第七話:下町の英雄と、崩壊寸前の王立聖騎士団
「はい、イチさん! ゲラルトさん! 揚げたてのエルフ豆と、冷え冷えのエールよ!」
夕暮れ時の下町にある居酒屋『カツコマ』。
看板娘のサホが、元気いっぱいの笑顔とともに冷えたジョッキをテーブルに置いた。悪徳辺境伯の支配から解放された下町は活気を取り戻し、店は連日、隙間もないほどの大繁盛を見せている。
「いやあ、サホちゃん、いつもありがとうねぇ。やっぱり、この仕事終わりの一杯のために生きてるようなもんですわ」
俺――イチは、愛用の仕込み杖を壁に立てかけ、美味そうに黒エールを喉に流し込んでいた。
「全くだ。イチにこの不治の病を完治させてもらってから、酒が五臓六腑に染み渡る。これほど贅沢なスローライフは他にないな」
隣の席で笑うのは、元王宮筆頭騎士のゲラルトだ。かつては吐血しながら孤独に戦っていた天才魔剣士も、今ではすっかり健康体になり、俺の貴重な「エールの飲み友達」として下町に馴染んでいた。
だが、そんな居心地の良い空間に、泥靴で踏み込んでくる極めて不快な足音が近づいているのを、俺の【限界値】に達した聴覚スキルはすでに捉えていた。
バリーーーン!!!
「おいおい! 平民の掃き溜めが随分と賑わってやがるな! ――おい、盲目の木偶の坊、そこにいるのは分かってんだよ!」
店のドアが乱暴に蹴破られ、金属鎧をガチャガチャと鳴らしながら入ってきたのは、白銀の鎧を纏った4人の男たち。
彼らの胸当てには、王都の守護者たる『王立聖騎士団』の紋章が刻まれていた。
先頭で傲慢に鼻を鳴らしているのは、かつて「目が見えない無能の障害者」とイチを罵り、退職金も無しで最悪な形で追放した、聖騎士団のエリート副団長・ラウルだった。
(……やれやれ。随分と下劣でゲスな足音が帰ってきたねぇ)
イチはジョッキを持ったまま、眼帯の奥の目を動かさずにため息をついた。
実は今、王立聖騎士団は未曾有の崩壊危機に陥っていた。
魔王軍の超一級暗殺部隊『幻影の牙』が王都の防衛網を突破し、次々と貴族たちを暗殺していたのだ。彼らの持つチートスキル『気配隠蔽』は、視覚や魔力探知を100%無効化する。エリートを気取っていた聖騎士団は、敵の姿すら捉えられずに任務失敗を連発。王宮からの評価は地に落ち、団長は失脚寸前、ラウルたちもクビ寸前まで追い詰められていた。
そこで彼らが思いついたのが、あまりにも下劣な『名案』だった。
「ひゃはは! 見ろよ、本当にこんなドブネズミの街で、盲目の乞食みたいに酒を飲んでやがる!」
「おい、イチ。ありがたく思えよ? 聖騎士団が、お前みたいな『無能の障害者』をもう一度拾ってやるって言いに来てやったんだからな!」
ラウルたちはイチを囲み、下品にゲラルトが頼んだ料理を勝手につまみ食いしながら、嘲笑混じりに書類を叩きつけた。
「おい、イチ。お前に『特別任務』をやる。魔王軍の暗殺部隊を引きずり出すために、お前が王都の広場で『無防備な囮』として突っ立ってろ。目が見えねえんだ、いつどこから首をはねられるか分からねえスリルを楽しめるだろ? ひゃははは!」
「……囮、ですか?」
イチが静かに問いかける。
「そうだ! 姿の見えねえ魔王軍も、お前みたいな盲目が無防備に歩いてりゃ、真っ先に殺しに現れるはずだ! お前が惨めになぶり殺しにされてる間に、後ろから俺たちエリートが魔王軍を仕留めて手柄にする! 団長失脚を防ぐための捨て駒になれるんだ、面汚しのお前にはお似合いの栄誉だろぅ!?」
ラウルは下劣に顔を歪め、サホのいるカウンターをバンバンと叩いた。
「感謝しろよ? お前が死んだら、この居酒屋の小綺麗な小娘に、香典代わりに銀貨3枚くらいは恵んでやるからよぉ!」
あまりにもゲスで、反吐が出るほど自己中心的な理屈。自分たちの無能を隠すために、追放した障害者を身代わりにして死なせようというのだ。
サホが恐怖と怒りで震え、イチが仕込み杖に手をかけようとした、その瞬間。
ドゴォン!!!
「――おい。他人の店で、随分と汚い生ゴミが吠えているな」
凄まじい威圧感とともに、ゲラルトがジョッキを叩きつけた。石畳の床にピキピキと亀裂が入るほどの、全盛期を超えた元王宮筆頭騎士の圧倒的な魔力圧。
ラウルたちが一瞬で顔を青ざめさせ、ガタガタと震えながらゲラルトを振り返った。
「ゲ、ゲラルト……元王宮筆頭騎士様!? な、なぜ貴方のようなお方が、こんな下町の汚い居酒屋に……!」
「私はこの店を、そして私の命の恩人であるイチを心から愛している。……無能な聖騎士団の猟犬どもが、これ以上彼を愚弄するなら――」
ゲラルトは立ち上がり、腰の魔剣の柄に手をかけた。ただの一睨み。しかしそこから放たれたのは、かつて数多の魔王軍の幹部を屠ってきた『戦鬼』の絶対的な殺気だった。
「――お前たちの首を、今ここで全員分、胴体からおさらばさせてやってもいいんだぞ?」
「ひ、ひえぇぇぇっ!?」
「ま、魔剣士ゲラルトが、なんで盲目の無能を庇うんだよぉ!」
ラウルたちはあまりの恐怖に腰を抜かし、股間を抑えてガタガタと震え出した。
「お、覚えてろよ! 聖騎士団に逆らったんだ、お前ら全員、ただじゃ済まさねえからな!」
ラウルたちは下劣な捨て台詞を吐きながら、文字通り尻尾を巻いて、転がるように『カツコマ』から逃げ出していった。かつてイチを無能と笑ったエリートたちが、下町の酒場で恐怖のあまり涙目になって敗走する、最高にスカッとする『ざまぁ』の前哨戦だ。
「……ふぅ。騒がせてすまなかったな、サホちゃん。イチも、手を出さなくて良かったのか?」
ゲラルトが魔剣から手を離し、いつもの表情に戻る。
イチは冷え切ったエールをごくりと飲み干し、フフッと不敵に笑った。
「いやあ、ゲラルトの旦那、お見事でしたな。……まあ、あいつらには、近いうちに『本当の無能がどちらか』、世界の広さを教えてやりますから。今は美味い酒を飲みましょう」
「もう、イチさんもゲラルトさんも、格好良すぎるわよ! はい、お騒がせのお礼に、エールのお代わり、特大サイズで持ってくるわね!」
サホの明るい声が響き、下町の夜は再び温かい活気を取り戻した。
聖騎士団の崩壊がすぐそこまで迫っていることも、魔王軍の隠密が動き出そうとしていることも知らずに、最強の二人は今夜も呑気にジョッキを傾けるのだった。




