのようにノラのローブの裾を持ったまま歩くことになったのだった。


「あ、僕の靴…!」


突然のことだったので僕は自分が脱いだ靴をうっかり置いたままにしてしまっていた。

当然取りに戻らないといけないのだが、その場合ノラのローブを何とかしてからでないと離れられない。

知恵の使いどころだと意気込んだのもつかの間、背後で声が響く。


「大丈夫。持ってるよ」


振り返るとキレネが右手に僕の靴を、左手に彼女のサンダルを持ち、スカートの裾を膝の上あたりまでたくし上げて親指と靴の間に挟んで水の中を歩いていた。


「ありがとう。助かるよ。悪いけど着くまでの間持っててくれないか?」

「うん。いいよ。…いいんだけど、私たちって今どこに向かってるの?」

「実は僕もよく分かってないんだ。地図では間違いなくこの洞窟が示されてるから多分ここを進んだ先にニクサがいるんだと思う」


非常に要領を得ない説明だった。時間があれば双子を先遣隊として行かせたりなど色々気を回せただろうに。とりあえず進んでみるなんて、僕らしくもない愚直な手だった。


「ニクサってここの王様だっけ?」

「ああ。ウンディーネの長。どんな勝負を仕掛けてくるのやら」

「そんなことより、ここの水あったかくない?」

「あったかい?…まあ、言われてみれば」


進めば進むほど温度を落とす空気に対して、足元の水は進めば進むほど深さと共に温度も増してる気がした。

あるいは水の温度はずっと一緒で、下がる気温のせいでそう感じているだけなのかもしれないが。


「水は比熱が高いからな。温まりにくく冷めにくい、だから丁度いい温度で保たれてるのかもしれない」

「ひねつ?秘密みたいなもの?」

「いや、広く知られてる概念だ。少なくとも秘密ではない」


僕はキレネに一通り比熱の説明をしたが、僕の説明がよかったのかキレネの頭がよかったのか、キレネはすんなりと比熱というものを理解した。


「この考え方は実は気候にも…」

「あ、アーサーあれ」


僕が知識をひけらかしきらないうちに、キレネは前方を指差して立ち止まる。ノラも立ち止まっていたようで、もう少しでノラに激突しそうなところで踏みとどまった。

前方、ノラの向こう側に視線をやる。そこにいたのは水色の肌をして耳が魚のヒレのようになっている女、ウンディーネだった。


「ようこそ。あなた達が『お客様』ですね?」

「あ、はい。そのはずです」

「こちらへどうぞ。ニクサ様がお待ちです」


ウンディーネは僕たちに視線を送るも誰とも目を合わせることなく話し終わり、くるりと背を向け、僕たちを導くように移動を開始した。

気付いたのは、彼女の移動に伴う水のさざめきが一切ないということだ。まるで彼女が水そのものであるかのように。


「まあ、水の精だからあながち間違いではないか…」


目の前にいるノラにしか聞こえない程度の声で独り言ち、僕はウンディーネの後を歩くノラの後を歩く。

歩いていると徐々に明るさが増してきた。もしや反対側も外に繋がってるのかと思ったが、実際はそうではなく、所々で壁が発光していた。


「この光は魔法ですか?」


僕は前を歩くウンディーネに問いかけてみる。

問われたウンディーネは振り返って僕を一瞥し、また前に向き直って話し始める。


「いえ。魔法ではありません。この洞窟にはこのように光る生物が生息しているのです」

「光る生物ですか、それは…」

「あんまり期待しない方がいいっつうんだよ。虫だからな」


先頭のウンディーネよりもさらに前方から声が響く。聞き覚えのある声だった。


「やっと来たな。マザーのところから遠いにしてもちょっと時間かかりすぎじゃねえか?」


ニクサが大股でこちらに歩み寄ってくる。彼の足はかなり勢いをもって振り下ろされているというのにやはり水は一切波を立てない。


「待ちきれなかったもんでこっちから来てやったっつうんだよ」

「すみません。お待たせして」

「構わねえよ。さあこい。俺様と勝負すんだろ?」


ニクサはそう言うと身を翻し、颯爽と歩き始める。


「何だこれ!?」「壁が光ってるぞ!」


すると背後から反響した双子の声が響いてくる。


「おい2人とも、遅れずについて来いよ」


ニクサは光の正体を虫と言っていた、ならば双子が興味津々なのは洞窟内に生息するツチボタルという虫の仲間だろう。

幼虫は洞窟の天井にシャンデリアのような粘液付きの糸を張り巡らし、自ら青白く発光することで幻想的な光景を生み出す。多分それに近い種類の虫なのだろう。


「この虫たちは元からこの洞窟にいたものなんですか?」

