第2話 萌芽の妖精⑲
翌朝、目覚めた僕はまずスプリガンに事情を話しに行った。
「…なるほど。それでワイの力が役立つということか」
「そうだ。ちなみに君はどれくらいまで大きくなれるんだ?」
「…ここだけの話だが」
スプリガンは声を潜め、僕に接近する。僕もそれに合わせてスプリガンの方へと顔を寄せる。
「実は限界がある。それも厳密に何メートルとかじゃなく、場所によって変わるんだ。まるで空に見えない蓋がされてて、それ以上行けないみたいに」
「それってつまり…」
「ああ。おまいらが考えてる『限界』は、マザーにもあるかもしれない」
僕は内心で小躍りする。そしてすぐにでも検証を行いたいところだったが、そのためにはまず、まだ寝ているであろうノラ達、最悪ノラだけでも十分だが、を起こしてこなければならない。
「あ、アーサーいた!」
ノラを起こしてこようと立ち上がりかけた僕の背に声が掛かる。声の主がキレネであることは振り向いて姿を確認する必要もなく分かった。
「おはようキレネ。さすがの腹時計だな」
「腹時計って…私がお腹が空いたっていう理由だけでここに来たと思ってるの?」
「違うのか」
「違う。朝起きたらノラちゃんの隣にアーサーがいるはずなのにいなかったから、びっくりして探しに来たんだよ」
キレネは首を振り、かなり意外なことを言う。
「ノラは起きてたか?」
「私が部屋から出るときはまだ起きてなかった」
「双子は?」
「一緒。寝てた」
キレネが起きてる今ならノラだけを起こすよりも双子も一緒に起こした方がよさそうだ。そうすれば実験の後、その足で次の目的地か、あるいはみんなで城に戻るということもできる。
「分かった。ちょっと待っててくれ。起こしてくるよ」
「ううん。私も行く。動かないとお腹空いてること思い出しちゃうから」
「お腹が空いてるなら先に食べててくれても…」
「みんなで食べた方が私はいいの」
結果、そう言ったキレネを伴い、スプリガンを置いて僕たちは寝室に戻る。
「ノラちゃーん。朝だよー。朝ごはんだよー」
「シニステル。デキステル。起きるんだ」
キレネがノラを、僕が双子を起こしにかかる。
まず起きたのはノラだった。
「キレネ…ありがとう。起こしてくれたのね」
相手がキレネだからか、それとも僕じゃなかったからかは分からないが、僕の時とはえらく対応が違う素直な目覚めだった。
「おいシニステル、デキステル。ノラが起きたぞ。お前たちも早く…」
「「もう起きた」」
恐ろしく目覚めがいいためか、双子は上半身を起こすとその勢いでベッドの上に両足で直立する。僕があれを真似しようものなら絶対に立ち眩みを起こしている。
「ノラ聞いてくれ」
「あんたの技が効くかどうかはあんた次第でしょ?」
「違う。技の話じゃない」
それ以前に僕はそんなものを持っていない。ノラはまだ寝ぼけているようだ。
しかしそれでも僕は言うべきことと判断して話を続ける。
「マザーの射程から逃げるあの作戦についてだ」
「逃げる…2月の話だったかしら」
「確かに1月は行く、2月は逃げるとは言うけどそんな年明けみたいな話はしてない」
「3月はなんだったかしら」
「去る。だ」
話の本筋では絶対になかったが、知っていることだったので答えておく。
「とにかく今から急いで丘の上まで行くぞ」
「はいはい。分かったわよ」
ノラはベッドから下りたつとドアまで歩いていき、寝室を出た。
スプリガンの待っている食堂まで行くとテーブルの上には食事が並んでいた。
「来たな。食事の準備はできてるぞ」
「アーサー。あんたもしかして朝ごはん食べてから行くつもりなの?」
「ああ。お腹空いてないか?」
