第2話 萌芽の妖精⑱
今、スプリガンは巨体だが屈んでおり、顔はすぐ近くにある。それほど大きな声を出さずともこちらの声は届きそうだ。
「なるほど。巨体を活かして月を遮ったのか。相手を妨害するのは直接じゃなければよかったんだったな」
「ああ。その通り。発想は面白かったが、浅はかだったな」
「そうかな?じゃあシニステル、デキステル」
僕の呼びかけに双子は反応して僕を見る。
「そこにある岩、持ち上げられるか?」
僕は目の前に並んでいる岩を指差して言う。
「ん?おお」「できるぞ」
言うが早いか双子はそれぞれ一つずつ、自分の体よりも大きな岩を担ぎ上げる。
「一体何を…」
スプリガンはいぶかし気に声を上げる。
「よし。じゃあ2人とも。その岩を好きな方へ投げるんだ。スプリガンに当たっても気にするな。不慮の事故だ」
「なっ!ふ、ふざけるな!」
スプリガンは即座にしぼみ、膨らむ前の大きさに戻る。体が大きいとそれだけ当たりやすくなるので賢明と言える。
「おい!相手を直接妨害するのは反則だと言ったはずだ!」
スプリガンは怒り心頭といった様子で僕に食って掛かる。
しかしそんな彼にも僕は冷静に、あるいは彼にとっては一層ふてぶてしく映るかもしれないが、対応する。
「ルールは守ってる。直接妨害しなければいいんだろ?彼らがやっているのは岩を投げるという行為であって、直接君に触れてるわけじゃない」
「投げた岩がぶつかればそれは十分な妨害行為だ」
「じゃあ君がやった、月と鏡の間に割って入るというのはどうなんだ?あれは十分妨害じゃないか」
もちろん彼のは暴力ではなく、こちらは暴力という点で一線を画すが、しかし彼が口にしたルールに暴力という文言は出てこなかった。つまり、直接触れるかどうかのみが重要ということになる。
いつでもそうだが、重要なのは言ったことではなく言わなかったことなのだ。
「何をふざけたことを。それとこれでは程度が違う」
「確かに。でもルールを決めるときにそれを明言しなかったんだから、ルール上直接触れないのであれば何でもありなんじゃないか」
「おまいには常識というものがないのか…?」
策を練るのにそんなものに縛られる必要はないし、なにより既に僕の頭の中には常識を超えたものが詰め込まれている。
「ないよ。そんなもの」
だから僕は胸を張ってそう答えた。
「そうか…ふっ。そこまで堂々とされればワイも為す術がないな」
スプリガンはおかしくて吹き出したように息を吐き、表情に諦めを浮かべる。
「分かった。負けたよ。おまいの勝ちだ。おまいらを仲間に引き入れようっていう企みは諦めることにする」
「よかった。じゃあもう一つの方。何でも言うことを聞くっていうのも頼むよ」
「ああ…そうだったな…」
僕の非常識ぶりを目の当たりにしたためか、スプリガンの表情に後悔の色が見える。何でも叶えると約束したことを悔いてるのだろうか。それとも願い事の数を指定しなかったことを悔いているのだろうか。
いずれにせよ僕がする要求は変わらない。
「じゃあまず、僕たちに今晩泊まる場所と、食べ物を用意してくれ」
「分かった。それくらいならすぐに用意できる」
「待って。それとお風呂。無いというなら、体を洗うことができれば何でもいいわ」
僕たちに背を向けかけたスプリガンを止めるようにノラが声を上げる。スプリガンは動きを止め、すぐに頷いた。
「分かった。いいだろう。ワイは人間だった時の名残で今でも風呂が好きだったりする。それを使わせてやる」
「本当!?…ありがとう」
ノラは一瞬笑顔を咲かせ、それを押し込めるように無表情を作り、礼を述べた。
「じゃあ案内する。付いてこい」
スプリガンは言って丘を下り始めた。
