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行李  作者: 長廻三月
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5/21

1-5

 つむぎは走った。

 必死に走った。


 屋敷の裏手を駆け、二棟ある蔵の先を左に折れた。

 そのまま真っ直ぐ走ると、池があった。


 顔が見えるかもしれない。


 駆け足で近寄ったつむぎは、恐る恐る池の際へと歩いた。心臓が脈打つ音を聞きながら、水面を覗き込む。


 猫だ。

 ……しかも、三毛だ。


 不安そうな表情をした黒とオレンジのハチワレ三毛猫が、池の中からこちらを覗いていた。


「ギャ!」

「ぷっ!」


 鳴き声をあげた瞬間、すぐそばで人の笑い声がした。

 つむぎはジャンプをして、後ろに向き直った。素早く身を低くして、背中の毛を逆立てた。


 学生服を着た少年が、青空の下で向日葵のように笑っていた。


「あぁ、ごめんよ。驚かすつもりはなかったんだ」

 つむぎは警戒を少し緩めた。少年は、目に涙を浮かべていた。


「どうしたんだ? 正人」

 軍服姿の青年が声をかけた。

「あ、兄ちゃん」

 少年が振り返った。


「この猫、まるで忍者みたいに池に忍び寄ってたんだ。自分の顔を見て驚いてたから、面白くって」

「へぇ」


 二人の間をすり抜けようとしていたつむぎは、しゃがみ込んだ青年にじっと見つめられて、完全に逃げ場を失ってしまった。

 精悍な顔が間近に迫る。どこか厳しい目つきに、動けなくなった。


「逃げないな。飼い猫かな?」

 青年がつむぎを抱き上げた。


 すっぽりと腕の中に収まったつむぎの喉元を、青年が撫でた。慣れた手つきに、荒立っていた気持ちがだんだんと落ち着くのを感じた。


「どうだろうね? 見かけない猫だけど」

 正人が横からつむぎの頭を撫でた。


「この猫、飼ってもいいかな? ほら、シロもいなくなったし」

「僕もお前も、普段は家にいないだろう?」

 青年が、呆れたように言った。

「兄ちゃんが父さんに言ってよ」

 ふっと、青年が笑った。

「家にいない人間が言っても無理だと思うけど、まぁ、聞いてみるか」


 つむぎは顔を上げた。

 青年は穏やかな目をしていた。

「慶一郎君」

 紋付を着た男性が、障子を半分ほど開けて呼んだ。


 という事は、もしかして……


「はい」

 青年が返事をした。

 やっぱり、この人が吉野慶一郎さん!


「何をしとるんかね? 早くこっちに来て参加せんか」

 男性が手招きをした。反対側の手にはお猪口を持っている。

 背後に行き来する女性たちが見える。あそこで宴会が行われているようだ。


「はい。今、参ります」

「呼ばれちゃったね」

 正人が囁いた。

 眦(まなじり)を下げて頷いたあと、慶一郎は正人につむぎを預けた。


「部屋に入れておいてくれないか? 新年会が終わったら、父さんにお願いしよう」

「わかった」


 慶一郎は正人の頭にそっと手をおいた。それから軽く服を払って、母屋の中へと入っていった。

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