第2話 萌芽の妖精⑯
足音の主はすぐに分かった。
それは、不気味なうめき声を漏らしながら、巨岩のような体躯を少しずつこちら目掛けて前進させる存在。トロールだった。
「いや、そんな…嘘だろ…」
僕の口から驚愕が声になって漏れ出す。
こんなところにトロールがいるだなんて思っていなかったし、そもそもトロールの姿なんてどこにも見えていなかった。まるで声と共にどこかから湧いてきたように現れた。
「残念だったな。おまいらに恨みはないが、ワイらは邪魔役を仰せつかってる。役目にのっとり、おまいらの進路を妨害させてもらう」
どすの利いた声だった。しかし依然として声の主は姿を現さない。声の聞こえ方から察するにすぐ近くから話し掛けられているとは思うのだが。
「別に構わない。邪魔をしたければすればいい。でもその前に、姿を見せて顔を突き合わせて挨拶くらいしようじゃないか」
言い終わってから、こんな安い誘いに乗るわけがないだろ。と、自らをたしなめる。
「その必要はない。ワイの姿が気になってここから離れられないというのであればむしろ好都合だ」
「じゃあ聞くけど、ここで僕らがあっさり引き返したらどうする?」
「止めやしない。去る者は拒まず。だ」
正しくは「去る者は追わず」なのだが、今指摘すべきはそっちじゃないだろう。
「なら帰らせて欲しいんだけど、僕らの後ろにもいるトロールが道を塞いでるみたいなんだ」
「ああ。帰りたければ力づくで通ることだな」
退出を拒まれているとしか思えない仕打ちだが、言ったところで仕方ない。彼のお言葉に甘えるとしよう。
「だそうだシニステル、デキステル。ちょっと頼む」
「おう、いいぞ」「どいつからやる?」
「多少やりすぎても構わないけど、剣だけは使うなよ」
「何でだよ。もしかしてあいつらには効かないのか?」「ま、殴りだけでも普通に勝てるだろうけど」
双子はトロールに剣が効かないと考えたようだが、その通りだ。トロールは再生能力を持っており、剣や斧で切られてもその傷はすぐに癒えてしまい、たとえ腕を切り落とされても繋ぎなおせる。
もちろん、正中線に沿って真っ二つにしたり、首を切り落としたりすればさすがに再生できず、剣でも殺せる。しかしそうさせなかったのには理由がある。それは、高さを稼ぐにあたってこのトロールたちの巨体は役に立つからだ。
殺さずに圧倒的な勝ち方をすれば、言うことを聞いてくれるのではないかと僕はそう考えたのだ。
「とりあえず、丘に登らないといけないのは変わらないから、道を切り開いてくれ」
「切り開く?剣は使わねえんだろ?」「まったく、無茶言うなよな」
「比喩だよ。殴り開くとでも言えばいいのか?」
あるいは「蹴破る」か。
「正面の奴らから優先的に、僕たちに襲い掛かろうとするやつがいたらそいつもだ」
双子からの返事が僕の耳に届いたのと、正面で仁王立ちをしていたトロールの巨体が空中に舞ったのは、どちらが早かっただろうか。同時だったかもしれない。
トロールの体は真上に上がった。閃光のごとく走り出た双子が1体のトロールに対して同時にアッパーを見舞った結果だ。
双子はすぐに、地面に崩れ落ちるトロールの両隣のトロールに襲い掛かる。2秒ほどして新たに2体のトロールが倒れ伏した。
「何を突っ立っている!動け!おまい達!」
同胞が3名やられて尚、状況把握ができずに突っ立っているだけのトロールたちを、未だに姿を見せないトロールの長が一喝する。
我に返ったトロールたちが一斉に動き始めた時、既に倒れ伏すトロールは7体に増えていた。
動き出したトロールはまず双子を止めようと動き始めた者が多かったが、全てがそうではなかった。僕たちの真後ろに立ちはだかっていたトロールは手近な僕たちに襲い掛かろうと進行する。
「シニステル!デキステル!後ろだ!」
僕を始め、ノラとキレネもそのトロールから逃れるように小走りで逃げる。あまり速く走れないのは、前方で双子が戦闘をしているからだ。
