第1話 深淵の水魔⑲
現在の時刻は午前10時、レヴィアタンとの決闘まで残り2時間。
僕はとりあえず、どういう経緯でレヴィアタンと決闘をすることになったのかオスカーから話を聞くことにした。
「ことが起きたのは2人が飛び立って暫くしてから。空ろを抱いた器を厨房に返しに行った時のこと、突如やつは現れた」
オスカーは大げさな抑揚をつけながら語り始めた。
「やつは腐った果実のような不快な空気を纏って深淵より這い出で、こう口にした。『酒が無くなったぞ。ニルプはいないのか』給仕のアプサラスはニルプ殿が不在の旨を伝えたが、それによってレヴィアタンの機嫌は損なわれ、罵詈雑言を撒き散らしながら手に触れる全てを破壊せん勢いだった。そう。あれはさながら俺の身に宿る無限のごとく」
ここまでの話を要約すると、厨房に食器を返しに行ったオスカーとパティは偶然ご機嫌斜めのレヴィアタンに遭遇したと、そういうことか。
「それで、そのレヴィアタンを止めようとした結果、怒りの矛先をお前たちに向けられたということか?」
「いかにも。…フッ。さすがは我が王。何でもお見通しというわけか」
「まさか。何も見えてないよ」
もし何もかもお見通しなら、水魔城に来る前に城のプールに屋根を作っていた。
「しかし腑に落ちないのはレヴィアタンだな。彼は療養中だと聞いてたのに、話を聞く限りではその必要もなさそうじゃないか。酒まで呑んで」
「私が話を聞いたアプサラスによると病んでいるのは主に精神面とのこと」
「精神面…」
だったら尚更、酒は不適だと思うんだが。
「何でも急遽ニルプさんが戦線に出ることになったことが原因。本来はレヴィアタンの身の回りの世話はニルプさんがやっていたと」
「急遽?ニルプさんは本当なら海に出てなかったってことか?」
「いかにも。戦線の要たるイカなるものが戦闘不能になったことが原因らしい」
「如何なるもの?」
「イカなるもの」
ああ、クラーケンのことか。
クラーケンを倒したのは双子、双子が外に出たのは僕の不注意。つまり、僕のせいだということだ。
「分かった。今話を聞いてお前たちに落ち度がないことはよく分かった。決闘の内容について教えてくれるか?」
レヴィアタンが酒に酔っていたというのならば、うまいこと言い訳をして対決相手をノラ、シニステル、デキステルにすり替えられるかもしれない。
「いたって簡単なものだ。場所はこの城の前の広場」
「私たちが上陸した辺りのことだ」
「日時は正午、相手は右手に無限を宿す我、オスカー・テンペストと」
「その妹にして左手に虚無を宿す我、パティ・テンペスト」
うまく名乗りが成功して満足げなテンペスト兄妹だが、大事なことはまだ確認できていない。
「レヴィアタンは勝負の条件とか言ってなかったか?というかその前に、どうして戦うことになったんだ?」
話を聞いた直後は止めに入ったオスカーとパティにレヴィアタンの怒りが飛び火したと思っていたが、それなら戦闘というか喧嘩というかはその場で起こっているはず。
「あ、ごめん。それは私のせいなんだ」
この時になって今まで口を挟まなかったキレネが声を上げた。
「2人とレヴィアタンが言い争ってるのを私は見ることしかできなかったんだけど、急にあのレヴィアタンが私のことに気付いて、…人間が嫌いなのかな?ものすごい剣幕で私を睨んで、殺してやるって…」
「さすがにそれを許す俺たちではない。彼女に触れたければまずは俺を殺していけと」
「売り言葉に買い言葉というやつだ」
なるほど。確かにそれなら仕方ないな。僕でもきっと同じことを言おうとするだろう。実際に舌が回るかどうかは別として。
「で、条件は特に何も言われなかったのか?」
「条件、なのかどうかわからないが、逃げるなよ。とは言われた」
