第2章:捨て猫だった私が、どのようにして里親に引き取られたか
「はい? 誰をお探しですか?」
扉が開き、狐耳の少女が顔を出した。
「あ、あの、俺……ジロです。兄をリタ様のところへ届けに来ました」
ジロの声は少し震えていた。
大した震えではなかったので、普通なら気づかなかっただろう。しかし、こんなに近くにいる俺には分かった。
(この野郎、彼女に惚れてやがる!)
「ああ、これが噂の赤ちゃんね!」
少女は俺を見るなり、嬉しそうに手を伸ばして抱き上げた。
柔らかな毛並みが頬に触れ、その抱擁は間違いなく心地よかった。
一方、ジロは俺から目を離さなかった。怒っているのか、それとも嫉妬しているのかは分からないが、少なくとも面白くなさそうだった。
(ふっ……見たか、兄貴)
俺は彼の方を向き、赤ん坊の特権を最大限に利用することにした。
~バブ!
俺はジロに向かって、これ以上ないほど得意げな声を上げた。
(不公平だと分かっている。だが、こんな状況でもなければ、こいつに自慢する機会なんてないだろう?)
「さあ、赤ちゃん。リタ様に会う時間よ。ちょっと不機嫌な人だけど、怖がらないでね?」
少女はそう言って、俺を抱いたまま建物の中へ入っていった。
俺は肩越しに後ろを振り返った。
すると、招待もされていないのに、ジロが当然のようについてきていた。
(……あれ? 帰らないのか?)
彼は時々、前方をちらちらと見ていた。
いや、正確には少女の方を見ていた。
(分かった……俺を見ているんじゃない。少女の尻を眺めているだけだ)
~あ……あ。
俺は新しい声を出せるようになっていた。まだ「~バブ」を完全に卒業したわけではないが、これは明らかな進歩だった。
しかも、今の声は嘲笑に一番近い。
(ははっ! 兄貴、残念だったな!)
俺は心の中で勝ち誇った。
歩きながら、俺は酒場の内部を観察した。
広い空間にはテーブルがたくさん並んでいたが、椅子はそれほど多くなかった。豪華さとは無縁の内装で、カウンターの後ろにはさまざまな瓶が並んでいる。
客層は思ったよりも落ち着いていた。ただし、酒場らしく、ビールの匂いが多少漂っていた。
(ふむ……普通の酒場って感じだな)
少女は俺を抱いたまま、奥へ進んでいった。
階段に差しかかったところで、彼女はようやく後ろを振り返った。
「……あら? まだいたの、坊や?」
どうやら、今になってジロの存在に気づいたらしい。
「えっ? あ、いや、その……」
ジロは少し照れた様子で、何と答えればいいのか分からないようだった。足をもじもじさせるばかりで、まともな返事もできない。
(兄貴……お前、さっきまであんなに堂々としていたのに)
少し恥ずかしくなったが、それでも弟として兄を助けてやることにした。
~バブ! ~バブ!
俺はジロに向かって両腕を伸ばした。
人生で二番目に恥ずかしい瞬間だった。
(くそ……俺は何をやっているんだ……)
「あら! 弟が恋しいの? なら……」
少女は俺をジロの腕に渡した。
「リタ様を探している間、弟を抱いていてあげて」
ジロは素早くうなずいた。
その反応の速さだけは見事だった。
少女はそんな彼の髪を優しく撫でた。
「弟をちゃんと守るのよ。分かった?」
彼女はしゃがみ込み、ジロと同じ目線になって微笑んだ。
その瞬間、ジロの顔がトマトのように真っ赤になった。
(……ああ、これは重症だな)
俺は兄の腕の中で、心の中だけでため息をついた。
少女は満足そうに立ち上がると、再び階段を上り始めた。
俺たちもその後に続いた。
階段を上るたび、古い木の板が小さな音を立てた。
一階の酒場から離れるにつれて、周囲の騒がしさが遠のいていく。代わりに、二階の熱気が肌にまとわりついてきた。
(……二階はずいぶん暑いな)
やがて廊下に出た。
そこは思っていたよりも広く、左右には六つの部屋が並んでいた。さらに奥には、上の階へ続く階段も見える。
扉は比較的新しく見えたが、床には目立つ傷がいくつもあった。それでも、掃除はきちんとされているようだった。
「ここよ」
少女は階段の近くにある部屋の前で立ち止まり、扉を開けた。
その瞬間、俺は思わず目を見開いた。
部屋の中は、ここまで見てきた酒場の質素な内装とはまるで違っていた。
大きく、手入れの行き届いたクッション付きのベッド。部屋の中央には大きな窓があり、その近くには小さな机が置かれている。銀か何かでできているようなランプもあった。
ただし、床には大量の服が散乱していた。
(……なんだ、この部屋? 家具は立派なのに、服はどうしてこんなことになっているんだ?)
