第三話:吐血の天才魔剣士と、盲目の鍼灸師 〜酒と魔力治療〜
「はい、イチさん! 特製のエルフ豆と冷えたエールよ!」
下町の『居酒屋・カツコマ』。
看板娘のサホちゃんが、弾むような笑顔でジョッキをテーブルに置いた。
カジノを実質お取り潰しにして持ち帰った金貨の山のおかげで、店は見事に借金を完済。それどころか、仕入れの質も上がって店は連日大繁盛だった。
「いやあ、ありがたいねぇ。やっぱり美味い酒と美味い飯のために生きるのが一番さ」
俺――イチは、相変わらず壁に仕込み杖を立てかけ、呑気にエールを煽っていた。
だが、その時。居酒屋の重厚なドアが静かに開き、一人の男が足を踏み入れてきた。
途端に、店内の喧騒がピタリと止まる。
(……ほう。こいつは、とんでもないのが来たねぇ)
脳内3Dマップを展開するまでもない。男が纏う、あまりにも濃密で、そしてあまりにも『歪んだ』魔力のプレッシャーが、店の空気を一瞬で凍りつかせたのだ。
男の名はゲラルト。かつて王宮の筆頭騎士でありながら、現在は悪徳ギルド『鉄の蠍』のボスに、イチを消すための用心棒として最高額で雇われた孤高の天才魔剣士だった。
ゲラルトは鋭い眼光を走らせ、カウンターの隅、俺の隣の席へと無言で腰掛けた。
「……エールを。それと、強い蒸留酒をくれ」
「は、はいっ!」
サホちゃんが怯えながら酒を注ぐ。
ゲオルグは酒を受け取ると、一気にそれを煽った。しかし、直後。
「――がはっ!? げほっ、ごほっ……!」
ゲラルトが激しく咳き込み、カウンターにドバッと大量の鮮血を吐き出した。
「きゃあああ!? 大丈夫ですか!?」
サホちゃんが悲鳴を上げる。
ゲラルトは胸を押さえ、苦しげに息を荒げながら、自嘲気味に口元の血を拭った。
「気にするな……いつものことだ。呪われた『魔力逆流症』……。この身体も、もう長くは持つまい……」
魔力逆流症。体内の魔力回路が暴走し、己の肉体を内側から破壊する、この世界の不治の病だ。ゲラルトが汚れ仕事に手を染めているのも、この病を一時的に抑える高額な魔導薬の代金を稼ぐためだった。
俺は隣でその呼吸音、そして彼の体内を巡る「ぐちゃぐちゃに絡まった魔力の流れ」を耳と気配察知で完全に捉えていた。
「いやあ、お兄さん。ずいぶん酷い凝り(魔力詰まり)方ですな。これじゃあ、剣を振るどころか、息をするのも地獄でしょう」
「……何だと? 盲目の男が、私の何が分かると言うのだ」
ゲラルトが、鋭い殺気を込めて俺を睨みつける。
「まあまあ、目が見えない分、人一倍『身体の歪み』には敏感でしてね。ちょっとしたマッサージ(治療)だと思って、力を抜きなさい」
俺はそう言うと、立ち上がり、ゲラルトの背後に回った。
そして、前世の鍼灸師としての知識と、今世でカンストした魔力制御スキルを組み合わせ、左手の指先でゲラルトの背中にあるいくつかの『魔力経絡』を、トントンとリズミカルに突いた。
「なっ、何をする――ッ!?」
ゲラルトが拒絶しようとした、その瞬間。
「――え?」
ゲラルトの目が見開かれた。
イチの指先が触れた瞬間、体内で狂ったように暴走し、内臓を焼きちぎろうとしていた魔力の奔流が、まるで嘘のようにピタリと静まり、驚くほど滑らかに全身へと流れ始めたのだ。
細胞の一つ一つが歓喜の声を上げるような、圧倒的な解放感。激しい胸の痛みは完全に消え去り、視界が驚くほどクリアになっていく。
「バカな……!? 王宮の最高峰の聖治癒術師ですら、一時的に抑えるのが限界だった暴走を……指先ひとつで、完全に制御しただと……!?」
ゲラルトは己の手のひらを握り締め、驚愕の表情で振り返った。
「いやあ、少しツボを押して、体内の魔力の渋滞を整えただけですよ。これでしばらくは、血を吐くこともないでしょう」
俺はフフッと笑い、自分の席に戻って再びジョッキを持った。
ゲラルトは、目の前の盲目の男をじっと見つめた。
佇まいは、ただの冴えない下町のおじさんだ。しかし、先ほどの神業のような魔力制御、そして、一切の隙が見当たらないその立ち居振る舞い。
(この男……ただのマッサージ師ではない。もしや、私が首を獲るよう命じられている、例の『盲目の化け物』か……?)
一方の俺も、ゲラルトの体内の魔力が整ったことで、彼が発する「洗練された一撃必殺の剣気」を正確に感じ取っていた。
(ほほう、このお兄さん、本物の天才魔剣士だねぇ。まともにやり合えば、王立聖騎士団の団長なんて一瞬で首が飛ぶぞ)
お互いが「こいつ、ただ者ではない」と完全に察知しながらも、それを口には出さない。
ゲラルトは静かに口元を緩め、自分のジョッキを俺の前に差し出した。
「……素晴らしい腕前だ、マッサージ師殿。礼を言う。治療費の代わりに、今夜は私が酒を奢ろう」
「おっと、そいつはありがたい。それじゃあ、遠慮なく一番高いエールをいただきましょうかねぇ」
――カチン。
二つのジョッキが心地よい音を立てて合わさる。
素性を隠したまま、裏社会の最強の二人が、美味い酒を酌み交わす。そこには、言葉にせずとも通じ合う、奇妙で、そして熱い男の友情が芽生え始めていた。
だが、そんな平穏を破るように、店の外から下劣な足音が近づいてくるのを、俺の耳はすでに捉えていた――。




