第十九話:魔王軍の最高幹部、ついに動く 〜サホ誘拐の本当の理由〜
「ククク……ついに見つけたぞ。あの居酒屋の裏庭に眠る、神話の遺産をなぁ」
不気味な紫色の月が王都を照らす夜。下町の居酒屋『カツコマ』を見下ろす高台に、陽炎のようにゆらめく漆黒の影が佇んでいた。
その男こそ、視覚や魔力、世界のあらゆる探知術から100%その気配を抹消できるチート固有スキルを持つ、魔王軍の最高幹部にして伝説の魔王――『虚無の王』ヴァルガスであった。
彼が直属の精鋭隠密部隊を引き連れてわざわざ王都へ降臨したのには、極めて明確かつ下劣な動機があった。
魔王軍の狙いは、サホの家に代々それとは知らずに受け継がれ、彼女の作る美味いエルフ豆の料理に使われていた、伝説の聖遺物――『神話級の最高級エルフ豆の苗』だったのだ。この苗から抽出される無限の聖魔エネルギーこそが、世界を滅ぼす魔王軍の超巨大最終兵器を完全起動させるための、唯一の燃料だったのである。
「最高幹部ヴァルガス様。すでに下級隠密どもが誘拐に失敗しております。あの店にいる片目の盲目ジジイ……『イチ』という男、ヤンセン辺境伯や聖騎士団を歩くだけで全滅させた本物の化け物です。正面から戦うのはあまりに危険かと」
部下の言葉に、ヴァルガスは歪んだ顔で下劣なゲス全開の高笑いを上げた。
「ハハハ! 恐れるな、無能どもが! どれほど神話級の強さを持っていようが、所詮は人間の平民だ。我ら魔王軍の頭脳を舐めるなよ?」
ヴァルガスは下品に舌を伸ばし、サホの寝室がある『カツコマ』を指差した。
「あの盲目の化け物と正面から戦えば、確かに我が魔王軍とてタダでは済まんだろう。だが、あの男の唯一の憩いの場である『カツコマ』を、そしてあの小娘を人質に取ればどうだ? 弱者を守る正義の味方気取りの奴だ、自分のせいで女や下町の平民どもが八つ裂きにされるとなれば、必ず絶望して無抵抗のまま魔剣を捨てる! そこをなぶり殺しにしてやればいいのだ、ひゃははは!」
「ひゃっはー! さすがヴァルガス様! 下劣で最高の作戦ですぜ!」
「今度は小娘一人ではない。王都全土の平民どもに【呪いの起爆魔導陣】を仕掛けて人質にしてやる。あのジジイが逆らった瞬間、王都中の子供や平民が内側から爆発して四肢を撒き散らすのさ、ケケケッ!」
魔王軍の最高幹部たちは、正面突破のリスクを徹底的に避け、弱点であるサホ、そして王都全土の命を人質に取るという、反吐が出るほど理不尽で下劣な計算で動いていた。彼らは姿を消したまま王都全土を包囲し、夜空に禍々しい滅びの術式を展開し始めた。
◇
その頃、居酒屋『カツコマ』の店内。
「……やれやれ。今度は随分と、世界規模で下品なドブネズミの匂いが王都を包み込んできたねぇ」
カウンター席で、俺――イチは、静かにエールのジョッキを置いた。
壁に立てかけた木製の仕込み杖を取り落とすことなく左手で握り直すと、眼帯の奥の目を動かさずにふっとため息をついた。
【限界値】に達した聴覚スキル『世界樹の根』の前では、魔王軍がどれほどチート気配隠蔽で姿を消そうとも無駄だった。王都全土の地面に仕掛けられていく下劣な魔導陣の脈動音、サホのエルフ豆の苗を奪う算段を立てる最高幹部の醜い呼吸音、そして「ジジイをどうやって無抵抗にしてなぶり殺そうか」というゲス極まりない妄想のノイズが、俺の耳にはすぐ隣で囁かれているかのように100%筒抜けだったのだ。
「……イチ。この不気味な魔力の脈動は……魔王軍の最高幹部が、本気でこの街を、サホちゃんを狙っているな」
隣の席のゲラルトが、全盛期を超えた冷徹な魔剣に手をかけ、鋭い殺気を放った。
厨房で明日の仕込みをしていたサホも、外のただならぬ空気に「イチさん、ゲラルトさん……空が紫色に変色していくわ……」と不安げに身体を震わせる。
「サホちゃん、大丈夫ですよ。お前たちの『くだらねえ下劣な足音』は、すでに全て聴こえていますからねぇ」
イチは仕込み杖を両手で深く握り込んだ。
彼らが弱点だと蔑んだ下町の小さな居酒屋から、今、世界を容易く震撼させるほどの、絶対的な黄金の神聖魔力が立ち上る。
「サホちゃんの美味しいエルフ豆の苗を、最終兵器の燃料にしようなんて……。あんたたち魔王軍の命をすべて掻き集めても、お釣りが出ないほどの重罪ですよ」
イチの『人情スイッチ』が完全に臨界突破し、盲目の最強元聖騎士の眼が、暗闇の中で静かに、かつ致命的な鋭さで『敵のすべて』を捉えた。
魔王軍が誇る最高幹部への、究極の制裁劇の幕が、静かに上がろうとしていた。




