第1話 深淵の水魔㉔
僕はニルプが戻ってくる前に城を出ようと思っていた。
パティはすでに後片付けを終えていたし、ニルプと話は済んだのでもうこれ以上この城にいる必要はない。
しかしさすがというかなんというか、アプサラス達はリーダー不在でもシニステルとデキステル歓迎の宴の準備を進めており、すでに宴に参加せずに帰るのに罪悪感を覚えるほどまで準備が整っていたので帰還は先送りとなった。
「どうぞ」
宴の席にニルプの姿はなく、宴が始まって僕の盃に酒を注いだのはクティと名乗るニルプの部下だった。
「ニルプさんは来られないんですか?」
「ええ。主人はレヴィアタンの面倒を見ているとのことですので」
よく笑うニルプとは対照的に彼女は基本的に澄ました表情をしている。
「あの飲んだくれにニルプ様があそこまでするだなんて、いささか理解に苦しみます」
顔には出さないが明らかに不機嫌なトーンでクティは呟いた。
「でも、レヴィアタンがああなったのは過去にこの城のために戦ったからですよね」
「…そう聞いてはいますが、わたしが生まれるより前のことですよ。普通立ち直ってるものかと」
どうやら彼女は大戦以降に生まれたらしく、レヴィアタンについては療養を始めてからのことしか知らないようだ。
「それでは、何かご要望があればまたお呼びください」
クティは僕と雑談に花を咲かせる前に去っていった。
要望といえば今僕の目の前にある正体不明の白い粒粒の集合体はなんという生物のものかを聞きたかったのだが、わざわざ呼び戻す程のことでもないし、人間にとって害のあるものはさすがに出さないはずだ。僕はその粒粒を、下に敷いてあったクラッカーと共に口に入れる。
「これは…イクラか」
僕の舌が感知した味から頭の中の知識はそう告げる。この城では食材は全て加熱するという。白っぽいのは火が通っていくらのたんぱく質が変質したためだろう。
そして同時に僕は思った。イクラは生の方がおいしいと。
双子がいる方に目をやると2人とも目の前の料理にがっついていた。今食べているのは…あぶったイカのようだ。
さて、2時間ほどのち、
「ごちそうさまでした。そろそろ僕達はお暇しようと思います」
宴もたけなわを超えて落ち着きだした頃に僕はそう切り出す。オスカーとパティの前に空瓶が並びだしたのでそろそろ引き時だ。
「もうご出発ですか?」
「はい。今日中にはここを出るつもりでしたから」
「そうでしたか。ではお気をつけてお帰りください」
クティは引き止めなかった。ニルプの部下でも性格は似ていないようだ。
「あ、お待ちください」
かと思えば引き止められた。
「何でしょう」
「お土産を、主人から渡すようことづかっていたので」
そう言ったクティの背後からいわゆる玉手箱を持ったニクスが2人現れた。
「どちらか一方を選べと言うことですね」
並んだ2つの玉手箱を目にし、僕は直感的にそう悟った。
右側の玉手箱の方がやや大きいが、左側の方が紐の縛り方は厳重だった。
「いえ、両方差し上げますが…」
クティが困惑した表情を浮かべる。昔話を意識しすぎたようだ。
「そうですか。ではありがたくいただいていきます」
中身が何か言われなかったが、それは開けてのお楽しみということだろう。そういうのも一興だ。
僕は改めて礼と別れの言葉を告げ、ノラの転送魔法で海上で待機している僕たちの城に戻る。
「いて!」
転送直後、僕は背中に強い衝撃を受ける。どうやら僕は背中を下にして30センチほどの高さから落下したようだ。
周囲を見渡してみるとなぜか僕達はダイニングにいた。
「ごめん。ちょっと酔って手元が狂ったみたい」
