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第1話 深淵の水魔㉓

「わたくしが正体を偽っているとおっしゃるのですか?わたくしがアプサラスの皮を被ったなにかであると?」

「ああ、いえ。そういう意味ではなく、そうですね…本性と言ったところでしょうかね」


つまりはニルプが求めるところ。彼女の、時に不可解ともとれる行動の動機。


「あなたは大戦から今に至るまで、レヴィアタンをこの部屋に閉じ込めていたんですよね」

「人聞きの悪いことをおっしゃいますね…。とはいえ、事実と言えば事実です。わたくしは彼をここから出すつもりはありませんでした」


ニルプは別れを告げるように横たわるレヴィアタンの頬を撫で、立ち上がって僕の方へ歩み寄る。


「そもそも、ここから出る気を起こしたというのもわたくしとしては理解の範疇を超えています」

「そんな気も起らなくなるくらいに不自由なく甘やかし続けてたからですか?」

「はい」


ニルプはそれが後ろめたいことではないという風に僕の目をまっすぐ見て首肯する。


「どこの誰とも知れない僕らを、この州を滅ぼしに来たかもしれない僕らを手厚く歓迎したのは油断からではありませんね?」

「ええ。言ったはずです。わたくし共がここに来られる方々を歓迎するのは過去の教訓ゆえです。生きとし生けるものは皆、持ちつ持たれつの存在。弱者たるわたくし達が生きるためにはわたくし達がまず皆様に尽くさねばならないと。そういうことです」


その言葉が建前ではないだろう。ただしそれは州としての言葉であって、彼女の心からの言葉ではない。


「でもあなたが求めているのはそれじゃないですよね。あなたが求めているのは、およそ副産物的ともいえるもの。他者からの依存ですよね」


心に傷を負ったレヴィアタンを、慰めはすれど決して傷を癒そうとはしないのも。そしてこちらが勘繰ってしまうほどの過剰なもてなしをするのも。全ては他者からの依存を得るため。


「僕は初め、客人をもてなすのは恩を売って自分の味方にするためだろうと思ってました」


奇しくも僕が企てていたのと同じ作戦だ。


「でも違いました。違うと確信しました。あなたが決闘の後、レヴィアタンを突き放すようなことを言ってましたよね」


確かにあのまま戦わせるのは得策ではない。だから彼を眠らせてここに連れてきたのは理解できる。しかしそれならばあのようにレヴィアタンの心まで折る必要はない。


「あなたが最も恐れていたのはレヴィアタンが他の城の住人に危害を加えることじゃなく、この城でもっともあなたに依存しているレヴィアタンが、自立してあなたから離れていくことですよね」

「つまり、わたくしがやってきたことは全て私利私欲によるものだと。そうおっしゃるんですね?」

「ええ。しかし責めてるわけではありませんよ。僕がこの州に来たのはこの州と友好関係を築くため。なぜ築きたいかというと、いざというときに助けてもらうためです」


他人の私利私欲を非難できる立場に僕はいない。


「わたくしが頼まれると断れないたちだからと言って、突然駆け込んでも匿ってもらえるだろうとお考えなのですか?」


馬鹿げたことを言うやつだと思われているのが彼女の視線からひしひしと伝わってくる。


「確かに、冷静に考えればあなたは僕たちを拒むでしょう。でも、いざ目の前で僕に懇願されて、あなたはそれを拒めますか?」


拒めないはずだ。打たれれば響いてしまう。彼女は依存されればされるほど、尽くしてしまうのだから。

ニルプは沈黙した。僕は駄目を押すように付け加える。


「僕がエレツ国内で、水魔城の城主は頼めば何でも言うことを聞いてくれると触れ回ってもいいんですよ」


多分魔王も彼女の本性を見抜いたのだろう。だからエレツの国民は絶対に水魔城に入れないか、一度入れたら決して出さないかという法律を制定したんだ。そうすることで水魔城に踏み入れば無事では帰れない。というイメージを植え付けた。

とはいえ、人が頻繁に立ち寄るようになるといずれ誰かが気付いてしまう。


「そうすれば外から人が押し寄せてこの州はきっと崩れ去るでしょう。州の長という地位ゆえに応えられてきた望みにも、応えられなくなりますよ」


ニルプは頭痛を耐えるようにため息交じりにこめかみを押さえる。


「つまり、わたくし達にアーサーさんが企ててる計画の協力者になれということですね。…でしたらせめて、アーサーさんの企てている計画をわたくしに教えてください」

「いえ。そこまでしていただかなくても、危なくなった時に駆け込ませてさえくれればそれでいいので」

「非常時のみとはいえ、計画の一部に組み込まれているのです。計画の一員ということに変わりはないかと」


ニルプが引く気配はない。

これは困った。もちろん計画はあるんだが、実はまだ筋書き程度しか完成していない。

それは決して僕の怠惰によるものではなく、これから何が起こってもその都度柔軟に対応するためにだ。つまり話せたとしてもそれはあまりにも漠然としたものになる。


「じゃあこうしましょう。助けてもらう時に話します。僕たちがここを去ってから何があったか、そしてこれから何をするつもりだったか」

「今ではなく、ですか?」

「はい。だってもし魔王に僕たちがここに来たことを知られていた場合、今僕たちの計画を知ってしまえば拷問を受けるかもしれませんよ」

「その場合知っていた方が安全なのではないですか?」


確かに、知っていること、すなわち真実を話せば拷問を回避できるという意味では知っていた方が安全だ。しかし


「魔王は馬鹿じゃありません。いえ、それどころか恐ろしい策士でしょう。そんな彼は何も知らない者を拷問にかけて苦痛から逃れたいがために出鱈目を言われることを嫌うはず。『本当に何も知らない』という場合が一番安全だと僕は思いますよ」