少女はそんな惨状を気にする様子もなく、部屋の中へ入った。
「リタ様! 新しい弟子が来ました!」
彼女は大きな声で呼びかけた。
俺は部屋の中を見回した。
……誰もいない。
「リタさんは……ここにいるんですか? 出かけているとか?」
ジロが不思議そうに尋ねた。
しかし、少女はその質問に答えなかった。
代わりに、床に積み上がった服の山へと歩いていった。
そして、その一つを片っ端からどかし始めた。
「師匠! 弟子が来ました!!」
「え、もう? ああ……」
服の山が動いた。
その下から、一人の少女がゆっくりと起き上がった。
エルフだった。
(くそ……本当にエルフだ……!)
俺は彼女の姿をじっくりと観察した。
(もっと大柄で、胸も大きいのを想像していたんだが……)
「私の弟子はどこ?」
エルフの少女は眠そうに目をこすりながら、周囲を見回した。
裸足で、服装もお世辞にも優雅とは言えない。
どうやら、さっきまで服の山の下で寝ていたらしい。
(……まあいい。俺を弟子として受け入れてくれるなら、エルフの住む場所への切符になる! エルフの少女たちに囲まれる生活……!)
俺は未来への希望を膨らませた。
~バブ! ~バブ!
注目を引こうと必死にもがいたが、ジロは俺をしっかり抱いていて、簡単には離してくれなかった。
「落ち着いて、エリーゼ。先生があなたを見てるよ」
ジロの言葉を聞いたエルフの少女は、ようやく俺に目を向けた。
「……このおたまじゃくしが私の弟子だって?」
彼女は俺に近づき、両手で受け取ると、頭から足先までじっくりと観察した。
「ちょっと可愛いくらいで、特別なところはないわね」
「すみません、リタ様。この子は女の子じゃなくて男の子です……」
ナルミと呼ばれた狐耳の少女は、床に散らばった服を拾いながら訂正した。
~バブ!
(そうだ! 俺は男だ!)
俺は力強く声を上げた。
「少なくとも才能はある! よし……」
リタは何かを思いついたように顔を上げると、俺を抱き直した。
そして、ジロに向かって尋ねた。
「それで、ガキ。お前はここで何をしてる?」
「あ、あの……弟を置きに来たんです!」
ジロは緊張しながら答えた。
俺は兄の顔を見た。
相変わらず、少女を前にすると落ち着きがない。
(……こいつ、本当に大丈夫なのか?)
「ふーん、まあいいわ。もう出て行って!!」
リタは興味を失ったように言い放った。
「えっ? あ、はい!」
ジロは慌てて返事をした。
ナルミはそんな彼を促し、二人そろって部屋を出ていった。
扉が閉まると、部屋は急に静かになった。
リタは俺を抱いたままベッドへ向かい、柔らかな寝具の上にそっと下ろした。
「聞きなさい、坊や」
彼女は俺の顔をのぞき込んだ。
「私の言葉が分からないかもしれないけど、これからここで暮らすのよ。必要なことは全部教えてあげる。それに、少しの魔法もね」
彼女は胸を張った。
「あなたは私の専属……私の弟子よ。誇りに思いなさい!」
(……何を言っているんだ、この人は)
俺は彼女の顔を見つめた。
つまり、子供の頃から働かされるということだろうか。
……いや、待て。
少なくとも魔法を学べるのなら、悪い話ではないかもしれない。
~バブ! ~バブ! ~バブ!
俺はとりあえず、元気よく返事をした。
「分かったみたいね、小さな子!」
リタは満足そうにうなずいた。
「じゃあ、今からベッドを作るわ」
(……ベッド? もうあるだろう?)
俺が疑問に思っている間に、彼女は窓の方へ歩いていった。
窓を開け、外に向かって声を張り上げる。
「おい、木! ベッドを寄越しなさい!」
……は?
次の瞬間、窓の外から木の枝が伸びてきた。
枝は窓をくぐり抜け、床にいくつかの枝を置くと、そのまま引っ込んでいった。
「おい、ケチな木! 組み立てろって言ったのに、枝だけ置いてくなんて!!」
リタは窓の外に向かって文句を言い始めた。
(……木と喧嘩している?)
