第2話 萌芽の妖精⑧
よく眠れなかった僕にとってはこれ以上なくありがたいことに、思ったよりも早く朝日は昇り始めた。
「ノラ。起きてるか?」
僕は上半身を起こして隣のベッドに横たわるノラに声を掛ける。
「ええ。そもそも眠っていないわ」
そう答えるノラの目は確かに寝起きにないほどのパッチリ開いていた。僕たちの声に反応してかノラの隣でキレネも体を起こす。
「おはよー…」
ぼやけた声色から察するに、今まで本当に眠っていたのだろう。キレネの口から出たあくびが予想の的中を告げる。
「シニステルとデキステルは寝てるのか?……あれ?」
いなかった。ノラと反対側のベッドにいるはずの双子が。
いつの間に抜け出したのだろうか。少しばかりウトウトしたりもしたので、その時かもしれない。
「何か変なことしでかしてないだろうな…」
水魔城でのこともあるので早めに探そう。
そう思ってベッドから下り、枕元に目をやる。
「あれ?ない…」
ポケットに入れているとしわになるかもしれないと、寝る前に枕元に置いたはずの地図が無くなっていた。
「まさか、妖精たちによる妨害か?」
そんな姑息な手を使ってくると考えにくいが、僕が寝ぼけてどこかへやってしまったというのと比べれば妨害の可能性の方が高かった。
「どうしたの?今更自分に身長がないことに気付いたの?」
「違う。…違うし身長がないわけないだろ」
身長ゼロってつまり存在していないってことじゃないか。高さという3次元の一要素を奪われるという意味では2次元の世界では生きていけるかもしれないが。
ノラはしばらく自分と向き合う時間を持てたためか、僕のなじり方に限ればいつも通りだった。
「地図だよ。寝る前に枕元に置いておいたのに」
「なるほど。睡眠学習ね。それで、身に着いたの?」
「見たい夢の絵を枕の下に敷くおまじないと混同してるな。それは」
いや、こんな悠長に漫才を展開している場合じゃなかった。探すものは地図と双子。もちろん優先順位は前者の方が高い。
「ノラはずっと起きてたんだよな。僕の枕元に誰か来たとか気が付かなかったか?」
ノラは記憶を探るように暫く黙り、やがて首を振る。
「そうか…」
「弟たち以外には見なかったわ」
いたんじゃないか!
とは言いかけてやめた。なぜなら双子は犯人と考えづらいからだ。あの2人が地図を持ってどこかに行く理由など、すぐには思いつかない。
僕は部屋の出口に目をやる。ドアを開くとすぐに階段が現れ、それを上ると外、つまり地上に出られる。
外に出るために双子が僕の枕元に来る必要はないのだ。それなのにあえてということは、地図に関することかどうかは分からないが、何かしら考えがあったと考えるべきだろう。
「じゃあまずは、双子を探しに行くか…」
優先順位の逆転が起こる。闇雲に探すよりはまず2人から話を聞いた方がいいと考えたからだ。
立ち上がった時、グーとクーの中間にあたるような音が響いた。
「ごめん。お腹空いた」
キレネだった。
彼女はお腹を押さえ、されど恥ずかしがる様子は微塵もなく自らの空腹を告げる。言われて初めて僕も自分の空腹に気が付く。
「確かにお腹空いたな。…僕たちが空腹ということは、十中八九あいつらもだよな」
もう済ませてしまっているという可能性もあるだけに、うまく鉢合わせできるかどうか分からないが、しかし行くしかあるまい。
「じゃあ上に出るぞ。何かしら食べるものは貰えるだろう」
僕はベッドの上を歩いて移動する。ベッドがくぼんでは戻り、くぼんでは戻りする光景はベッドの材料、干し草の弾力を如実に伝え、帰ったら自分のベッドも干し草に変えようかと思ってしまうが、その思考には僕の知識が待ったをかける。
実際の干し草はこうはならないのだ。ガサガサして堅いらしい。今僕の足が感じているような弾力は恐らくこの干し草に魔法が掛けられているためだ。
部屋の入り口に揃えておいた靴を履き、地上に出て昨日夕食を摂ったキノコの椅子とテーブルがある場所へ向かう。
「あ」
そこにはなんと、双子がいた。メインの食事を終えたのか、湯気を立てるマグカップから何かしら液体をすすっている。
2人の習慣からコーヒーや紅茶ではないだろう。ココアかホットミルクではないだろうか。
しかし今の僕にとって重要なのは2人の持つマグカップの中身ではない。まず地図のことについて聞こうと考えたその時、僕よりも早くキレネが声を上げた。
「おはようシニステル。デキステル。何飲んでるの?」
双子は、ココア。と答えながら僕たちの姿を視野に収める。
「なあシニス…」
「おはようございます皆様。朝食の準備はできておりますのでどうぞおかけください」
ワゴンを押して現れた執事然としたノームに僕は言葉を止める。別にそうする必要はなかったのだが、何となく地図が無くなったということは妖精たちに知られたくなかった。
椅子型のキノコに体重を預けると同時に、目の前にクロッシュという銀のドーム状の蓋を載せた皿が差し出され、フォークとスプーンが添えられるとクロッシュが外される。
「本日の朝食は温野菜サラダ、エリンギのバターソテー、ジャムトーストでございます」
野菜中心の食事だった。パンも材料は小麦なのでそういう意味では植物しかなかったと言える。
「いや、バターは動物性脂が材料だったか…」
「どうかされましたか?」
ぽつりと漏らした独り言にその場にいたノームを反応させてしまった。
「あ、いえ。何でもないです」