「空いてはいるけど、優先順位を間違えてる気がするわ」
そうだろうかと僕は首をひねる。
確かに成功することが前提ならば真っ先に丘の方へ向かうべきだが、これはそんな望みのない作戦だ。確実に取れる食事を取るというのは間違った選択とは思わないが。
「そうは言っても用意してもらったんだから、先に食べるぞ。……。スプリガン。このお椀に入った白いのはヨーグルトか?」
「そうだ。ワイらは、朝に必ずヨーグルトを食べると決めている」
僕たちが座る椅子の前には一つずつ木でできた浅くて広いお椀が並べられ、そこには真っ白なヨーグルトが入っていた。
そしてテーブルの中央には一つの大皿。その上にはドライフルーツと煮干し、ナッツがあった。
「好きな具をヨーグルトに混ぜて食べるのが一般的だ」
席に着いた僕はまずスプリガンの言葉に従って、数粒のドライフルーツをヨーグルトに振りかけ、スプーンで一口掬って口に入れる。
その瞬間に僕の舌が感知したのは酸味一色だった。どうやらヨーグルトは何の味付けもされていないヨーグルトだったようだ。
僕はさらに2掴みのドライフルーツを加え、よくかき混ぜてからもう一度口に運ぶ。
今度は先ほどよりもドライフルーツの割合が高く、「フルーツ入りヨーグルト」というよりは「ドライフルーツのヨーグルト掛け」のようになったが、こちらの方が食べやすい。
「アーサー。小魚もあるわよ」
ノラはその小魚の1匹を指でつまみ、僕に見せる。
「ヨーグルトに合うんじゃない?」
「それは本気で言ってるのか?それとも冗談で言ってるのか?」
「本気の冗談を言ってるわ」
ならば無視するとしよう。
僕は再びスプーンを口に運ぶ。
「でも、ヨーグルトが元は牛乳なら本当に小魚も合うかもしれないわよ」
ノラはなおもそんなことを言う。言って指の間の小魚をヨーグルトに和えることなくそのまま口に放り込む。
ポリポリと小魚を噛み砕く音が聞こえる。
「牛乳と魚が合うのか?」
合うとは思えない僕は眉をひそめながらノラに問う。
「どっちもカルシウムが豊富でしょ?イライラするのを防ぐには最高の食べ合わせだと思うわ。あんたなら尚更」
「僕なら尚更とはどういう意味だ」
何となく察しはついたが一応聞いておく。
「身長が伸びればイライラが元から絶たれるでしょ」
「僕が普段イライラしてるのは身長のせいじゃない」
「普段イライラしてるのは認めるのね」
しまった。誘導尋問に乗せられてしまった。
いや、もちろん僕が普段からイライラしているという事実はないんだが。
「ねえ。2人のそれって無意識にやってるの?」
ノラに言い返そうとした僕だったが、しかしそれは先んじて出たキレネの言葉のために未然に終わる。
代わりに僕はキレネに言葉を返す。
「それってどれのことだ?さっき僕がノラとしてた口喧嘩のことか?」
「あれって喧嘩だったんだ」
「アーサーにとってはね。私にとってはほんの単純作業に過ぎないけど」
「相手が僕だとしても会話を作業とか言うのはやめろ」
その程度のモチベーションでやられていたと思われると色々悲しくなってくる。
「てっきり私は周りの人を笑わせようと思ってやってるんだと思ってたけど、そうじゃなかったんだね」
「周りの人を?いや、そんなつもりはないよ。全く」
僕はそれだけ言ってまたヨーグルトを口に運ぶ。ノラはまだヨーグルトには手を付けず、大皿に手を伸ばしてナッツを取り、一粒ずつ口に入れていく。少しだけリスのように見えた。
「なるほど。分かった。これからは喧嘩だと思っておくことにするね」
「そうしてくれると助かるよ」
何が助かるのかは分からなかったが、とりあえずそう言っておくことにした。
