3-7
長屋門の横手の納屋の前で、人知れずつむぎはピンチを迎えていた。
いや、正確に言うなら「人知れず」ではない。藁で作った塊を持った哲治が、タイチョーのすぐ後ろを通り抜けたからだ。
哲治はちらりとこちらを見て、急いで駆けて行った。
「コケッ!!」
相対するのは鶏。あのタイチョーと呼ばれていたボスだ。
尾羽を刀のように伸ばし、盛り上がった胸板を張って、つむぎの前に仁王立ちをしたかと思うと、赤い鶏冠をピンと立て、真っ直ぐにつむぎを見下ろした。
怖い。
背中を見せたら一巻の終わりだ。あの蹴りが飛んでくる。
つむぎは全身の毛がポワポワと逆立つのを感じた。
「シャー!!」
「……コッ!」
タイチョーが大きく羽根を広げて脚を上げた。
やられる!
つむぎは身を低く構えた。と、その時、棒を持った正人が風のように駆けてきた。
「タイチョー! 覚悟!!」
つむぎとタイチョーの間に、正人が割り込んだ。
「シロをいじめるな! ゆるさないぞ!!」
タイチョーが視線をゆっくりと正人に移した。
いまだ!
つむぎは一目散に母屋へ戻った。
大きく飛び上がって縁側に着地した。
「あっ! こら!!」
急な大声に肩をビクッとさせて、つむぎが恐る恐る声の方を見た。
頭にほっかむりをつけたミツが、縁側の端で、雑巾を持って立っていた。
「そこ、今掃除したばっかりなのに!」
そう言うが早いか、ミツは目を吊り上げてツカツカとやって来ると、つむぎを抱えて足の裏を丁寧に拭いた。
「ニャ!?」
……あれ? ……痛くない?
つむぎは逃れようとした手足をピタリと止めた。拍子抜けして、されるがままになった。
「ほら、終わったよ」
つむぎは、しばらく呆然と立ち尽くした。それから、気持ちを落ち着けるために、深呼吸をした。
「足跡だらけ! だから猫は嫌いなんだよ!」
ミツは文句を言いながら足跡を拭いていた。
つむぎは、正人が気になって庭を見た。
正人はまだタイチョーと戦っていた。
ごめん。正人くん。健闘を祈る!
そのまま八畳の座敷と表玄関を抜けて、つむぎが階段のある板の間へ行くと、ちょうど哲治が二階から降りてきたところだった。
「哲治! この蔟壊れてるぞ! 急いで他のを持ってきてくれ!」
「わかった」
二階からの清六の声に返事をした哲治は、板間から土間へ降りると、小走りで納屋へと向かった。
開け放たれた土間の戸から、ちょうど正人とタイチョーが見えた。哲治が走ったまま、飛び上がったタイチョーをひょいと掴み、裏へと走った。
「うぇ!?」
正人が叫んだ。
すごい!
つむぎの手足と尻尾がピンと張った。
それからしばらくして、納屋へ入った哲治が、大きな藁の塊を持って戻ってきた。急な階段をものともせず、軽やかに二階へ上がっていく。
哲治さんが何度も運んでる藁、あれが蔟かぁ。どうやって使うんだろ?
気になったつむぎは、キョロキョロと周りを見た。周りに誰もいない事を確認すると、階段を登った。一段一段が高く、子猫の身体では上がるというより、よじ登ると言ったほうが正しい。
サリサリ サリサリ
サリサリ サリサリ
登るほどに、蚕が桑を食べる音が大きくなった。前に聞いた時よりも大きな音だ。
うわぁ。こんなに広かったんだ。
低い手すりの間から、つむぎはこっそりと首を伸ばした。
香ばしい草の香りが一面に漂っている。
二階いっぱいにゆったりと広がる、棚、棚、棚……その間で動く四、五人の人影。
奥の隅、ちょうど奥座敷の真上に慶一郎の部屋がある。明治三十七年の正月には、正人の部屋はその隣だったが、今はまだない。そして、台所の真上には六畳ほどの部屋があった。養蚕シーズン中、番人が交代で泊まる部屋だ。
それらの部屋の間を埋めるように、ゆったりと並んだ棚には、ザルがたくさん置かれていた。
あの中いっぱいに蚕がいるのか……
数日前に見た、白く蠢くものを思い出して、つむぎは一度首を引っ込めた。
心を落ち着かせて、もう一度目だけを覗かせた。
棚の間に二つ並べた簡単な台を前に、日雇いの女性が難しい顔をしていた。
手で白いものを持ち上げた。
……蚕だ。
つむぎは反対側へ、視線をゆっくりとずらした。
清六がいた。女性と同じように台の間で動いている。
つむぎはドキリとした。
清六はカゴの上にふわりと藁をかけるところだった。
へぇ。あんなふうに使うんだ。
つむぎが板の上に身を乗り出した瞬間、抱き抱えられた。
首を上げると、竹箒を持った哲治が無言で見下ろしていた。
やばっ!
階段下へ放り出されるかもしれないと、つむぎは首を縮めた。
哲治はそのまま階段を降りた。
「親父に見つかるとうるさい」
哲治がボソっと呟いた。
「もう上がってくるんじゃないぞ」
そっとつむぎを土間に下ろすと、哲治は作業へ戻っていった。