「まあな。俺様の住処にした時にはもういた。こいつらのお陰でいつでもこの洞窟の中は明るいっつうんだよ」

「なるほど」

「こんなに綺麗に光る虫がいるんだね」


喜んでいるキレネのためにもこんなこと声に出して言えないが、ツチボタルはホタルの仲間ではない。正式名称はヒカリキノコバエ。ハエの仲間なのだ。

歩いているうちに水かさは増し、ついには膝のあたりまで水に浸かってしまう。

一体どこまで水かさは増すのだろうと気を揉んでいると不意に洞窟の行き止まりと、石造りの玉座のようなものが目に入る。


「まあ座ってくれ」


ニクサはまず玉座に座り、手の平を上にして何かを持ち上げるような仕草をする。

すると足元の水が持ち上がり、背もたれと肘置きのある、ニクサの玉座に酷似した形状に変形した。


「座っても大丈夫なんですか?」

「ああ。濡れねえように調整してやってる」


試しに座る部分を指で押してみるとゼリーのように変形し、指に一切水気はつかなかった。


「あんまり強く押すなよ。さすがに突き抜けるからな」

「分かりました」


僕は手を引いて椅子に身を預ける。

全員が座ったところでニクサは口を開く。


「さって、俺様と勝負するんだよな?…あ、いや、その前に。別に俺様に気なんて使う必要はないってんだよ。無礼講で行こうぜ」


最初は何のことを言っているのか分からなかったが、恐らく敬語のことを言ってるのだろうと気付き、分かった。と返事をする。

ニクサは満足げに頷き、再び口を開く。


「お前ら、あと何か所残ってるんだ?」

「残り1か所。キング・ジンを残すのみだ」

「なるほど、じゃあそんなに急ぐってわけでもねえんだな?」

「え、いや、まあ…」


急いでるか急いでいないかで言えばもちろん急いでいるのだが、何かニクサの口調には反論を許さない威厳のようなものが感じられ、僕は曖昧な返事しかできなかった。


「じゃあ明日の朝まではここにいるってことでいいな?」

「ああ、そうしてくれるとこちらとしても助かる」


多分例によってここを出る頃には日が落ちてるだろうから、朝まで置いてくれるのはありがたい。


「よし。じゃあ勝負はあれだ。そこの2人を一晩俺に貸せ。それで朝が来たら勝ちってことにしてやる」

「……は?」


僕は返すべき言葉を見失う。ニクサが言いながら指差した「2人」とはノラとキレネだったからだ。


「えっと、貸すって言うのは…?」

「男が女を一晩借りるって言ったらやることなんて一つだろうが」


キレネは首をかしげる。ニクサの言葉の意味と自分が指さされた意味が分かっていない様子だった。

対してノラは全て理解しているようで不快そうに顔をしかめる。


「ちっ…」


おまけに舌打ちまでしている。ニクサは気づいていないのか、特に反応を示さなかった。


「お前らにとっても悪い話じゃないだろ?」

「いや、駄目です」

「ねえ、だからどういうこと?」

「…ちっ」


ノラの機嫌はどんどん悪くなっていき、キレネはキレネで僕への質問の手を緩めようとしない。

双子が珍しく黙っているのはノラの様子のためだろう。会話の意味が分かってるわけではないはずだ。


「は?何が気に入らねえってんだよ」

「いや、何がって…そもそも…」

「お待ちください」


僕の脳が限界を超えかけたその時、何者かの声が響き、水を打ったように静まり返る。


「…何だニムエか」


声の主はニムエと呼ばれたウンディーネだった。その立ち居振る舞いから貴婦人を彷彿とさせる。


「ニクサ様。お話があって参りました」

「今客人と話してる途中だ。後にし…」

「その件についてもお話が」


ニクサは眉をひそめるが、やがて諦めたのかニムエに話すよう促す。


「客人であるご令嬢に欲情し、王という立場を振りかざして夜伽を迫るというのはいかがなものかと」


何が起きたのかは分からなかったが、少なくとも何かただならぬことが起こっているということを僕はその言葉尻から感じ取った。


「私たちはかねてよりニクサ様のそう言っただらしないところはいかがなものかと思って参りました」

「言うじゃねえかニムエ。でもお前何か勘違いしてねえか?お前らウンディーネは俺様の部下、助言や忠告は結構だが、説教する権利なんて無いはずだぜ?」

「その通りでございますね。ですので私たちウンディーネ一同、お暇をいただくことにしました」

「は?」


ニクサの開いた口はしばらく閉じられることはなく、そのまま時間だけが流れた。

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