頬を赤らめたノラがはにかみながら言う。普段見られない彼女の表情を拝めたのは眼福かもしれないが、酔ったノラには金輪際魔法を使わせないと心に決めた。
「とりあえず、現状把握だ。意識のある奴は返事してくれ」
「はい」
「はい」「はい」
「覚醒」
「当然」
意識がないのはキレネだけだ。彼女は返事代わりに寝息を立てる。
「じゃあ、ノラ…は駄目だった。僕が彼女を部屋に送っていく」
「俺らに任せろ」「アーサーじゃ無理だろ」
キレネをどう持ち上げようか考えていると目の前に双子が現れる。確かに2人ならつま楊枝を運ぶがごとく軽々と運べるだろうし、何よりこの2人はしらふなので姉とは違って信用できる。
「助かるよ2人とも。…部屋の場所分かるか?」
「そういえば知らねえ」「あ、俺もだ」
「じゃあとりあえずリビングまで運んでくれ。そしたらいつもは無い入り口が見えるはずだ」
「いつもは無い入り口?」「まさか隠し部屋か!?」
シニステルが腕を、デキステルが脚を掴んでキレネを持ち上げながら目を輝かせる。
「まあそんなところだ。キレネの部屋なんだから中で暴れたりせずに彼女を運んだらすぐに出るんだぞ」
「分かってるって」「そんな心配するなよ」
かなり関節に負担が掛かってそうに見えたが、キレネは起きなかった。僕は城にキレネの部屋の入り口を開けるように命じて双子に運搬を任せることとした。
「さて、じゃあ残りは解散だ」
寝るには早いが特にやることも無いので僕はそう言って部屋に下がるつもりだった。
「ちょっと待って」
しかしそんな僕をノラは引き止める。
「今回の成果を報告して共有しておくべきじゃない?やろうと思えば明日にでもエレツ本土には上陸できるでしょ?」
「ああ。…そうだな」
確かにそうだし、そうするつもりだったのだが、酔ってるにもかかわらずまともなノラの意見に少々驚く。
「何よ。ちょっと血行が良くなって意識がフワフワするだけよ。まともな思考くらいできるわ」
「ああ。悪かったよ」
まだ僕は何も言ってないのだが一応謝っておく。
「王よ。その必要性は俺もかねてより感じていた」
「私も兄者に同じく」
オスカーとパティは赤みを帯びた顔で僕の手を片方ずつ掴む。少し距離感が狂ってる気がするが、彼らが酒に飲まれるタイプでないことは既に承知している。
「分かった。丁度テーブルと椅子があることだし、ここでしようか」
僕の向かいにノラ、隣にオスカー。そしてオスカーの向かいにパティが座る。
次に向かう州での詳しい作戦は直前に双子も混ぜてするべきだから全体としての作戦について語るとしよう。
「まず、今回の収穫についてだ。いざという時に駆け込んでもいいとニルプから了承を得られた。本当に最終の非常手段としてだが。…それと、水魔城が僕らの脅威になることはないと断言できる」
「なぜでしょうか」
酒が入ったおかげか、いつも発言を控えがちのパティが誰よりも早く口を開く。
「うん。それはだな。彼女、ニルプは政治とかそういうのはどうでもいいと考えているからだ。彼女が欲しいものは今現在十分に得られているから、それを邪魔しない限り牙をむいてきたりはしないよ」
「つまり、こちらから接触しない以上安全だと?」
「そういうことだ」
なるほど。と呟いてパティは2度深く頷く。
「それで、本命の方はどうだったの?ま、エレツ本土を目指してる時点で結果は知れてるけど」
「その通りだよ。僕の知識に関する情報は手に入らなかった」
「だからいよいよエレツ本土に赴くと、そういうことだな?王よ」
オスカーが笑みを浮かべながら僕に同意を求める。求めに応じて僕は同意を返す。
「次に目指すのは第4州『妖精の園』。個人的な見解としては一番安全で、一番難しい州だ」
「安全にして難関。相対する側面の同居、か」