僕の独り言ごときが注意を引いてしまったようで申し訳ないと恐縮する。
「御用の際は、こち、らの、ベルを…」
言いながら精一杯に背伸びをし、手に持った木製のベル、赤ちゃんの持つガラガラのようなものをテーブルに載せようとするが、届いていなかった。
低身長ゆえの悩みはよく分かる。僕はそれを手で受け取ってテーブルの上にのせる。
「恐れ入ります。御用の際はそちらでお呼びください」
そう言ってノームはワゴンとともに消えていった。
少し待って僕は口を開く。
「シニステル、デキステル。かなり早く起きてたみたいだけど、僕の枕元に置いてた地図を知らないか?」
寝ている間になくなっていたんだ。と、僕は即座に本題に入る。
双子はマグカップから視線を上げ、思い出したように口を開く。
「ああそうだった」「借りてたんだよ」
言ってデキステルがテーブルの上に出したのはまさしく僕が探していたもの。地図だった。
「お前たちだったのか…」
怒る気にはならなかった。ただ地図が無事でよかったと胸を撫で下ろすばかりだ。
「2人はこれで何をしてたんだ?」
僕はフォークの先端に温野菜を突き刺し口に運びながら尋ねる。
「姉ちゃんの魔法が使えるようになるかと思ったんだけど「この地図って空の高さまでは分からないんだな」
「空の高さ?」
双子は何を言ってるんだろうか。地図が平面であり空の高さが記載されていないことは常識だというのに。
「おい。馬鹿を見るような目で見るな」「姉ちゃんが魔法を使えない空って意味だよ」
「ノラが魔法を使えない空…?」
僕は無意識にフォークを止めて思考に身を投じる。双子の言わんとしていることが分かりそうな気がしたからだ。
ノラを見ると彼女も僕たちの会話に耳を傾けているようだった。
「姉ちゃんが魔法を使えないのは」「あのゴッドおばあちゃんのせいなんだろ?」
ゴッドおばあちゃんという呼称に違和感を感じながらも、誰のことを言っているのかはすぐに分かった。
「フェアリーゴッドマザーだな。…ああ、その通りだ。彼女が魔法、フェアリーグラマーを使ってノラの魔法の構造を捻じ曲げてるせいで魔法が使えないんだ」
「それでそのフェアマザーが言ってたよな」「この国の空気を使ってやってるって」
「ああ、確かそんなことを言ってたな」
フェアマザーは本当に誰だよ。一方的に勝負を指せているという点では全然フェアじゃないというのに。
「えーと、ああ。分かって来たぞ。…つまり、上に行けばマザーの魔法が届かないところに逃げられるかもしれないってことか?」
双子は共に頷く。
なるほど、鋭い考えと言える。
フェアリーゴッドマザーは確か「この国」の空気と言っていた。そして彼女は時折この州の名「妖精の園」のことを「妖精の国」と言ったりしていた。それが僕を嵌めるための意図的なものだとしたら一杯食わされたと言わざるを得ないが、しかし彼女のフェアリーグラマーの射程圏内はこの州の内側に限られると考えてまず間違いないだろう。
平面的に有限であるなら、立体的にも有限である可能性について考えるのも道理と言える。
「だから地図で一番高い場所を探してたんだけどよ」「高さが書いてなかったから諦めて目で見た」
僕は地図を開いてその一部に目を落とす。確かに双子の言う通り、この地図で記されているのは川や森、そして道の場所で、標高や縮尺という数字が一切記載されていない。
「そうか。まあでもよく気が付いたな。上に逃げるって言うのは発想としては…」
「逃げる?」
ノラは皿の上のニンジンをフォークで貫きながら、それと同等の鋭さの視線をこちらに向ける。
「そういう敗者に似合うような言葉を使わないで。現状私はあの妖精に勝てないだけであって、負けたわけじゃないわ」
「そうなのか…?」
「見て分からない?今こうして私は生きてるでしょう?」
ノラはそう言うが、どうだろう。フェアリーゴッドマザーはノラにとどめを刺そうとすればできたんじゃないだろうか。
例えば虫に変えて踏みつぶすとか、魔法の一部分を変形させたというならば同様のことを人間の体にも行って、残虐な手口だが、殺したりなど。
魔法を失った無抵抗なノラにならいつでもいくらでもとどめを刺せると思うのだが。
「分かったよ。確かにそうだな。負けてもない人間が逃げるなんておかしいな」
しかしそんなことは口にはせずノラに合わせる。逆転のチャンスがあるという意味ではノラの言ってることは的外れでもないのだ。
「話を戻すけど、シニステルとデキステルの目から見てこの辺りで一番高そうなのはどの辺なんだ?」
双子に向き直り、地図を広げて見せる。
「「あっちだ」」
しかし双子の指と視線は地図とは別の方向を同時に向いた。
「いや、そうじゃなくて…あ、いや、大丈夫だ」
僕は自分のいる位置と方角を把握しているので大体の察しがついた。2人が指さしていると思われている方角に「スプリングヒル」と記されている場所がある。
「これだと、2つ目の印の次に寄るのがよさそうだな」
双子が提案した仮説は当たれば大きいが、しかしこの異様に時間が早く進む世界の中ではフェアリーゴッドマザーからの指令をこなすのが最優先事項だ。早くこの州から出ないといけないのだから。
この州の強みはフェアリーゴッドマザーの魔法。ただし、内側でのみ無敵の強さを誇るため州の外には手も足も出せない。
だから、外で待機しているオスカーとパティが僕たちのことを心配して踏み入るなんてことは、あってはならないのだ。絶対に。




