第2話 萌芽の妖精⑰
「もう一戦?何言ってるんだ。僕たちに勝てないことはもう十分わかっただろ?あの2人のさっきのあれは本気じゃないんだぞ」
スプリガンは数度頷いて口を開く。
「分かっている。戦略を変えたところで到底埋められないような戦力差であることもな。だから勝負の内容を変えるんだ。それに勝てたらおまいらに宿を提供しよう」
「それに僕が応じるとでも?さっきの勝負は君の思惑通りになったかもしれないが、実力差は示せたはずだ。こちらがお願いしてるうちに応じた方がいいと思うぞ」
僕は少々威圧的な言葉を選んでみるが、スプリガンの態度は変わらない。
「さっきおまいは小さくなったワイを見つけられなかった。今ここでもう一度小さくなって逃げてしまえば、おまいらはワイに手出しできなくなるんじゃないか?」
僕は答えに窮する。その通り過ぎて返す言葉もない。ノラが魔法を使えない今、縮んだスプリガンを探すには肉眼と手探りくらいしか手はない。その上今は夜。視界も悪いのでまず見つけられないだろう。
目の前にいるスプリガンは意外と策士なのだろうか。
「言っておくけど」
僕が返す言葉を考えている間にノラが声を上げる。
「私は野宿なんて嫌よ。この辺だと虫とかいそうだし」
「私は何か食べたい。お腹空いた」
「腹なら俺らも」「減ってるぞ」
キレネと双子も加勢し、なぜか僕が孤立する状況になる。
「分かったよ。じゃあ勝負しよう。…でも、そうだとすればこの勝負は君に何の利点もないんじゃないか?時間稼ぎをするという目的は果たされたんだから君も逃げればいいのに」
「確かにそうだな。だからこれは単にワイの個人的な戯れだ」
「戯れ、か」
妖精ならばそういうものなのだろうか。
「どうだ?嫌だというならワイは寝床に帰るだけだが」
「いいよ。受けて立つ」
今更言葉を翻すわけにはいくまい。
「よし。では、おまいらが勝てば寝床や食事など、色々好きにさせてやろう」
「へえ。いいのか?」
色々好きにしていいと言われれば、遠慮なんて何が起こってもしないというのに。
「ああ。その代わり、ワイが勝てばおまいらには仲間になってもらう」
「仲間?ここで暮らせということか?」
「そういうことだ」
それは困る。言うまでもなく僕には目的があるのだから。こんなところで止まるわけにはいかない。
「仲間になるって、もしかして私たち、さっきのあいつらみたいになるの!?」
キレネが怯えたように声を上げる。
「あいつらとは、トロールたちのことか?ならばそうではない。…いや、望むのであればそうすることも可能だが」
「ううん。それは絶対に嫌」
キレネは激しく首を振る。
「そうか…まあ、マザーに言えばある程度望みに近い妖精にしてもらえるだろう」
「マザー?フェアリーゴッドマザーは人間を妖精に変えることができるの?」
「ああ。この国が園になる前は人間がたまによく来て、妖精に変えてもらっていたものだ。かくいうワイもそんな人間の一人だった」
スプリガンの言った「この国が園になる前」というのはエレツ建国前ということだろう。そしてここは「妖精の園」なのにたまに「妖精の国」という言葉を聞くのは、エレツ第4州として首都の支配下に置かれる前は本当に「妖精の国」だったからだと考えられる。
「たまによく来る」というのが実際どれほどの頻度かは分からないが、首都に併合される前のことだろう。
「へえ。あなた人間だったのね」
ノラは言ってまじまじとスプリガンを見つめる。
「大昔の話だ。もうどれほど前のことだったかも思い出せない。ここでは時間の感覚が曖昧になる。妖精になれば尚更な」
そこまで言ってスプリガンは息を吸い、大きく吐いてからまた小さく吸い、言葉を継ぎなおす。
「さて、互いに賭けるものはこれでいいか?」
