第十八話:帝国の暗殺者、最強の「骨盤矯正」で逝く
「ええい、忌々しい! あのクソ盲目のジジイめ、我がバルサス帝国の誇るリヴァイアサン号の資金をすべて毟り取り、あまつさえ我が騎士団の精鋭を全員裸にして川に放り込むとは……!」
王都の片隅に設営されたバルサス帝国軍の進駐天幕。
すっかり一文無しになり、下着だけを現地調達してかろうじて生き恥を晒している帝国騎士団長は、机を血が出るほど叩いて激怒していた。カジノ船の破産により本国への言い訳が立たなくなった彼は、もはや正気を失い、裏社会の最も陰惨な『切り札』を動かすことを決意していた。
「おい……『狂犬』。起きてるな」
天幕の影から、ぬらりと姿を現したのは、人間とは呼べないほど歪んだ魔力を放つ男だった。バルサス帝国の裏の暗殺部隊に所属し、快楽殺人と拷問だけを生きがいとする超一級の刺客――『帝国の狂犬』こと、ガイルである。
「ヒャハッ……! 呼んだか、団長様ァ? あのジジイの首を獲ってくればいいんだなァ?」
「ただ殺すだけでは生ぬるい! 奴に関わる下町の平民どもに、帝国に逆らった本当の恐怖を植え付けるのだ。まずはあの居酒屋の娘を奴の目の前でなぶり殺しにしろ。奴が絶望し、涙を流して命乞いをしたところで、四肢を一本ずつ切り刻んでドブ川へ叩き落としてやるのだ!」
「ケケケッ、いい教育(拷問)になりそうだ! 泣き叫ぶ女のツラを想像するだけで、今からゾクゾクするぜぇ!」
ガイルは下劣に舌を伸ばして愛用の毒化魔刃をペロペロと舐め、常軌を逸した狂気を孕んだ目で下町へと向けて闇に消えていった。
◇
深夜、下町の居酒屋『カツコマ』。
店の営業はとっくに終わり、看板娘のサホも、エールを飲みすぎて泥のように眠りこけたゲラルトも、それぞれの部屋で深い眠りについていた。
しんと静まり返った店内のカウンター席で、俺――イチは、一人静かに冷めた黒エールを口に運んでいた。壁に立てかけた木製の仕込み杖が、微かに夜の空気を震わせている。
(……やれやれ。夜中の静寂を邪魔するには、少々『狂った』足音が近づいてきたねぇ)
脳内3Dマップを展開するまでもない。
ガイルがどれほど足音を消し、気配を隠蔽しようとも、彼が抱く「サホちゃんをどうやってなぶり殺そうか」という下劣でゲス全開の妄想、そして歪んだ骨格が放つ不快な生体魔力のノイズが、俺の【限界値】に達した聴覚スキル『世界樹の根』には大音量の警鐘のように響き渡っていた。
カチャ……。
裏口の鍵が、暗殺用の針によって音もなく外される。
闇に紛れて店内に侵入してきたガイルは、カウンターに座るイチの姿を見つけると、声をもらさずに下劣なニヤつき面を浮かべた。
(ヒャハッ! 完全に無防備じゃねえか、このクソ盲目ジジイ! まずはこいつの喉元にこの毒刃を突きつけて、目の前で奥の寝室の小娘を引っ張り出して――)
ガイルが、反吐が出るほど醜い妄想を完成させようとした、その瞬間だった。
「――おや、お客さん。ずいぶんと骨盤が歪んでいますな」
静寂の店内に、イチの飄々とした、しかし冷徹な声が響き渡った。
「なっ……!? なぜ気づいた……!?」
ガイルの顔が驚愕に歪む。だが、すぐに彼はその狂気を剥き出しにした。
「ハッ、ハハハ! 虚張声勢をかましやがって! 目が見えねえのをいいことに、調子に乗ってんじゃねえぞ、障害者がァッ! 予定変更だ、今すぐその薄汚ねえツラを肉片にしてやるよ!」
ガイルが神速の踏み込みとともに、毒化魔刃をイチの死角――右目の眼帯の奥へ向けて容赦なく突き出した。並の聖騎士なら、一瞬で脳漿をぶちまけて即死するほどの凶悪な一撃。
――しかし、イチは席から立ち上がりすらしない。
「【無刀流・木サヤ受け(ウッド・シールド)】」
カツンッ。
イチは左手で仕込み杖を取り落とすことなく、その木製の『鞘』の先端だけで、ガイルが放った神速の突きをミリ単位の狂いもなく完璧に受け流した。
「な、何だと……!?」
「右に流れる癖がありますねぇ。腰が入っていませんよ。おまけに、左からの追撃も――」
ガイルが驚愕を力に変え、今度は左手から肉眼では不可視の【魔力六連斬】を放った。空間そのものを切り刻むような、暗殺者の本領。
だが、イチは椅子に座ったまま、仕込み杖の鞘を軽く右へ、左へと傾けるだけで、すべての刃を「カツン、カツン」と小気味よい音を立てて完璧に防御し、受け流して見せた。
ガイルの刃が、イチの衣服の繊維一枚にすら届かない。
「化け物か……!? 俺の暗殺術が、ただの木の棒にすべて弾かれるだと……っ!?」