「え?何だ?」「何かいるのか?」
僕の声に双子は動きを止めて己が後ろを確認する。
今のは僕の言い方が悪かった。
「そっちじゃない!『僕らの』後ろだ」
「「ああ、そっちか」」
重なったその声は前方から聞こえてきた、そして直後に背後でゴンッという鈍い音が響き、地響きがする。
前方で暴れまわる双子を押さえるべく動き出したトロールたちは、突如視界から消失した標的に呆気にとられている。
そうしているうちに最初にやられたトロールが再生を完了し、起き上がる。
「あれ?効いてなかったのか?」「結構強く殴ったのにな」
それを見て双子はそんなことを言うが、もちろん効いてないわけがない。顎に拳を叩きつけられ、結果砕けたあごの骨が今しがた再生したといったところだろう。トロールの骨を砕くなんて、大の大人がハンマーを使ってもそうそうできることではないというのに。
双子が起き上がったトロールを見据えたその時、突如僕たちを影が覆う。
見上げると、僕たちを下敷きにして余りあるだろうと思われる大岩が降ってきた。
「なっ!」
僕が挙げられた声はそれだけだった。本当ならもっと実のある言葉、例えば「頭上に注意しろ!」か「みんな逃げろ!」あるいは「誰か助けて!」だったりを口にするべきなのだろうが、しかしトロールがこんな手を使ってくるとは思っていなかった僕の口から出たのは言葉ともつかないような声だった。
「あぶねえ!」
より僕たちに近い側にいたデキステルが跳躍し、落下する岩に真っ向からぶつかる形で蹴りを入れる。
結果、デキステルは勢いを失いつつも余勢で少しだけ上昇し、彼の蹴りを受けた大岩は砕け散り、破片となって僕たちに降り注ぐ。その破片には僕の頭より少し大きいくらいのものも含まれていた。
「あ、ごめん」
「ごめんで済むか!」
僕たちに直撃すれば絶対に済まない。いや、済まさない。
「別にわざとじゃないだろ?」
シニステルは言いながらこちらに駆け寄り、剣を抜く。
「おいシニステル。何するつもりなんだ?」
「あの泥団子みたいなのを切らないなら使ってもいいだろ」
シニステルの言う「泥団子みたいなの」がトロールであることを理解するのに少し時間を要したが、僕からの返事も待たずにシニステルは剣を振るい始める。
剣の達人の中には技術の研鑽を繰り返し、飛んでくる矢や石礫の軌道を剣で逸らし、無傷で抜けられるというが、シニステルのやっていることはそれに近かった。
「おらおらおら!」
ただ、近いのは見た目だけで、彼が使ってるのは技術ではなく、動体視力と腕力。ただの力技で僕らに向かって振ってくる石礫を弾いている。石礫と共に落下するデキステルは手近にある石を掴んでは迫りくるトロールに投げたりして、追撃を拒んでいた。
「ふう」「よっと」
石礫を弾き終わってシニステルは剣を納め、デキステルは着地する。
「次はどうするんだ?」「こいつら中々死なないぞ」
「ちょっと待て。…あのサイズの岩を投げるなら、少しでも高い場所から投げるはず…つまり…あれか」
僕は丘の上を仰ぎ見る。すると予想通りそれはいた。
岩を投げたのは4体のトロールだった。
彼らは岩を砕かれ、自分たちがやっていることはさほど意味がないと知能が低いなりに考えたのだろうか。後ろにはまだ投げるための岩が残っているのにそれを後にし、こちら目掛けて丘を下りてくる。
「馬鹿者が!おまいらはそこで岩を投げ続けろ!」
丘を半分ほど下りてきた時に響き渡った怒声にトロールたちは足を止め、元居た場所まで戻るべくこちらに背を見せて引き返す。それが命取りとなり、いや、厳密には命までは取らないが、4体のトロールは後頭部を蹴り抜かれ、後ろの2体、前の2体と順序良く地に伏していく。
「ノラ、キレネ。なるべく僕の近くにいてくれ。その方が双子も守りやすいだろうし」
「うん。分かった」