「それだけか?なら逃げずに決闘の場所まで行ってノラと交代してもらえば…」
「いや、王よ。さすがにそれはどうかと、指名されたのは俺たち。いくら決闘の場にいたとしても実際に戦わなければそれは『逃げた』と同義かと」
なるほど。道理だ。
「じゃあ2人とも戦闘には参加して助っ人として…いや、だめか」
自分で言って自分で気付く。結局メインで戦うのがノラなら逃げたと思われるだろう。
「よし。もうこうなったら仕方ない。パティ。武器の持ち込みを許可する」
「ありがたき幸せ」
「そして万全の準備をするためにも2人で城に戻るんだ。12時に決闘の場所に現れれば逃げたとは言われないだろう」
僕はノラに言って2人を城に転送させる。その時ふと気が付く。
「あれ?双子は?」
「さあ?城の中を、この城の中を探検してるんじゃない?」
「してるんじゃない、じゃない。何で野放しにしたんだ」
そうしたせいで厄介なことになっているというのに。
「今すぐ転送魔法でここに連れてきてくれ」
「連れてきてどうするのよ」
「変な事させないようにするんだよ」
ニルプが戻ってきたとき、誠心誠意の言い訳を聞いてもらうためにも城内で問題を起こさせるわけにはいかない。
転送されてきた双子はノラに見てもらうことにして僕はキレネが腰かけている隣の椅子に腰かける。
「キレネ。レヴィアタンは君を見て豹変したのか?」
「うん。あー…いや、私を見るなり。とはちょっと違うかな。何度か見られて、それから私の方へ」
「レヴィアタンと面識は?」
「ない。多分だけどね」
キレネは苦笑いを浮かべる。どういうことか分からないのは彼女も同じということか。
「きっと私が人間だったせいじゃないかな。彼は私に、『お前は人間か?』って言ったから」
レヴィアタンは魔王に敗れた。すなわち人間の代表に。ならば人間に対して敵意を抱くのも不思議ではない。手掛かりと考えるのは早計か。
「何かここに来て思い出すことはないか?見覚えのあるものとか、食べた覚えのあるものとか」
「何も。初めて見るものばかりだし、食べるものも全部初めて」
期待はしていなかったが、まったく意味がなかったとなると肩を落としたくもなる。
「その、色々ありがと」
「え?」
「今の質問、私が忘れてることを思い出させようとしてくれたんだよね」
「ああ、まあ」
「ごめんね。こんなにしてもらってるのに、思い出せなくて」
胸が痛くなるような言葉だった。僕はキレネのことを想ってではなく、自らの保身のために彼女を同伴させたというのに。
「気にすることはない。ここに連れてきたのは双子に君の面倒を見させるのは無理だと判断したからだ」
「私ってそこまで手が掛かるような子じゃないと思うんだけどなー」
キレネは笑みを作っておどけてみせる。
僕の目にはその笑みがどうしても掛け値のないものにしか見えなかった。そう考えるに足る根拠なんてどこにもないのに、彼女が邪な考えの元僕たちに引き上げられたとは考えづらくなる。
「アーサー」
僕とキレネの間で言葉が途切れるのを見計らってか、ノラが僕の名を呼ぶ。
「戻ってきたわよ。彼女」
「ニルプか?」
「ええ」
「僕を彼女達の前に飛ばしてくれ」
「アーサーだけを?」
最初から双子を出すと誤解を招く恐れがある。
「ああ、シニステルとデキステルはここで待っててくれ。あとでニルプと一緒に来るから」
「アーサーが来るまで」「待ってりゃいいのか?」
「そういうことだ。絶対に大広間から出るんじゃないぞ」
言い終わると同時に僕は転送される。大丈夫だろう。ノラとキレネがいるのだから、単純計算でどっちかがどっちかを見張っていればいいのだから。
「アーサー様?どうして…さっきまでいませんでしたよね?」