「僕が知ってるのは向こうの大まかな地形と生息する種族の概要までだ」
「クフフッ。王の知識はいつもどこか抜けてますね」
パティの舌の滑りが絶好調だった。発明する武器がいつもどこか抜けてるパティには言われたくない言葉だった。
「と、とにかくだな。あの州はかなり独特な…いや、その話はまた明日でいい。今のうちにしておきたいのはキレネの話だ」
キレネの名が出て、ノラの眉が動く。
「残念ながら、彼女に怪しいところはなかったわ」
「残念ながら?」
「違う?」
違うかといわれると答えに窮する。確かに引き続き監視と警戒をしなければいけないという意味ではそうなのかもしれないが。
「まあともかく、これからも引き続き監視と警戒は続けるということで」
「御意。ところで王よ。明日の上陸時刻は」
パティが挙手しながら尋ねる。
「そうだな。9時ごろでいいんじゃないかな。多分それまでには到着するだろうし」
「了解。では議題がなければ私はこれで。対妖精兵器の最終調整をしたいので」
「パティ。分かっていると思うけど…」
「殺傷力は皆無につき安心されたい」
殺傷力が0の兵器というのもなかなか破綻してる気がするが分かってくれてるならなんでもいい。
「じゃあもう解散だ。作戦の詳細は明日の8時に説明する。寝坊するなよ」
主にノラに言っている。
「パティ。俺も手伝おう」
「感謝する。お兄ちゃんよ」
現在時刻は午後8時。寝るには早い時間だ。
「ノラ。キレネは無事に部屋に入ったか?」
「ええ」
「双子は?」
「心配しなくてもちゃんと外に出てるわよ。じゃあ私は今日は早めに寝るわね」
僕からの返事も待たずにノラは転送魔法で消えた。ちゃんと自分の部屋に飛べたんだろうか。
1人になった僕は何かやることはなかったかと頭を巡らすがやることは見つからなかった。
「仕方ない。とりあえず僕も部屋に戻るか」
椅子から立ち上がり部屋に向けて歩き出す。歩きながらも何かやることはないかと考えていたが、結局何も思いつかないままに部屋にたどり着いた。
僕はいつも通り、決まりきった動作でドアを開ける。
「あれ?」
そこは間違いなく僕の部屋のはずだった。そのはずなのにそのベッドの上にはノラがいたのだ。
いつもなら僕が間違ってノラの部屋に入ったのかと思うところだが、今日は自信をもってノラが間違えたのだと言える。僕の懸念通り、彼女はちゃんと飛べなかったのだ。
「おい。ノラ。部屋を間違えてるぞ。お前の部屋は隣だ」
隣といっても10メートルほど離れてはいるが。つまり、抱えては運べない。だから彼女には今すぐ起きてほしいのだが、酒のせいかかなり深く眠ており起きそうにない。
「まあまだ寝るわけじゃないし、もう少し後でもいいか」
僕は部屋に置いてある自分の机に座る。やはりやることはないのだが、これからの流れを整理すべく紙に書きだしたりなどしてみる。
「水魔城」の字を書いたときに僕は思う。水魔城というあの名前、ニルプの能力に由来しているんじゃなかろうかと。つまり
「水魔城、水魔……睡魔」
そんな酔狂なオチで今回のお話は幕を下ろす。そして僕たちは妖精の園を目指す。
第1話はここまでです。
第2章からは1話あたり10万字という構成にしているのですが、どうだったでしょうか。話の中で矛盾が出ないようにという注意は細心で払って書いたのですが、突っ込みどころがあればコメントなりツイッターなりで突っ込んでいただけるとありがたいです。
第2話はもう書きあがっているのですが、来週は「友達のいない僕がウサギとカメに雑談力を磨かれるお話」の第4話、第5話を投稿するつもりですので第2話の投稿は再来週、12月18日(火)からとなります。