「アーサー、この岩どうするんだ?」「どっかに投げればいいのか?」
「あ、ごめん。忘れてた。…いや、それは投げなくていい。そのまま元あったところに戻しておいてくれ」
「うーい」「えーい」
双子は覇気のない返事をしながら頭上に持ち上げた岩を無造作に元の場所へ戻す。手が離された瞬間に岩は地面に着地、というか激突し、ズシンという岩の重量を物語る音が響く。
「行くぞキレネ。歩けるか?」
「やぶさかではないけど、運んでくれるならもっとやぶさかじゃない」
「運ぶって、この坂をか?」
多分無理だろう。途中で足を滑らしてすってんころりんというのがオチだ。
いや、実際はすってんころりんとかいう喜劇めいた擬音では済まないだろうが。
「それは無理だ。腕は貸してやるから自分で歩いてくれ」
「え~…それはやぶさかでなくない…」
「スプリガンは食事を用意してくれるって言ってるんだ。もう少しだけ我慢しろ」
「そうなんだ…それなら、やぶさかでなくないこともないような気がしないでもないよ」
キレネは自分の言葉を正確に理解して喋っているんだろうか。目に生気は戻ったようには見えるが、僕の腕にはしがみついたままだ。
「ほら。行こ行こ」
しがみついたまま、歩き始めるキレネは僕を引っ張るようにして前に出ようとする。
「分かった分かった」
僕が歩き始めたのと双子が僕の両脇を通り抜けたのは同時だった。
そのまま双子は軽い足取りで丘を下り、先を歩いているノラの両隣に立つ。そんな双子の姿を見て双子にキレネを運んでもらえばよかったとも思ったが、歩く元気を取り戻した様子のキレネはさほどお荷物でもなかったのでそのまま歩くことにした。
「さあ、着いたぞ」
歩いた時間はそう長くはなかった。丘を降りてすぐ広がっている森の中を3分ほど歩いたところに立っている巨大な樹、見たところカシの木、の前でスプリガンは足を止めた。
「この穴が入り口だ」
そしてカシの木の側面に口を開けるうろを指差す。
「入り口って…もしかしてこの木がそうなの?」
「そうだ。思っているより快適だぞ」
「思っているよりって、こんな木の中にお風呂があるっていうの?それ以前に全員入るの?…まさか、私を騙して…」
「いや、違う違う!騙したわけじゃない」
こちらからはノラの背後しか見えないが、彼女がスプリガンを鋭い視線で射抜いたことは彼の反応から容易く察することができた。
「とにかく一度入ってみてくれ。そうすれば分かる」
スプリガンは激しく首を振りながらそう言い、うろを指差す。
「そこまで必死に勧めるということは…罠でも仕掛けてるの?」
「いや、違う。なんでそうなるんだ。……分かった。じゃあワイが先に行くから付いてきてくれ」
言ってスプリガンは自らをうろに潜り込ませた。
「さあ、次はアーサーよ」
「罠が仕掛けられてるかもしれないっていう話だったよな。それで何で僕なんだ。双子を先に行かせた方が安全だろ」
「嫌よ。弟たちに何かあったらどうするのよ」
「僕には何かあってもいいのか?」
「あんたは何でも知ってるんだから罠にかかる前に見破れるでしょ」
どうやらノラは僕の知識を高く評価しているようだが、僕はあくまで知っているだけで何でもお見通しというわけではない。下手すれば何も見えていないくらいだ。巧妙に隠された罠を察知するだなんてことは不可能。
「いや、というかそれ以前にあのうろ、そんなに大人数が入れるほどの穴じゃないだろ」
「ええ。だから体の小さいあんたが適任なのよ」
「体の小ささを言えばお前は僕より小さいんだけどな」
「器の大きさも考慮に入れた結果よ」
そう言われては仕方ない。自分の器を自分で大きいと言えるほど、僕は器が小さくないのだから。
「分かった。じゃあ行ってくるよ」
「キレネ。アーサーからいい加減に離れなさい」