「いやあ、目が見えないってのは不便ですがね。その代わり、あんたの下劣な筋肉の収縮音が、すべて『聴こえすぎて』いるんですよ」
イチは静かに立ち上がると、仕込み杖を壁にトントンと戻した。
「さあ、お仕事の時間ですな。お客さん、その歪んだ骨盤、今日ここで【完全矯正】してあげましょうかねぇ」
「ふざけるなぁっ! 障害者が舐めるんじゃねえ――」
ガイルが狂乱して飛びかかろうとした瞬間、イチの姿が音もなく消えた。
ガイルの視界からイチが消失し、次の瞬間、彼の背後に、冷徹な黄金の魔力圧を湛えたイチが立っていた。
「がはっ……!? 身体が、動か……っ!」
イチの放つ圧倒的な【魔王の威圧】により、ガイルの全身の筋肉が恐怖で硬直する。
「まずは、その下劣な妄想を詰め込んだ下半身のツボから――『魔力骨盤指圧』ですわ」
イチはガイルの腰の付け根――骨盤のコアである『魔力経絡の秘孔』へ向けて、カンストした魔力制御を指先に凝縮して突き刺した。
「ぎゃ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああーーーーーッッッ!?!?!?!?!?」
下町の深夜を完全に切り裂く、この世のものとは思えない絶叫が響き渡った。
それはただの肉体的な痛みではない。イチの放った絶対デバフ指圧は、ガイルの体内のすべての魔力回路を強制的に逆流させ、細胞の一つ一つを内側から爆破するような、地獄の激痛をもたらしたのだ。
ガイルが長年の快楽殺人で培ってきた凶悪なバフスキルが、一瞬にして消滅し、二度と再起不能になるまで徹底的に破壊されていく。
「あ、熱い! 骨が、魂が砕けるぅぅ! 許して、頼むからその指を離してくれぇぇ!」
さっきまでサホをなぶり殺すなどとゲス全開で笑っていた帝国の狂犬が、今や涙と鼻水を流し、白目を剥いて無様に床を転がり狂っている。
「いやあ、お客さん。他人の家族に手を出そうなんて、それくらい骨盤が歪んでる証拠ですよ。――おまけに、全身の凝りも、すべて吹き飛ばしてあげましょう!」
イチが指先をクッと時計回りに捻った瞬間、バチバチバチバチッ!!!と凄まじい黄金の衝撃波がガイルの体を駆け巡った。
その凄まじい風圧だけで、ガイルが身に付けていた最高級の防音暗殺着、衣服、そして下着に至るまでがミリ単位の狂いもなく正確に粉砕され、一瞬にして爆散した。
「ぶひゃああああっ!?」
帝国の誇る最強の暗殺者は、一瞬にして生まれたままの姿(全裸)にされ、衝撃で『カツコマ』の裏口の壁を突き破って、外の夜空へと勢いよくブッ飛ばされた。
そのままイチは左手一本で全裸のガイルの足を掴むと、数キロメートル先にあるバルサス帝国軍の進駐天幕へ向けて、まるで生ゴミを放り投げるかのように、ひょいっと無造作に遠投した。
◇
ヒュウゥゥゥゥゥゥゥゥ……ドガァァァァァン!!!
「ひぎゃああああっ!?」
バルサス帝国軍の天幕の天井を突き破り、団長が座る机の上へと、頭からまっ逆さまに叩き落とされたのは、全身スッポンポンで白目を剥いて泡を吹いているガイルだった。
「な、何事だ……っ!? ――って、が、ガイル!? お前、その無様な姿は一体何なのだ!?」
下着姿の団長が腰を抜かして叫ぶ。
ガイルはイチの絶対デバフ指圧の激痛の余韻で、全裸のままピクピクと痙攣し、「あ……あ……ジジイ……全裸……骨盤が……」と、完全に精神が崩壊したかのように虚しく呟くだけの廃人となっていた。
最高の切り札だった最強の暗殺者も完全無力化され、帝国のプライドは再び泥に塗れた。完璧な制裁劇の完了だった。
◇
その頃、裏口の壁が少し壊れた『カツコマ』の店内。
「ふわぁ……。イチさん、夜中に何のごちそう……って、あれ? 裏口の壁がなくなってるわよ!?」
騒がしさに目を覚ましたサホが、ランタンを片手に寝室から出てきて驚愕の声を上げた。
「いやあ、サホちゃん。ちょっとね、帝国の出来損ないの狂犬がね、骨盤の矯正をしてくれって夜這いに来たもんで、ちょっと実家まで送り返しておきましたわ」
イチは飄々と仕込み杖を突き、眼帯の奥の目を動かさずに微笑んだ。
「もう! 壁の修理費は、あの帝国軍に請求しとくからね!」
サホが怒りながらも、イチの無事にホッとしたように笑う。
「ハハハ、お見事だな、イチ。壁の修理費代わりに、明日はあの帝国軍の天幕から、上等なワインでも分捕ってくるとするか」
いつの間にか起きていたゲラルトが、ジョッキを掲げて大爆笑していた。
「いやあ、それにしても。やっぱり目が見えないってのは、不便ですな!」
イチのいつもの冗談に、深夜の『カツコマ』には、温かくも騒がしい大爆笑がいつまでも響き渡るのだった。