僕の言葉が最後になり、テーブル上には言葉が途絶え、食事の音だけがその場を支配した。
食事の終了と共に僕たちは出発する。
スプリングヒルまでは歩いていき、スプリングヒルが見えたところでスプリガンが巨大化し、その掌の上に僕たちを乗せて丘を登った。
登ったというか、巨大化したスプリガンにとってはそれは一歩で済んだことだった。
「さあ、今ワイが立っているのが丘の頂上。ここからさらに伸ばしていくぞ」
スプリガンは言って僕たちを乗せている方の手を頭上に掲げて巨大化を再開する。僕たちの視界は上昇し、眼下のものが小さくなっていく。
そして上昇が止まる。
「ここまでだ。ワイが伸ばせるのは」
スプリガンの声が下から響いてきた。僕は首を廻らせて周囲を見渡すが、特別なものは見えない。空が続き、所々に雲が見えるといった具合だ。
「分かった。ありがとうスプリガン。…ノラ。何か分かるか?」
「…まだここの空気というか魔力というかで覆われてる感じはするけど、何となくあの辺からちょっと違う気がする」
ノラの指差す先には何も見えなかったが、しかしノラがそういうなら何かがあるのだろう。
「シニステル。デキステル。ちょっと私を投げてくれる?」
「おう。いいぞ」「どの辺だ?」
「いやちょっと待て。それは危険すぎるだろ」
僕はたまらずに双子とノラの間に割って入る。
「危険じゃないわよ。真上に投げてもらうんだから、万が一失敗しても弟たちが受け止めてくれるわ」
「え?ああ…そうか…」
僕は自分の制止が考えなしの直感的なものだったことに気付き、急に恥ずかしくなる。
そんな僕の脇を通り抜けて双子は両隣からノラの背中に手を回し、もう片方の手を膝の裏辺りに持っていき、2人がかりでお姫様抱っこをするような格好になる。
次の瞬間、何の合図もなしに目の前から3人が消えた。双子のジャンプの反動のせいか、スプリガンの手が少し下がり、すぐにまた元に戻る。
最大の高度に達すると双子はノラをさらに上へと投げる。ノラはローブをはためかせながら上昇し、やがて静止する。
双子が投げた威力がそこで終わったのかと思ったが、そうでないことを僕の目の前に現れた魔法陣が告げた。
『アーサー。聞こえる?成功したわよ』
「よし!よくやった。ノラ。今すぐに僕たちを城へ…」
『え?嘘、何よこれ…駄目!一度切るわ!』
僕からの言葉を最後まで聞かず、ノラは一方的に魔法による会話を打ち切った。最後に聞いたノラの声に宿っていたのは動揺だった。僕のはるか頭上で何か想定外のことが起こったのだろうか。
「姉ちゃんは?」「成功したのか?」
「ああ…魔法は使えてるみたいだけど…」
スプリガンの手の平に戻ってきた双子が着地しながら僕にそう尋ねるが、僕のする返事は曖昧なものになる。
頭上で静止していたノラが突如激しく飛び回り始めた。まるで何かから逃げるように。
「ノラ…おーいノラ!もういい!下りて来い!これ以上は危険だ!」
ノラは今スプリガンの手の平の上から少しずれた場所を高速で飛んでいる。今またノラが魔法を使えなくなると危険だ。
しかし僕の叫びはノラには届かない。
どうすればいいかと考えている暇もなく、糸が切れたように突如ノラが落下を始めた。
僕が指示を出すよりも早く双子は再びスプリガンの手から跳び立つ。
「ノラちゃんが落ちた!スプリガン!受け止めて!」
キレネがスプリガンの手を自分の手の平で叩きながら叫ぶ。
「何!?……あれだな、任せろ」
結局僕は何もできなかった。それどころか何も言うことができないままにノラは救出された。
ノラと双子に怪我はなかったが、ノラはただ一言、
「また、負けた」
とだけ言い、以降硬く口を閉ざしてしまった。