「…それは確かに、一理ございますね」


しぶしぶといった風ではあるが、ニルプは最終的には首を縦に振った。


「分かりました。それではここで計画の仔細を問うようなことはいたしませんことにします」


よかった。これで僕も策士としての本文を果たせたようだ。下手をすれば本当に僕は今回この州で何もせずに終わっていたところだった。


「はぁ。本当に、人は見かけによらないものですね」


ため息がてらに呟くニルプ。見かけによらないとはどういうことだろうか。

まさか僕を身長で判断してものを言ったのだろうか。


「それはニルプさんもですよ。僕はてっきり、あなたみたいな人は無償の愛を振りまくことを信条にしているものとばかり」


意趣返しとばかりに僕もそう言ってやるが、しかしニルプはその言葉に首をかしげる。


「無償の愛?アーサーさんは酷いことを言うのですね」

「酷い…ですか?」


皮肉を言われたのだと思ったが、しかしニルプの顔も口調も本気のように見える。


「アーサーさん。何でもお知りとのことでしたが、ご存じないのですか?無償の愛なんて、この世で最も儚く、脆く、不確かなものなのですよ」


ニルプはまるで僕が何も分かっていないと言わんばかりにため息をつく。


「考えてもみてください。無償の愛、見返りを求めない。愛した時点で完結して満足してしまう一方通行の愛。そんな愛に価値があると?」

「価値がなければ愛ではないですか?」

「…これは一本取られましたね。確かに愛に価値というのは少し無粋でした」


僕の言葉を認め頷くニルプ。しかしすぐさま彼女は言葉を継ぐ。


「でしたら意味と申しましょうか。何の意味もなく、ただ無意味に捧げられる愛と言えば、うすら寒い気もしてくるでしょう?」


確かに無価値な愛よりは無意味な愛の方が独りよがりな感はある。まあ結局のところそれは言葉の綾でしかないのだが。


「ヤドカリとイソギンチャクはご存知ですか?」


唐突にニルプの口から飛び出したその言葉に、僕は一瞬昔話のタイトルかと思ったが、しかし、知識はすぐに貝の上にイソギンチャクを載せて自衛に使うヤドカリのことを思い出させる。


「あの共生関係にある奴らのことですよね」

「はい。わたくしが目指すのはああいう関係です。相互扶助、相互利用、相互依存。互いに互いを必要としているから絶対に裏切らない。すれ違わない。理想的な愛だと思いませんか?」


ヤドカリとイソギンチャクとが互いに愛し合っているとは思えないが、まあたとえとしては分かりやすい。一見ヤドカリが一方的に利用しているように見えて、イソギンチャクには生息域を広げられるというメリットがある。互いに必要としあった結果であることは事実だ。


「それで、ニルプさんはどちらなんですか?ヤドカリか、イソギンチャクか」

「ヤドカリです」


食い気味にニルプは答える。


「ヤドカリを守るというイソギンチャクにも憧れますが、しかし1匹のイソギンチャクが依存できるのは1匹のヤドカリのみ。より多数からの依存を求めるわたくしはさしずめヤドカリといったところでしょう」

「まあ、行動の主導権はヤドカリの方が握ってますし、そういう意味では水魔城の女王であるニルプさんにはそっちの方がお似合いですね」


そして彼女は知らないのだろうか。いや、海の底の城の女王が知らないわけがない。そのヤドカリは、食べるものが無くなるとイソギンチャクを食べてしまうことがあるということを。

つまり、結局のところ生殺与奪はヤドカリにかかっている。イソギンチャクはなくなっても補給できるが、ヤドカリがいなくなるとイソギンチャクも共倒れになる。圧倒的にイソギンチャク優位の共生。

そういう意味も込めてのお似合いですね。だったんだが、しかしニルプは嬉しそうにニコニコしている。

このまま雑談をしても仕方ないので僕はもう一度約束の内容を確認し、部屋を後にした。


「聞いてたか?」


部屋を出てすぐ、向かい側の壁にもたれかかっていたノラに僕は声を掛ける。

ノラは声を掛けられて数秒後、うっすらと目を開く。


「寝てたのか?」


僕は質問を切り替える。

しかしノラはかぶりを振る。


「起きて聞いてたわ。ヤドカリの話よね」


直近の話題は確かにそれだったが、しかし主題はそれではない。


「それといざという時は水魔城に匿ってもらえることになったのね」

「そう。それだ」


一番重要な話はそれだ。

僕とノラは脱いだ靴のところまで歩いていき、靴を履く。


「じゃあ取り合えず、みんなのところに帰ろうか」

「ええ」


とノラはそっけのない生返事だけをよこし、しばらくの間魔法を使うような素振りは見せなかった。

沈黙ののち、ついに彼女は口を開く。


「要は、あの女が振りまいてた愛は、慈愛じゃなくて自愛だったってことね」


これを考えるための沈黙だったのか。

まあうまいこと言えてはいるので愛想笑いだけはよこしてやろう。

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