言ってキレネは僕の右腕に両腕を回してしがみつく。
「…いや、そんなに近くなくていいぞ?」
「でも、近い方がシニステルとデキステルも守りやすいんだよね?」
「まあ、そうだけど…」
「私はやらないわよ」
そう言ったノラは僕から一歩離れたところに立っていた。それが最も適切な距離のように思える。
その後も戦闘は続き、やがて日は完全に落ち、空には月が顔を出す。三日月だった。
「アーサー。どうすんだよ」「こいつら何回殴っても起きるぞ」
再生能力を持つトロールは何度も起き上がり、何度痛い目を見ても一向に引き下がらない。長丁場になると双子の体力が心配だが、今のところ疲れているというよりは飽きているという風だった。
トロールの方にも心境に変化はあるようで、双子が少し体を動かしただけでもびくりと警戒するように反応し、最初のように無鉄砲に突っ込んでこない。どうやら知能の低いトロールに短時間で学習させる数の拳と蹴りは入ったようだ。
「そろそろ終わりにしないか!もういいだろ。殺そうと思えば剣を使ってすぐに皆殺しにできる。それを僕たちはしたくないからやっていないだけで、これ以上しつこいようなら本当にやるぞ!」
僕は、未だに姿を現さないが確実にそこにいると思われる例の声の主に語り掛ける。返事はすぐに響く。
「そのようだな。いいだろう。トロールたちは下がらせよう」
その声の直後、僕たちを囲んでいたトロール達はまるで初めからいなかったかのように次々と消えていく。
「やけにあっさり引くんだな」
ここまで素直だと逆に不安になってしまう。
「まあ、こちらの目的は果たせたわけだからな」
その声が響いた直後、僕の目の前で何かが膨らんだ。それは一気に膨張し、瞬時に僕より頭一つ小さいくらいのサイズの老人になる。
否、老人のように見えたのはそれの顔や皮膚に無数のしわが入っていたからで、その姿勢や声、身のこなしに老いは感じられない。
「もう日は落ちた。さすがにこの状況でもまだ先を急ぐとはいわないな?」
僕はその声から悟る。これが声の主だと。今までずっと僕たちの前にいたということか。
目の前にいるのはスプリガンという妖精。自分の体の大きさを自由にできる。それで小さくなって足元の芝に身を隠しながら声を出していたのだろう。分かってしまえば何でもないトリックだ。
それよりも僕は彼にまんまと乗せられたということを悟る。こちらがトロールを殺さなかったことまで読まれていたかどうかは分からないが、少なくとも足止めをするという彼らの策略に自らはまりに行ったと言える行動だったことは確かだ。
「ああ、今日はここで夜を明かそうと思うよ」
もともとそのつもりだったので問題はないのだが、しかし相手の策略にはまったというのは少し遺憾ではある。
「それよりさっきトロールが次々消えていったのは何だ?スプリガンはフェアリーグラマーがあまり得意じゃないんじゃなかったか?」
もちろんそれは僕の知識にあるだけの情報なので、特別に訓練を積んだ者なら使えるだろう。フェアリーグラマーは本来妖精であれば使える魔法なのだから。
「ほう。ワイがスプリガンと見抜いたか…」
スプリガンは感心したように息を吐き、続ける。
「その通り。フェアリーグラマーとは違う。あれはワイの能力、チェンジリングによるものだ。本来は子供をトロールの子供と入れ替える能力だが、能力とは使い方次第でどうにでもなる。あらかじめ仕掛けておいた石や小枝と大人のトロールを『交換』すれば四方八方からトロールが湧いたように見える」
「なるほど」
これは単に彼の能力を知っているだけの僕には、到底思いつきそうにない能力の活用法だ。
「そんなことよりおまいら、宿のあてはあるのか?」
「あるわけがないだろ。僕たちはよそ者でここに来るのは初めてなんだ」
「ふむ。その通りだ。…では、宿を賭けてもう一戦と行こうか?」
スプリガンはにやりと口元を釣り上げた。




