第2話 萌芽の妖精⑫
「これは…?」
突如現れた物体の用途が分からず僕はの口からは疑問の言葉がこぼれる。
「彼女のためさ。外で着替えさせるわけにはいかないだろ?」
パラルダの言葉からそれが更衣室だと悟る。
体積自体は僕の部屋を少し上回っているくらいに見えるが、中はどういう間取りなのだろうか。これだけの空間を、服を着替えるためだけに使えというのも難しい気がする。
「そうですね。じゃあ僕は戻ります。なるべく急ぐようにしますね」
「いえいえ。ごゆっくり」
パラルダがそう言うが、もちろんなるべく急ぐのは待たせては悪いという意識の他に、早いところここでの勝負をクリアして次に行きたいという意図もあった。僕は足早にノラと別れた場所へ向かう。
「いない、か」
しかしそこにノラはいなかった。
とは言うものの、ノラは気に入った服を見つけるたびにそれをその場に放置するので足跡のように服が落ちている。
僕はノラの足跡をたどりながら服を拾い上げ、一か所に積み上げて地面を滑らせるように押して進む。
そしておよそ5分後、物理的な紆余曲折を経てノラと再開することに成功する。
「やっと会えた…」
彼女は僕に背を向けて服を選んでいる最中だった。
「聞きたいことは聞けたの?」
彼女は振り返らずに声だけを掛ける。
「まあな。…なあノラ。一つ聞かせてくれ」
「何よ?」
ノラは振り返り、いぶかし気な視線で僕を射抜く。
「もしかしてお前、何も考えずに服選んでないか?」
「何を言ってるの?ちゃんとどんな服が似合うか考えながら選んでるわよ」
「ああ、いや。そっちじゃなくて…」
今のは僕の言い方が悪かった。僕が言いたかったのはそっちではなく、ノラの移動方法の方だ。
「あっちこっち適当に飛び回ってるだろってことだよ」
僕なら列ごとに潰していって見落としの無いようにするんだが、ノラはそうではなく、ふらふらと蛇行して規則性なく服を選んでいる。
「ああ、なるほど。アーサーなら端っこから順番に見て回るし、それが一番効率がいいって言いたいのね」
「そういうことだ」
ノラは頷き口を開く。
「確かに、探し物をしてる時はそれがいいかもしれないわね。でも今私たちはキレネに似合うものを探してる。もしかするとこの中にはそんな服無いのかもしれないのよ?」
既にこれだけ大量の候補を出しておきながらよく言う。と僕は思ったが口は挟まなかった。
「だから何となく気がひかれる方へふらふら動くのが正解だと思うわ」
それはノラの持論か、あるいは服を選びすぎた結果、服選びに関する悟りを開いてしまったのだろうか。
「そうなのか…?それだとやっぱり見逃しとか、下手をすれば重複したりしないか?」
「ふらふら」という言い回しのせいでどうも賛同しづらくなる。
「重複はないわよ。服を抜き取ったところは抜き取られたままで見れば分かるから」
言われて僕はなるほどと思うが、序盤でそれをしていなかったということは、そのことを思いついたのは僕と別れて以降のことなのだろう。
「それに何より、アーサーはこの勝負にあまり時間を掛けたくないんでしょ?」
それはもっともだった。端折れる工程があるのなら省略したい。もちろんパラルダに勝つという前提でだ。
「ところで、これは雑談として聞いてほしんだけど、根本的な雑談として聞いてほしいんだけど」
「根本的な雑談って何だ」
生まれて初めてする雑談だった。
「この勝負って勝たなきゃいけないものなの?」
「そりゃあな。負ければイタズラされるんだぞ?」
「そんなにひどいものなのかしら。そのイタズラって。あのパラルダの態度からは彼が悪質なイタズラをしそうには見えないんだけど」
「まあそうだけど…」
とはいえそれでイタズラの恐れがないということにはならない。彼がこの勝負を持ちかけた理由は「マザーに指示されたから」だった。つまり、マザーに指示されたから気は進まないけどイタズラを、ひどいイタズラをしないとも限らない。
あるいは、あれが演技かもしれないという風にも考えられる。
「勘違いしないで。私はキレネに何か服を選んであげたいと思ってるわ。だからイタズラされようとされまいと服選びは止めない」
「じゃあ何で」
「あんたのために言ってるのよ。気が乗らないなら無理に手伝わなくていいのよ」
ノラの言葉から棘は感じられなかった。純粋に僕を気遣った発言に聞こえる。
「そう言われると余計に手伝わないわけにはいかなくなるって、知ったうえで言ってるのか?」
「じゃあ言わなかったことにするわ」
いや、そうはいくまい。僕は聞いてしまったんだから。
「もし万が一負けて、ひどいイタズラをされそうになったらあんたの分は私が受けるわ。それでいいでしょ?」
それだけ自身の勝利を確信しているということだろうか。それとも、イタズラが大したことないと確信しているんだろうか。
いずれにせよ、魔法を失っているノラにそんな危険を冒させたくはない。
「駄目だ。もし万が一負けたとしても僕の分のイタズラは僕が受けるよ」
後からこの発言を後悔しないことを祈りながら僕は言う。
そしてその時、それならばいっそ。と、あるアイデアが僕の頭に浮かぶ。