「えーと、決断するのは勝負の内容を聞いてからでもいいか?」
「いいだろう」
負けた場合この州に永久に閉じ込められるというのは、さすがにイタズラとはわけが違う。慎重にならねば。
「勝負は至って簡単。空を見ろ」
スプリガンは空を指差し、その場にいた全員が空を仰ぎ見る。
「今空に出ているあの月、あれに最も近づいた者が勝利だ」
「…えっと、つまり一番高い場所に立った奴が勝ちってことか?」
「そういうことだ。10秒以上体勢を維持できるくらいの安定性を条件として、最も月に近づいた者を勝ちとする」
「立つ場所は自由か?」
「ああ。体勢を維持できるならば岩の上でも木の上でもどこでもいい。まあ、ワイならまず丘の頂上に行くがな」
スプリガンは頷き、丘の頂上に目をやる。そこにはトロールたちが投げ切らなかった岩がまだいくつか残っていた。
「勝負の内容は理解した。一番月に近づいた者が勝者。ただし飛んだりするのは駄目ってことだな。誰かに持ち上げてもらうのはどうなんだ?」
「それはありだ。最も高い場所にいる人物が安定さえしていればな」
「相手の体に触れて妨害するのは?」
「なしだ。相手の体に直接触れることは反則とする」
理解したことを示すべく僕は数度頷いて見せる。
多分スプリガンはこの勝負に勝つつもりでいるんだろう。それはスプリガンという妖精の持っている能力から分かることだ。スプリガンは体の大きさを自在に操れる。
「それじゃあ最後に勝負が終わった後について確認だ。僕たちが勝てば君たちにあらゆる要望を聞いてもらえる」
「ああ、約束しよう」
「逆に君が勝った場合、僕は妖精になってここに残る。永遠に」
「ああ、その通り…いや、ちょっと待て」
僕の言葉におかしなところがあったようでスプリガンは待ったをかける。
「妖精になってここに残るのはおまい一人じゃない。おまいら全員だ」
「はは。ばれたか」
「自らの身を犠牲に仲間を救おうとは見上げた心がけだが、見逃すわけにはいかない。…それに、妖精になるのはそれほど悪いことじゃないと思うのだがな…」
何やらスプリガンは僕に対してかなり前向きな勘違いをしているようだが、先ほどの発言の真意は仲間をかばいたいとかそういうものではない。意識をそこに向けるための陽動だ。
僕たちが勝てば言うことを聞くのは「君たち」。対して僕たちが妖精にされてしまうのは「君」が勝った場合。つまり賭けにはスプリガンの仲間全てが賭けられているが、勝負においてスプリガンは仲間の助力を得られないということだ。
とはいえスプリガンは自分の能力に自信を持っているだろうから仲間に頼ろうなどとは考えすらしないかもしれないが。
「いや、悪かったよ。負けた場合は僕たちみんな妖精になる」
「よし。ではこれより勝負は開始だ」
スプリガンはパン。と一度でを叩く。
「みんな。移動するぞ。丘の上だ」
「みんなって、もしかして私もなの?」
ノラが不満に顔を染めてぼやく。キレネは不満を口には出さなかったが両手でお腹を押さえてフラフラしている。意図しているのかどうかは分からないが、空腹が現れていた。
丘の上を目指して歩き始めていたのは双子だけだった。
「ああ。勝負は僕たち全員が参加することになってるんだからな」
「別に参加は構わないけど、私はここにいちゃダメなの?」
「それは…駄目だ。一緒に来てくれないと困る」
「困る?」
「ああ…」
僕はノラに近付き、「勝つためにはお前が必要なんだ」とスプリガンには聞こえないように耳打ちする。
「私が今魔法を使えないのは分かってるわよね…。…まあいいわ。その代わりに絶対に勝てると保証しなさい」
「保証する。まあ、最悪双子の暴力に頼って脱出する」
「この州全体はフェアリーゴッドマザーの射程圏内だって…まあいいわ。その時はその時よね。あんたのことだから何とかするんでしょ?」
