第1話 深淵の水魔⑳
ニルプの膝の上で揺られること数分。僕はあらかた誤解を解き終える。否、解くような誤解など初めから無かったかもしれない。僕は求められてもいない言い訳をしていたのだ。
「あの、そろそろ自分の足で歩いてもいいでしょうか?」
「ふふ。遠慮は無用ですよ。よしよし」
僕の頭はニルプの手によって優しく撫でられる。しかし今回はその心地よさよりも羞恥心の方が勝ったため僕は諦めなかった。
「お気持ちは嬉しいんですけど、やっぱり下ろしてください。こうされてるのをみんなに見られるのはさすがに恥ずかしいです」
「恥ずかしい?ふふ。何を恥ずかしがることがありましょう。お気になさらず楽にしてください」
「いえ。お願いします。僕を助けると思って」
「あなたを…分かりました。そこまで言われては仕方ありませんね…。では、一度止めてください」
ニルプは玉座の担ぎ手に命じて椅子を下ろさせる。
僕がニルプの膝から下りた時、担いでいたニクスはぎょっとしたような顔を見せる。彼らはずっと椅子を担いでいたために頭上の様子が確認できなかった。突然僕がニルプの上に転送されてきたとは夢にも思わなかったのだろう。
「ニルプさん。実は例の双子は、今この城の中にいるんです」
「まあ。でしたら急いで歓迎の宴を…」
「いえ。それは結構です」
それどころではないもう一つの問題があるからなのだが、それは後でいいだろう。正午までは時間がある。
「大広間に待たせてあるので呼んできます」
「それでしたらわたくしも」
僕が歩き出すと、ニルプは椅子からひらりと飛び降りて僕の後を小走りでついてきた。残されたニクスらは自らの職務を全うするため、その後ろから空の椅子を担いでニルプを追う。
そんな異様な光景が大広間に至るまでの数十秒の間、繰り広げられた。
「2人ともいるか!?」
僕は半ば叫ぶようにしながら大広間に踏み込む。
「安心しなさい。ちゃんと見張ってたわ」
応えたのはノラだった。彼女の言葉通り双子は静かに大広間の椅子にそれぞれ腰かけていたのだが、
「お前たち何やってるんだ」
静かなのは決して行儀よくしているためとかではなく、口を会話以外の用途に使用していたからだ。
4人の前にあったのは一皿ではあったが皿の上には幾種類かの料理が盛り合わせれている。その香りだけで僕も涎が溢れてきた。
「おかえりなさいませニルプ様」
最初に口を開いたのはアプサラスの1人だった。
「ニルプ様は不在でしたが、新たなお客様でしたので簡単なお料理で歓迎いたしました。…問題なかったでしょうか」
俯き加減になってそのアプサラスはニルプの様子を伺いながら言う。
「ええ、わたくしが不在でもちゃんと仕事ができましたね。えらいですよ」
言ってニルプはそのアプサラスの頭に手を伸ばし、丹念に撫でていく。
俯き加減になっていたのはこのためだったのか。頭を撫でられたアプサラスの表情が瞬く間に溶けていく。
「ああ、あなた達も」
呟き、ニルプは玉座を担いでいたニクス達に向かう。
「もう椅子は戻しておいてください。部屋までは自分の足で帰ります」
「いえ、そういうわけには…」
「負傷者の手当てに手を回してください」
ニルプは自分の頭よりも高い位置にあるニクス達の頭を順に撫でていき、4人の表情を惚けさせてから僕の方へ向き直る。
「そちらのお二方が例の?」
「あ、はい。シニステル。デキステル。立つんだ」
僕の言葉に反応した双子が椅子越しに振り返ったのと、ニルプが2人の目の前まで歩いていき、頭を下げたのは同時だった。
「此度のお2人からの助力に水魔城城主として最大限の感謝をいたします」
「こたびの助力?」「何のことだ?」
「敵の軍勢を打倒してくださったことです」
2人は首をかしげる。ピンと来ていないようなので僕からも説明を加える。
「今日お前達はクラーケンを倒した後、ダゴン…でかい半魚人を倒しただろ?あれのことだ」
「ああ、あれか」「気にすんな」
「で、僕が言いたいのはクラーケンについてだ。殺しはしなかったらしいけど、危害を加えたらしいな」
