第十話:魔王軍の隠密襲来! 気配隠蔽vsカンスト聴覚
深夜、王都の下町は深い静寂に包まれていた。
居酒屋『カツコマ』の灯りはすでに消え、看板娘のサホも奥の部屋で深い眠りについている。
だが、その静寂を切り裂くように、王立聖騎士団が手も足も出なかった魔王軍の超一級暗殺部隊『幻影の牙』の隠密たちが、音もなく下町の裏路地へと侵入していた。
彼らのまとう黒装束には、視覚による捕捉はおろか、魔力探知や索敵スキルすら100%無効化するチート固有スキル【完全隠蔽】が施されている。
「ククク……本当にこんな薄汚れたスラムに、あのヤンセン辺境伯を一人で叩き潰した『盲目の化け物』がいるのか?」
暗闇の中、姿なき隠密の頭領が、下劣な歪んだ声で仲間に囁いた。
彼らがここに現れた動機は明確だった。王都総攻撃を間近に控えた魔王軍にとって、聖騎士団すら遥かに凌駕する謎の盲目騎士――イチは、最大の障害だったのだ。
「正面から戦うのはリスクが高すぎる。だが、どれほど凄腕の化け物だろうが、所詮は人間だ。この店にいる唯一の弱点……あの居酒屋の小娘を人質にして、目の前で魔剣を捨てさせてやればいい。あとは無抵抗になったジジイの四肢をなぶり切りにして、なす術なく絶望の中で死なせてやるのさ、ひゃははは!」
「全くだ。あの小娘、人質として使い倒した後は、魔王軍の慰安奴隷として骨の髄まで貪り尽くしてやろうぜ。ケケケッ!」
姿も見えず、魔力も放たない。王宮のエリート聖騎士たちが「幽霊の仕業だ」と怯えて任務失敗を連発したのも無理はない、まさに完全な不可視の暗殺者たち。
彼らは勝利を確信し、下劣で品性の欠片もないゲス全開の笑みを浮かべ、サホの寝室がある『カツコマ』の裏口へと近づいていく。
だが、彼らは致命的なまでに知らなかった。どれほど姿を消そうとも、どれほど魔力を隠そうとも――彼らの肉体が『地面を踏みしめる微かな足音』だけは、決して消せていなかったということを。
そして、その微小な振動のすべてが、店内の暗闇のカウンター席に静かに佇むイチの脳内3Dマップに、あまりにも鮮明に描き出されているということを。
(……やれやれ。聖騎士団の無能どもが手を焼いていた『幽霊』の正体は、随分と下品な息遣いのドブネズミどもだったねぇ)
イチは暗闇の中で静かに目(眼帯)を伏せ、仕込み杖の柄に左手を添えた。
【限界値】に達した聴覚スキル『世界樹の根』の前では、彼らの足音が床の木目をわずかに軋ませる音、衣服の繊維が擦れ合う微細な摩擦音、そして「小娘を奴隷にしてやる」と下劣な妄想に耽る彼らの醜い心臓の鼓動までが、まるで耳元で大声を張り上げられているかのように100%筒抜けだったのだ。
「――おい。そこの姿も見えねえネズミども。人の家の敷地に泥足で忍び込んで、ずいぶんと下劣な皮算用をしてくれるじゃねえか」
静寂の店内に、イチの低く冷徹な声が響き渡った。
「なっ……!? なぜ気づいた!?」
姿なき隠密の頭領が、驚愕に声を震わせる。しかし、すぐに下劣な笑いを取り戻した。
「ハッ、ハハハ! 虚張声勢をかましやがって! 目が見えねえ上に、俺たちの【完全隠蔽】は絶対だ! どこにいるかも分からねえ癖に、偉そうな口を叩くんじゃねえよ、クソジジイ!」
「そうだぜ! どこを狙えばいいかも分からねえ障害者が、俺たちの神速の暗殺剣を防げるわけがねえ! ほら、まずはその動かねえ両目を抉り出して――」
姿なき暗殺者たちが、死角から一斉にイチの首筋へ向けて毒ダガーを突き出した。魔力も気配もない、完全なる不可視の一斉襲撃。
――だが、イチの領域からは、彼らの動きは止まっているのも同然だった。
「【無刀流・神速逆手居合――『影断ち』】」
カシャッ。
暗闇の中、一瞬だけ、本当に一瞬だけ黄金の閃光が弧を描いた。
それは剣風すら起こさない、純粋な神速の極致。
「ぎゃっ……!?」
「あがっ……!?」
次の瞬間、姿が見えなかったはずの暗殺者たちのチート固有スキル【完全隠蔽】が、イチの放った圧倒的な魔力圧によって物理的に『ベリベリと剥ぎ取られるように』強制解除された。
それだけではない。彼らが構えていた特注の毒ダガーや暗殺武器が、根元から綺麗に粉々に砕け散り、床へとパラバラと音を立てて落ちていく。
「バ、バカな……!? 俺たちの絶対のスキルが破られた……!?」
「武器が……俺たちの武器が一瞬で粉々に……っ!?」
驚愕に顔を歪める隠密たちの前に、イチは仕込み杖をコン、と一回突いて見せた。
直後――ガサササササササッ!!!