僕は頷く。こんな無責任な首肯も珍しいと思いながら。
歩き始めたノラの背中を追いつつ、キレネにも声を掛ける。
「キレネ。動けるか?」
「無理。お腹が空いて…動けない」
座り込んでいないのはそのためだろうか。
「でもほら。一緒に来てくれ。僕が手を貸すから」
「貸してくれるの…?じゃあちょっとかじっていい?」
「いいわけがあるか」
腕一本持っていかれそうな気がして背筋に冷たいものが走る。
僕は右腕にしがみつかせるようにしてキレネを支え、丘を登った。
「待たせたな」
「遅いわよ。…キレネは大丈夫なの?」
「お腹が減ってるだけだそうだから、大丈夫だ」
キレネは答えることもせずに僕の腕にすがったままだった。腕に込められる力からは十分な生命力というか執着心というかが感じられるので、大丈夫だろう。
「では始めるぞ」
スプリガンは宣言し天を、そしてそこに浮かぶ月を仰ぎ見、大きく息を吸い込む。
「うぅぅぅうぅぅうぅううぅぅ…うおおぉぉぉぉー!!」
息は唸り声となって放たれ、それはやがて咆哮へと変わる。
スプリガンの体は初めは徐々に、しかし次第に膨張速度を増しながら膨らんでいった。
「知識として知ってはいたけど、やっぱり目の前にしてみるとすごいな」
「アーサーあんた、これ知ってたの?」
「ああ。スプリガンは自分の体の大きさを操作できるんだ」
「知ってたなら言いなさいよ。…驚いたじゃない」
確かに言っておいた方が親切だったかもしれない。双子にとってはいらぬ心配なようだが、ノラにとってはそうではなかったようだ。
「で、どうするの?月に一番近いの、どう見てもあれだと思うんだけど」
「ああ、それはだな…」
「はっはっは!どうだ、参ったか!さすがに今のワイを超えることなんてできないだろ!」
僕の言葉を遮ったスプリガンはまさに天に届くほどの巨体になっていた。向こうの声はこちらに届いているが、こちらの声がむこうに届くかどうかは怪しいくらいだ。
「うわー。でっけーな」「アーサー。どうすんだよ」
双子はスプリガンを見上げ、指差しながら僕に問いかけてくる。
「シニステルとデキステルはまだ何もしなくていい。そこで待っててくれ…やることがあるのはノラだ」
「何よ。私がただで動くとでも思ってるの?」
「いや、動け。動いてくれ」
プライドを持つなとは言わないが少なくともそれを振りかざすのが今でないのは確かだ。
「お前、パラルダのところで貰った手鏡持ってるか?」
「見くびらないで。さすがに人からもらったものをそう簡単に捨てたりしなわよ」
「いや、別に見くびっての質問じゃないんだが…とにかく、それに月を映すんだ」
「月を…ねえアーサー。私、あんたの考えてることが何となく分かったわよ」
言ってノラは軽蔑したような視線を僕に注ぎながら、手鏡を取り出し、角度を調節して月を鏡に映し出す。
「これで月に一番近いとか言うんでしょ」
「さすがノラだ。よく分かってる」
僕の言葉を皮肉と受け取ったのか、ノラは眉をひそめる。
「おいスプリガン!見ろ!ここに月があるぞ!月に近いのは僕たちだ」
「何だと!?」
スプリガンは腰を曲げ、岩ほどの大きさになった顔をずいっとこちらに向ける。
「なるほど。鏡か。面白い。機転を利かせたな認めてやろう。…しかし」
スプリガンはさらに膝も曲げ、僕たちに覆いかぶさるように両腕を広げる。
「こうすれば月も映らない。さあ。これでどうだ?」
確かにスプリガンの言う通り、ノラの持つ手鏡に月は写っていなかった。
「どうするのよアーサー。昔話みたいな方法で勝とうとして、昔話みたいな負け方してるけど」
「安心しろ」
スプリガンは「機転を利かせたな」と認めてくれたみたいだが、実は僕にとっては認められたことの方が想定外だった。
「本命は別に考えてある」