僕の腕からキレネを剥がすのにノラが手伝い、僕の腕は解放される。うろの前まで歩いていき、身を屈めてそれをくぐる。
顔を上げると、目の前にはスプリガンと、およそ物理法則を無視しているとしか思えないほど広大な空間が広がっていた。
「え…?何で」
「実際の空間よりも広くする魔法が掛かってる。マザーの魔法だ」
そこは植物の内部とは思えない空間だった。天井や壁は人工的に整形され、階段も目に付く。
しばらく僕は呆気に取られていたが、我に返って外にいるみんなを呼ぶ。
「みんな。入っても大丈夫そうだぞ」
「罠はなかったの?」
「食べられそうなものはあった?」
ノラとキレネが同時に質問をよこす。
「罠はなかった。中は思ったよりも広くて安全そうだ。食べ物は目につかなかったけど、多分すぐに用意してもらえるだろう」
外にいた4人は続々とうろをくぐり、この不思議な空間へと身を投じる。
「広いわね…これは、魔法?」
「ここって木の中だよな」「こんなにでかかったか?」
「お腹空いた」
みな思い思いの言葉を口にする。
「まず歓迎の言葉を述べるべきなんだろうが、それどころじゃなさそうなのもいるようだし、さっそく食事にしよう」
「食事より私はまず体を洗いたいわ」
階段を上りかけていたスプリガンは足を止めて申し訳なさそうに口を開く。
「風呂はまだ浴槽に湯が張れてないんだ」
「湯船があるの?」
「ああ。食事を先にしてくれれば食べ終わる頃に準備はできているはずだ」
「なら待つわ」
頷いてノラはスプリガンの上りかけていた階段へと歩を進める。
「ほらキレネ。食事まであともう少しだ。頑張れ」
「…お腹の川と背中の山がくっつく」
「そうか」
「背腸に腸は変えられぬ…」
「…そうか」
言ってることの意味は分からなかったがとりあえず相槌だけは打っておいた。
階段を上った先にはさらに広い空間が広がっており、そこは食堂らしく食べ物のにおいが充満し、トロールが闊歩していた。
「ここにいたのか。トロールたちは」
「まあそういうことだ。こっちに来てくれ。人間用の椅子とテーブルがある」
案内された先の椅子に座り、待っているとスプリガンは大皿を2つ持って現れた。
「ジャーキー、小魚、レーズン。フルーツもあるぞ」
そう言って出された皿に乗っていたフルーツはパラルダのところで食べたようなみずみずしいものではなく、ドライフルーツだった。
よく見てみればジャーキーは干し肉、小魚は煮干し、レーズンは干しブドウと何から何まで干からびていた。
「こっちはパンとゆで卵、茹でたてだぞ」
もう片方の皿は料理自体は干からびていないが、口の中の水分がかなり奪われそうだ。
「喉が渇くだろうから何か飲み物を持ってくるが、希望はあるか?」
「僕は水で」
「私も水でいいわ」
「じゃあ俺らも」「水で」
「……」
「キレネ?」
キレネはスプリガンの声は届いていないようで、ただ無言で皿の上の料理を凝視している。その様子からスプリガンは何かを察したようで、気にせず先に始めていてくれ。と言い残して踵を返した。その言葉の直後にキレネの手が動いたのは言うまでもない。
食事のあとは風呂で汗を流し、久しぶりの湯船で体を温めた。
風呂から上がった僕らは寝室に通されることとなるが、はじめは個室をあてがわれるはずだった。しかしそれだと何かあった時に不安だと考えた僕はスプリガンに、そこまでしてもらっては申し訳ない。とかなんとか言って5人で同じ部屋に入れてもらった。
「ねえアーサー。そう言えば…」
布団に潜り込んで仰向けになっていると隣にいるノラが声を掛けてきた。
「何だ?」
「ここに来たのって、私の魔法を復活させるためだったわよね?」
「あ…」
忘れてた。