そのニルプの声は頭上から聞こえてきた。数秒して僕は状況を理解する。
転送された僕はニルプの座る玉座の上、すなわちニルプの膝の上に転送されていたのだ。
その体勢は王子様に抱かれるお姫様か、あるいは母親に抱かれる幼子か、いずれにせよ今の自分の姿を客観的に観察する気にはなれないものだった。
「す、すみません!すぐどきます!」
ノラめ。とんでもないところに飛ばしやがったな。と内心で毒づきながら僕はニルプの膝の上から下りようとするが、ニルプの両腕が僕の腰に巻き付き制止する。
「今下りるのは危険です。下りるのは椅子が止まってから」
確かにニルプの言う通り玉座は担がれ、僕の身長よりも高い位置にあった。
「あ、はい…」
「そんなことよりも、どうかなさったのですか?」
ニルプのその言葉で僕は本来の用件を思い出す。
「あの、ニルプさん戦闘の方はどうでしたか?無事に…」
「いえ」
ニルプは僕の言葉に重ねるように言い放った。
「犠牲者は数にして6名。これまでの結果と比べれば奇跡とも言える大勝です。しかし、無事などでは…決してありません」
ニルプの両腕に力がこもる。それに責められているような気になった僕は、羞恥心とは別の居心地の悪さを感じる。
「あの、クラーケンは…」
「ええ、彼も、かなりの深手を負いました。一命はとりとめましたが、回復に数年、もしかすると数十年かかるかもしれません」
僕は思わず踊りだしそうになった。クラーケンが生きていたとなると風向きは変わってくるからだ。
「あの、ニルプさん。今回突然現れた第三勢力、彼らをどう処分するつもりですか?」
しかし臆病な僕は後出しじゃんけんを敢行する。
「処分と言われましても、あの2人は戦闘が終わった頃には忽然と消えてしまいましたから」
「そうかもしれないですけど、もし仮に、万が一彼らがここに現れたらどうしますか?」
「ここに来たら、ですか?」
ニルプは少し迷うだろうと予想していた。しかしその予想はこともなげに裏切られる。
「歓迎いたします。この城に踏み入った方は誰であろうとお客様ですから」
僕は戦慄さえ覚えた。ここまでくると呑気とか無防備では済まされない。言葉の奥に何かとんでもない罠を隠しているんじゃないのかと勘繰ってしまいさえする。
もしかすると昨夜はああいっていたが、あれで本当は僕のことを洗脳しようとしていたんじゃなかろうか。そんな考えさえ鎌首をもたげ始める。
「しかしどうして急にそんなことを?心当たりがあるのですか?」
中々鋭い。思わず目を逸らしてしまったが、耳元からのその言葉は容赦なく耳に流れ込む。
僕はまだ何も言ってないが、しかし目を逸らしてしまったのはある種の肯定である。僕は覚悟を決めた。
「故意じゃないんです。致命的な手違いがありまして」
「手違い…」
「あの2人には僕たちの本拠地で留守をさせていたんです。付近で戦闘行為が確認されたため事実確認のために赴くと、見たことも無い魔物と遭遇して気が動転してしまったということらしくて」
よくもまあこんなに口が回るものだと我ながら感心する。
「そうだったのですか、アーサーさんのご身内の方でしたか」
「失われた命を返すことはできません。でも、かけた迷惑は必ず…」
「待ってくださいアーサーさん」
僕を包んでいた両腕に再び力が込められる。しかしそれは先ほどとは打って変わって優しいものだった。
「勘違いをなさっているようですね。今回の犠牲の6名を殺したのはあのお二方ではありません。先ほども申し上げた通り、犠牲が6名というのは奇跡のようなものなのです」
これまではもっと…とニルプは声を詰まらせる。
「ともかく、あなたが気に病むことなど何もないということは、分かってください」