「なあノラ。思ったんだけど、キレネに似合うものって考えるより、この際キレネが喜びそうな服を探さないか?」
「それとキレネに似合う服とは同じじゃないの?」
ノラは言うが僕はそうは思わない。
「じゃあ聞くが、ノラは今着てる服は自分に似合ってると思うか?」
「さあ?自分の姿なんて鏡くらいでしか見たことないから分からないわ。アーサーはどう思ってるの?」
突如跳ね返ってきた質問の答えに僕は窮する。
僕が欲しかった答えは前半32字だけだったんだが。
「いや、出会ってから今までずっとその服しか着てないだろ?だから、他の服との比較が…」
「比較はいいわよ。アーサーの価値観でものを言って構わないわ。この服は私に似合ってる?」
ノラは僕に背を向けていたが、僕のことを威圧しているのだと、そう思った。
「まあ…似合ってるとは思う」
「そうね。普通、そう言うわよね」
ノラは何度か頷き、依然としてこちらに背を向けたまま、服を選ぶ手を再び動かす。
「いたずらのことはもういいわよ。あんたが受けたいって言うなら受ければいいし、この勝負についても、あんたがしたいようにすればいいんじゃない?もうすぐ日が落ちそうだから、ぐずぐずしてられないわよ」
言われて空を見上げると確かに西の方が赤くなり始めていた。ノラの言う通りぐずぐずしていられない。どうするにせよ、動かねば。
「分かった。じゃあしばらく単独で動く」
「ええ。日が落ちたら合流しましょう」
僕は頷いてノラに背を向け、小走りにかけていく。キレネが喜ぶだろう服に心当たりはあるが、それがこの服の森のどこにあるかは分からない。こういう場合は移動速度を少し上げてのしらみつぶしがいいだろう。
僕は服の森の一番端に到着する。
「ん?あれ、双子じゃないか…」
不意にすると視界の端、上の方で何かが動くのに気が付いた。
その正体は双子で、彼らは食べることは止めて木に登って遊んでいた。より具体的に説明するならば、木から木へと飛び移って遊んでいた、というべきか。
危ないからやめなさい。なんて言わない。彼らが音速を超えていないことは頭で理解できるのだが、どうも僕の出す声が彼らの動きに追いつけないような気がする。
「いや、何をしてるんだ僕は」
油を売ってしまったことを悔いながら僕は服の森に向き直る。早歩きで端から順にしらみをつぶし始める。
「あった…!」
ほとんど沈みかけた太陽が辺りを紫色に染め始めた頃、僕は服の森を3割ほど見終わり、そしてようやく目当てのものを発見する。
「色違いもあるんだな…時間もないからもうとりあえず全部…」
全部を持っていこうとして僕は手が止まる。
「いや、これだけで十分か」
僕は目の前にある大量の服からたった一つを選び取る。
「これとさっき見たあれを組み合わせれば」
完璧だろう。
僕は記憶を呼び覚まし、服の間をかき分けショートカットを繰り返し、目的のものを掴んでキレネとパラルダ、そして恐らく既にノラもいるであろう集合場所を目指して駆けだす。
走り続け、息を切らし、やっとの思いで服の森を抜ける。
「やあ、お帰り。それが君の選んだ服かな?」
パラルダは僕の手に握られたものに視線を向けて言う。
「はい…そう…です」
切れた息で僕は途切れ途切れに答える。
パラルダは頷き、胸を撫で下ろすようなジェスチャーをする。
「よかったよ。君が選んだのは一着だけだったみたいで」
「…どういう、ことですか?」
僕は息を整えながら尋ねる。しかしその質問に答えたのはパラルダではなかった。
「こういいうことよ」
ノラだった。彼女は自分の傍らの空間に、人間であれば直立不動というにふさわしい挙動で、静止している服を指差す。
「まさかそれ、全部選んだのか?」
ノラは頷く。同行している間に彼女が抜き取った分よりも減っているところから、ある程度の厳選はしたんだろうが。
「ええ。彼に確認したところ、問題ないようよ」
パラルダに目を向けると彼は苦笑を浮かべる。
「まあ、はじめに1人1着って指定をしなかった僕の落ち度だしね…」
彼の反応から、ノラが僕ほどではないにしても中々ひどい屁理屈を展開したことが伺える。
「暗くなってくると明るい時に選んだ服が違う感じに見えたのよ。最初に選んだ服を見たら何で私こんなの選んだんだろうって思ったり。だから」
いや、「だから」で許されるような事情じゃないだろそれは。
パラルダに気苦労を掛けたことは申し訳ないが、しかしそれ以上に問題はある。
「ノラ。それって全部今日中に着せられるのか?」
「え?それは……無理ね」
ノラは自分の選んだ服を端から端まで一度眺めてからその結論を出したが、その結論を出すのにそうする必要はなかっただろう。
「ノラ。もう少し厳選できないか?」
「…しようと思えばできるけど、明日までかかると思うわよ」
結局は変わらないということか。
「じゃあ今日はここでお開きにしようか。本番は明日ということで」
なるべく急ぎたかった僕たちだが日が落ちてしまっては仕方ない。パラルダの提案に乗ることにした僕たちは、羽毛布団の並べられたお客用の寝室に通された。