「ああ、うん。足何本か切った」「とどめは刺せなかったけど」
刺せなくて本当に良かったと思う。
「あのでかい魚が横取りしに来たんだよ」「そんで途中からあっちの方と戦って」
「ちなみにお前たち、何本くらい切ったんだ?」
「「5本」」
つまり合わせて10本。
「全部じゃないか!…お前たち、そのことちゃんとニルプさんにあやま…」
「ねえ。その足って今どこにあるの?」
僕の言葉を遮ってノラが唐突にニルプに質問を投げかけた。
「10本のうち2本を敵に奪われましたが、残りの8本は全てわたくしどもが回収いたしました」
「ならその8本。治せるわよ」
「え?治せる…とは?」
「私の魔法で。ちぎれた人間の腕とかを繋げる魔法なんだけど、多分同じ生物なんだからイカにも有効でしょ」
「それは、願ってもないことでございます!」
ニルプは満面の笑みで答え、ノラの方まで駆けていき、彼女の両手を握りしめる。
「じゃあすぐに行きましょ。シニステルとデキステルも一緒に来なさい。謝るなら本人にでしょ」
「「分かった」」
こうして僕は大広間にキレネと2人残されることとなった。
「アーサー」
空になった皿を目の前に鎮座させ、キレネが口を開く
「ノラが残していったこれ、食べていいのかな?」
キレネはノラの皿の上に残った魚の切り身らしきものを指さす。
「まあ、大丈夫だろ」
人の食べ残しにまで目ざとく反応する食い意地までがとは言わないが、少なくとも取られて怒るくらいなら亜空間に転送して保存したりするはずだ。
「よかった。じゃあいただきます」
嬉々として残された数切れの焼き魚を口に放り込むキレネ。これだけ嬉しそうに食べられると作ってる方も作り甲斐がありそうだ。
「キレネ。君が食べたものって一体どこに行ってるんだ?」
「普通にお腹の中だよ」
じゃあ普通じゃないのはお腹のそのものだということか。
「でも日中そんなに運動とかしてないだろ。それでそんなに食べられるものなのか?」
「んー。育ち盛り?」
そんな年だろうか。僕と年は同じだったはずなんだが。僕も食べれば育つんだろうか。
「ねえ。ところで決闘のことなんだけど、大丈夫…なのかな?」
何とも漠然とした問いだが、彼女が聞きたいのはその問いに対する真面目な回答ではないだろう。
「大丈夫。やるのは決闘だ。殺し合いじゃない。血が流れるようなことはないさ」
「ごめんね。余計な面倒ごと引き起こしちゃって」
「君のせいじゃないよ」
多分僕でも同じ結果になっていただろう。もしノラだったら、その場で戦闘になっていたかもしれない。だからキレネが気に病む必要は全くない。
まあ、飯ものどを通らないといった風ではないのでそこまで親身に励まし続けるのも有難迷惑だろう。
「じゃあ私、お皿返してくる」
「ああ、僕も手伝うよ」
「いいよ。4枚だけだし」
「やらせてくれ。やることがないんだ」
本当に優秀な策士ならレヴィアタンを説得しに行ったりするんだろうが。それはきっと火に油を、あるいは、アルカリ金属に水を注ぐようなものだ。
皿を2枚ずつ持って厨房に向かって歩いていると、目の前にノラが現れた。ぶつかりそうになるのを寸前で回避する。
「びっくりした。突然現れるなよ。クラーケンの治療はどうした?」
「終わった。そんなことより一緒に来て。お皿はキレネに任せて早く」
促されるままに2枚の皿をキレネに託し、僕はノラと共に転送される。
転送された先は、レヴィアタンが決闘の場所に指定した城の外の平らな広場。
そこにいたのは2人。1人はニルプ。そしてもう1人は初めて見る、長髪の男だった。十中八九彼がレヴィアタンだ。
彼は他の水魔城の民とは趣の違う服装、半ズボンに前を開けた白いシャツという軽装だった。とても決闘を控えている者には見えない。
「おい!」
僕の視線を感じ取ったのか、彼は幾筋かに分かれて垂れ下がる前髪の隙間から僕を射抜くようににらみつけ、咆哮する。
「俺が連れて来いって言ったのはそいつじゃねえぞ」
唸るような、まるで何年かぶりに絞り出すような声だった。