俺は彼女の様子を見ながら、ふと別のことを考えた。
このベッドから、自力で降りることはできるだろうか。
高さはかなりある。普通の赤ん坊なら、降りようと考えることすらしないだろう。
だが、俺は普通の赤ん坊ではない。
少なくとも、中身は大人なのだ。
(……よし、やってみるか)
俺は慎重に体を動かし、ベッドの端へと近づいた。
そして、シーツをしっかりとつかんだ。
少しずつ体を下ろす。
足が宙に浮いた。
(よし……このまま……)
しかし、腕に力が入らない。
指が少しずつ滑り始めた。
(おい、待て……これはまずい!)
もう駄目かと思った、その瞬間。
足が床に触れた。
(……え?)
恐る恐る下を見ると、足元には枝でできた台があった。
どうやら、さっき木が置いていった枝が、いつの間にか俺の下へ移動していたらしい。
「ふーん、降りられるのね……驚いた」
リタは俺を見て、少し感心したように言った。
「でも、もうやらないで。坊や」
枝がふわりと浮かび上がり、俺の体を持ち上げると、そのままリタの腕へと運んだ。
(……魔法って便利だな)
俺は素直に感心した。
「さて……」
リタは俺を抱いたまま、窓の外へ目を向けた。
「アウラ、そこにいる?」
すると、窓から小さなトラ猫が入ってきた。
「ニャー」
(……猫?)
リタは猫に向かって話しかけた。
「聞いて、アウラ。この子を見守るのを手伝ってくれる? 手伝ってくれたら、この子に人間の体を作らせてあげるって約束する」
(……は?)
俺は彼女の顔を見つめた。
一瞬、頭がおかしいのかと思った。
だが、すぐに考え直した。
(……いや、待て。木が返事をする世界なんだ。猫が人間の言葉を理解したって、おかしくはないか)
「ニャー、ニャー!」
猫は喉を鳴らしながら、俺のところへやってきた。
「完璧!」
リタは満足そうに笑った。
「これで歩けるようになるまで、私の負担を減らせるわ。じゃあ、ナルミと話しに行くわよ。アウラ、運んで!」
彼女は俺をアウラの背中に乗せた。
小さな猫は俺を落とさないように支えながら、階段へ向かって歩き始めた。
(……俺、猫に運ばれているのか)
複雑な気分だったが、今の俺にはどうすることもできない。
階段を下りていくと、一階の酒場では何人もの客が食事をしたり、酒を飲んだりしていた。
その中の一人が、俺たちに気づいて声を上げた。
「おい、リタ。動く赤ん坊でも作ったのか? それとも何だ、あれ?」
若い男が、ウサギ耳の少女の隣で食事をしていた。
~バブ! ~バブ! ~バブア!
(王の前にひざまずけ!)
俺は彼に向かって声を上げた。
「黙れ、ハイド。この子は私の弟子だ。近づくことは禁止する!」
リタは即座に言い返すと、俺を抱き上げた。
そして、酒場のテーブルへ向かい、そこに俺を座らせた。
見覚えのある顔があった。
ジロだ。
彼はテーブルでミルクを飲んでいた。反対側ではナルミがテーブルを拭いている。
(……おい。まだ帰っていなかったのか?)
リタはジロの向かい側に腰を下ろした。
「ナルミ、今日からあなたと私とアウラでこの子の面倒を見る」
それから、彼女はジロへと目を向けた。
「……おい、ガキ。この赤ん坊の名前は何だ?」
リタは、ミルクを一気飲みしているジロに尋ねた。
(……あれ、ほぼ一リットルくらいあるんじゃないか?)
俺がそんなことを考えていると、ジロは平然と答えた。
「エリーゼ。あのうんち製造機の名前はエリーゼだ!」
彼は恥ずかしげもなく俺を指さした。
~バブ!
(この野郎!)
俺は彼を叩こうとした。
しかし、腕が短すぎて届かない。
(くそ……!)
諦めかけたとき、近くにスプーンがあることに気づいた。
俺はそれをつかみ、ジロに向かって投げつけた。
その瞬間、スプーンからかすかな火花が散った。
ジロはあっさりと攻撃をかわした。
(……ちっ。避けやがった)
他人の後をついていく以外に才能のない兄のくせに、こういうときだけは反応がいい。
「それだ!」
リタが突然、大声を上げた。
彼女は床に落ちたスプーンを拾い上げ、興奮した様子で観察した。
「見て、ナルミ! これは錬金術よ、しかも高級な!」
スプーンの片側は、わずかに溶けていた。
「本当ですか? 火の魔法か何かだと思いますけど……」
ナルミは疑わしそうにスプーンを見つめた。
それから、俺の前に小さなカップを置いた。
中にはミルクが入っていた。
(……おお、ミルク!)
