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行李  作者: 長廻三月
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20/27

3-7

 長屋門の横手の納屋の前で、人知れずつむぎはピンチを迎えていた。


 いや、正確に言うなら「人知れず」ではない。藁で作った塊を持った哲治が、タイチョーのすぐ後ろを通り抜けたからだ。

 哲治はちらりとこちらを見て、急いで駆けて行った。


「コケッ!!」

 相対するのは鶏。あのタイチョーと呼ばれていたボスだ。

 尾羽を刀のように伸ばし、盛り上がった胸板を張って、つむぎの前に仁王立ちをしたかと思うと、赤い鶏冠をピンと立て、真っ直ぐにつむぎを見下ろした。


 怖い。

 背中を見せたら一巻の終わりだ。あの蹴りが飛んでくる。

 つむぎは全身の毛がポワポワと逆立つのを感じた。

「シャー!!」

「……コッ!」

 タイチョーが大きく羽根を広げて脚を上げた。

 やられる!


 つむぎは身を低く構えた。と、その時、棒を持った正人が風のように駆けてきた。

「タイチョー! 覚悟!!」

 つむぎとタイチョーの間に、正人が割り込んだ。

「シロをいじめるな! ゆるさないぞ!!」

 タイチョーが視線をゆっくりと正人に移した。


 いまだ!

 つむぎは一目散に母屋へ戻った。

 大きく飛び上がって縁側に着地した。


「あっ! こら!!」

 急な大声に肩をビクッとさせて、つむぎが恐る恐る声の方を見た。

 頭にほっかむりをつけたミツが、縁側の端で、雑巾を持って立っていた。


「そこ、今掃除したばっかりなのに!」

 そう言うが早いか、ミツは目を吊り上げてツカツカとやって来ると、つむぎを抱えて足の裏を丁寧に拭いた。

「ニャ!?」

 ……あれ? ……痛くない?


 つむぎは逃れようとした手足をピタリと止めた。拍子抜けして、されるがままになった。

「ほら、終わったよ」

 つむぎは、しばらく呆然と立ち尽くした。それから、気持ちを落ち着けるために、深呼吸をした。

「足跡だらけ! だから猫は嫌いなんだよ!」

 ミツは文句を言いながら足跡を拭いていた。


 つむぎは、正人が気になって庭を見た。

 正人はまだタイチョーと戦っていた。

 ごめん。正人くん。健闘を祈る!


 そのまま八畳の座敷と表玄関を抜けて、つむぎが階段のある板の間へ行くと、ちょうど哲治が二階から降りてきたところだった。

「哲治! この蔟(まぶし)壊れてるぞ! 急いで他のを持ってきてくれ!」

「わかった」

 二階からの清六の声に返事をした哲治は、板間から土間へ降りると、小走りで納屋へと向かった。


 開け放たれた土間の戸から、ちょうど正人とタイチョーが見えた。哲治が走ったまま、飛び上がったタイチョーをひょいと掴み、裏へと走った。

「うぇ!?」

 正人が叫んだ。

 すごい!

 つむぎの手足と尻尾がピンと張った。


 それからしばらくして、納屋へ入った哲治が、大きな藁の塊を持って戻ってきた。急な階段をものともせず、軽やかに二階へ上がっていく。

 哲治さんが何度も運んでる藁、あれが蔟(まぶし)かぁ。どうやって使うんだろ?


 気になったつむぎは、キョロキョロと周りを見た。周りに誰もいない事を確認すると、階段を登った。一段一段が高く、子猫の身体では上がるというより、よじ登ると言ったほうが正しい。


 サリサリ サリサリ

 サリサリ サリサリ


 登るほどに、蚕が桑を食べる音が大きくなった。前に聞いた時よりも大きな音だ。

 うわぁ。こんなに広かったんだ。

 低い手すりの間から、つむぎはこっそりと首を伸ばした。


 香ばしい草の香りが一面に漂っている。

 二階いっぱいにゆったりと広がる、棚、棚、棚……その間で動く四、五人の人影。


 奥の隅、ちょうど奥座敷の真上に慶一郎の部屋がある。明治三十七年の正月には、正人の部屋はその隣だったが、今はまだない。そして、台所の真上には六畳ほどの部屋があった。養蚕シーズン中、番人が交代で泊まる部屋だ。

 それらの部屋の間を埋めるように、ゆったりと並んだ棚には、ザルがたくさん置かれていた。


 あの中いっぱいに蚕がいるのか……

 数日前に見た、白く蠢くものを思い出して、つむぎは一度首を引っ込めた。


 心を落ち着かせて、もう一度目だけを覗かせた。

 棚の間に二つ並べた簡単な台を前に、日雇いの女性が難しい顔をしていた。

 手で白いものを持ち上げた。


 ……蚕だ。


 つむぎは反対側へ、視線をゆっくりとずらした。


 清六がいた。女性と同じように台の間で動いている。

 つむぎはドキリとした。

 清六はカゴの上にふわりと藁をかけるところだった。

 へぇ。あんなふうに使うんだ。


 つむぎが板の上に身を乗り出した瞬間、抱き抱えられた。

 首を上げると、竹箒を持った哲治が無言で見下ろしていた。


 やばっ!

 階段下へ放り出されるかもしれないと、つむぎは首を縮めた。

 哲治はそのまま階段を降りた。

「親父に見つかるとうるさい」

 哲治がボソっと呟いた。

「もう上がってくるんじゃないぞ」

 そっとつむぎを土間に下ろすと、哲治は作業へ戻っていった。

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