凄まじい衝撃波の風圧が狭い店内に吹き荒れた。暗殺者たちが身に付けていた最高級の防音黒装束、衣服、そして下着に至るまでが、ミリ単位の狂いもなく正確に切り刻まれ、一瞬にして爆散した。
「ぶひゃああああっ!? 全裸だ! 俺たちも全裸にされたァァァ!」
魔王軍の誇る超一級暗殺部隊の男たちが、一瞬にして生まれたままの姿(全裸)にされ、あまりの衝撃で店の床へともんどり打って転がった。
彼らの皮膚には髪の毛一本分の傷すらついていない。
衣服と武器だけを正確に消し飛ばしたのだ。
「ひ、ひえぇぇぇ! 寒い! 怖い! 助けてくれぇぇ!」
さっきまでサホを奴隷にするなどと下劣に笑っていたゲスどもが、今や股間を両手で隠し、涙と鼻水を流しながら惨めに床を這いつくばっている。
イチは左手一本で部屋の隅から頑丈な魔導ロープを手繰り寄せると、全裸の暗殺者たちをごぼう抜きにするように、一瞬で芋虫のようにグルグル巻きに縛り上げた。
「いやあ、お兄さん方。姿を消すスキルは立派ですが……足元がお留守でしたな。下町を舐めるのも大概にしとかねえと」
イチがニヤリと笑ったその時、奥の部屋のドアが開き、騒がしさに目を覚ましたサホがランタンを片手に出てきた。
「もう、イチさん、夜中に一体何のごちそうを……って、きゃああああああああああーーーーーっ!?!? なにこの全裸の芋虫たちの集団はーーーーっ!?」
サホの絶叫が深夜の下町に響き渡る。
「いやあ、サホちゃん。新団長様が手を焼いていた『魔王軍の幽霊』たちがね、わざわざ夜這いに来てくれたもんで、ちょっとお仕置き(マッサージ)をしておきましたわ」
イチは飄々と仕込み杖を突きながら、芋虫のように転がる全裸の暗殺者たちを見下ろした。
彼らの懐からは、聖騎士団の新団長ボルドーが魔王軍と内通し、王都の防衛結界の鍵を売り渡そうとしている決定的な証拠の密書が溢れ出ていた。
「ほう……。これは随分と上等なお土産が手に入りましたな、ゲラルトの旦那」
暗闇の客席から、いつの間にか起きていたゲラルトが、冷徹な笑みを浮かべて姿を現した。
「ああ、イチ。まさか古巣のトップが魔王軍と内通していたとはな。……これはもう、ただの不法占拠の言い訳では済まないぞ」
ゲラルトの魔剣から、激しい怒りの魔力が立ち上る。
「イチ、案内をしよう。私の病を治してくれた君と、この美しい下町を汚そうとした無能どもに……古巣の訓練所で、本当の『絶望』を教えてやる時間だ」
「ええ。大雨になりそうですから、傘代わりにこの仕込み杖を持って、ちょっと王宮の訓練所までお仕置きにいきましょうかねぇ」
イチは不敵に笑い、縛り上げた全裸の隠密たちを引きずりながら、古巣である王立聖騎士団の総本部へ向けて、静かに歩みを進めるのだった。