俺は喜んで手を伸ばした。
しかし、カップをつかむことはできても、それを口まで運ぶことができない。
まして、液体をこぼさずに飲むなんて不可能だった。
(……くそ。体が赤ん坊なのが、こんなに不便だとは)
「違う! 私は錬金術かどうか、よく分かる!」
リタは自信満々に言い切った。
「この子は……私の切符になる!!!」
彼女は狂ったように笑い始めた。
「泣け、くそタカヒロ!」
(……誰だよ、タカヒロって)
俺は呆れながら、テーブルの周囲を見回した。
誰も彼女の言動を気にしていなかった。客たちは食事や会話を続けている。
そのとき、酒場の奥の隅に、一人で座っている人物が目に入った。
ローブをまとい、杖を手元に置いている。
(……あいつは何者だ?)
詳しいことは分からない。
だが、あの格好からして、魔術師なのだろう。
俺はその人物をしばらく観察していた。
この世界には、まだ俺の知らないことが山ほどある。
魔法、錬金術、そして……俺自身の才能。
(……まあ、少なくとも退屈することはなさそうだ)
そう考えながら、俺はミルクの入ったカップを見つめた。
……やっぱり、自分で飲めるようになりたい。
°°°°°°°°°°°°°° 城にて °°°°°°°°°°°°°°°°°°°°
一方、その頃。
酒場から遠く離れた城では、ある重大な話し合いが行われていた。
豪華な広間の中、一人の女性が王の前に立っていた。
彼女の言葉を聞くため、王は黙って耳を傾けていた。
「生まれるのは女の子……時空を通して見える。彼女の才能は帝国の歴史で最も大きい。しかし!」
予言者はそこで言葉を切った。
王は五番目の妻を抱きしめたまま、次の言葉を待っていた。
「彼女には忠実な僕が必要です。三歳から七歳の、女の姿をした若い魔術師。性別が分からないほどでなければならない……」
予言者の声が広間に響いた。
「彼は彼女と共にいなければならない……出会い、支え合い、友となり、信頼が最大になったとき、少年は生贄にされなければならない!」
その瞬間、予言者の魔力が部屋にあふれた。
あまりにも強大な力だった。
金色の光が広間全体を侵食し、そこにいた者たちを圧倒した。
「そうすれば、彼女は選択する。鎖に逆らって全力であの少年を探すか……あるいは女王となり、厳しく統治するか……」
予言者は王をまっすぐに見つめた。
「どちらの運命も、彼にかかっている……」
その言葉を前に、王は何と答えるべきか分からなかった。
彼女は、王が長い間待ち望んでいた後継者だった。
王国を永遠の栄光へ導く者。
しかし、その未来のために、罪のない少年を犠牲にできるのだろうか。
疑念が王の心を蝕んだ。
どう決めるべきか、分からなかった。
そのとき、隣にいた妻が王の目をのぞき込んだ。
「やりなさい、愛しい人……私のために」
彼女の声は優しかったが、その言葉には強い意志が込められていた。
「私の娘、あなたがそれほど望んだ娘が天を征服できるように……彼女の隣で、一人の平民など何だというの?」
妻は王の手を握った。
「私の面影を持つ子孫が、遠い未来に天を征服する。それがあなたの夢ではなかったの?」
王は彼女の目を見つめた。
あの美しい、血のように赤い目。
やがて王は目を閉じた。
子供たちの顔が浮かんだ。
両親の顔も。
そして、自分がこれまで歩んできた道を思い返した。
しばらくの沈黙の後、王はゆっくりと目を開いた。
「……実行する」
その声は、広間にいた者たち全員に聞こえた。
「兵士たち! 王国中を捜し、予言者の特徴に合う者を見つけ出せ! 成功した者には爵位と富を与える!」
命令を受けた銀騎士たちは、一斉にひざまずいた。
そして、声をそろえて叫んだ。
「国王と皇族に栄光あれ!」
°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°° 噂 °°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°°
その夜以来、王国では奇妙な噂が広がり始めた。
王国の守護者たちは、予言者の言葉に合う子供を探し続けているという。
貴族も平民も、皆が我が子を差し出した。
しかし、誰一人として条件を満たすことはできなかった。
ある者は、自分の娘を男装させて差し出した。
だが、すぐに見破られ、投獄された。
それから二年が過ぎた今も、衛兵たちは予言に出てきた少年を探し続けている。
王国中の子供たちを調べ、あらゆる動きを見張りながら……。