「ねえ。落ち着いて?あなたは何も悪くない。お酒が無くなってたのはわたくしのせい。ね?一緒に帰りましょう?お酒ならこれまで通り…」
「口を挟むな!」
雑音を振り払うようにレヴィアタンは叫び、直後に咳き込む。
「もう…いらねえんだよ。優しさも、慰めも。逃げ続けたって、いつか捕まる。…決めたんだ。オレはあんなみじめな思いは二度としない…!」
「だったらわたくしと一緒に帰りましょう。あなたのことはわたくしがいつまででも守ってあげるから」
ニルプは部下達にするよりもゆっくりと、さながら猛獣に触るかのように慎重に、レヴィアタンの頭へ手を伸ばす。
「触るんじゃねえ!」
しかしレヴィアタンはそれを激しく拒み、また一段と激しく咳き込む。
「…オレは証明するんだ。…次は負けないって…もう二度とお前たちを、傷つけない…!」
ニルプは拒まれた手を再び差し伸べることはしなかった。そのニルプの脇を通り過ぎてレヴィアタンはこちらに歩み寄る。
距離にしてまだ3メートルほど離れているが、その威圧感に僕は金縛りにあったような錯覚に陥る。
「そのために必要なのはお前じゃねえ。あのエルフ達を連れて来い」
「どう、して。彼らじゃないといけないんだ」
「オレがそう決めたからだ。あの2人に勝つと。今度は必ずやり遂げると」
つまりは再戦を申し込むということか。過去の自分に。それで過去が変わるわけでも、もっと言えば未来がよくなるわけでもないのに。
「分かった。すぐに呼んでくるから待っててくれ。…と、その前に一つ。確認させてくれ」
「……」
「あの2人とするのは勝負で殺し合いじゃない。だから、彼らが降参すれば命までは取らない。そうだよな」
「ふん。別にそれで構わねえよ」
これでいい。僕ができるのはこれだけだが、しかしこれでよかった。
「ノラ。僕を城に運んでくれ。2人を呼んでくる」
僕の視界は歪められ、城の内部に転送される。
すぐさまパティの研究室を目指す。武器の準備をしているならそこにいるはずだ。
「2人とも。やっぱりここにいたか」
「王よ。一体どうしたというのだ」
「予定が変わった。今すぐ決闘らしい」
「何?今すぐ?…パティ。行けるか」
「兵器の調整は終わった。あとは詰めるだけだ」
どうやら何とかなりそうだ。
さすがに全盛期のレヴィアタンができないことを今のレヴィアタンができるとは考えにくい。
僕の知識ではレヴィアタンは頑丈な鱗を全身に纏い、剣や矢など単純な物理攻撃は効かない。さらに身の回りの水を操ることもできるという。
まあ、さっきの姿を見る限りでは頑丈な鱗は失っていそうだったが。
「流動する物質を操る者の常とう手段として、一点に絞って斬撃や刺突を行うことは考えられる。レジスタンスは着ておけよ」
「フッ。ああ、心得ているさ」
「ただし貫通しないだけであって衝撃は消えないって言うのも覚えておけよ」
まあ僕がこんなことを言う必要もないか。レジスタンスの性能を一番よく理解しているのはパティのはずだ。
そのパティはというと何やら大量の円盤を箱に詰めている。
「パティ。それは?」
「チェイサーver4。非接触型のスタンガン。敵が水を使うならこういう方法も有効なはず」
パティの言う通り、いくら防御が硬かろうと生物の体の一部であるということに変わりはない。感電させるというのは有効かもしれない。
「疑うわけじゃないんだけど、レジスタンスの撥水性って確かなんだよな?」
「安心せよ。プロトタイプと言えどその撥水性はver2にも劣らない。感電の恐れはない」
力強く言い切るパティ。その自信の満ち溢れた表情を見て僕は助言のつもりが実はお節介だったのではないかと気付かされる。
「レジスタンスの着替えはノラに魔法でやってもらえ。一刻を争う。忘れ物はないな?」
一刻を争う割には少々話し込んでしまった。しかしレヴィアタンは待っているだろう。それはつまり逃げられないということでもあるんだが。
「フッ。相手にもこちらにも不足はない」
「ククッ。万全とはまさにこのこと」
「そうか……じゃあ、行こうか」




