3-5
寒い。
あ、これ、本当に危ないかも……
体は綺麗になったけど、拭いてもらった後もどんどん冷えていく。
急いで用意してくれた寝床も、あまり意味がなさそう。
半纏までかけてくれたのに。
井戸の水、水道と違ってほんっと冷たいんだもん。
つむぎは目を閉じた。
まだ、何もできていないのに。
ここで終わりなんだろうか。そもそも元の時代に戻れるのだろうか。
「兄ちゃん」
正人くんが泣きそう。
申し訳ないな。
でも、前足一つ動かせない。
何かがつむぎの背中の方に押し込まれた。
じんわりとした温かさが広がった。
サーサー サーサー
遠くで雨音がした。
サーサー サーサー
「あ! 兄ちゃん、耳が動いた!」
つむぎはうっすらと目を開けた。
慶一郎と正人の心配そうな顔が覗いている。
あぁ、温かい。まだ生きている。
「水、飲むかな?」
「山羊の乳の方がいいんじゃないか?」
小さい匙を口の中に入れられると、独特の匂いと甘味が口の中に広がった。
「あ、飲んだね」
ひと匙ひと匙、ゆっくりと口に運ばれていく。
何回か繰り返した後、つむぎはまた目を閉じた。
サーサー サーサー
あれから何日も経ったはず。まだ雨が降っているのかな?
サーサー サーサー
サリサリ サリサリ
よく聞くと、雨音にしてはちょっと不思議な音……?
つむぎは、ゆっくりと目を開けた。
「あ、起きたのか」
慶一郎がかけられた半纏を少しめくって、つむぎの下に敷かれていた手拭いの下に手を伸ばした。
藍色の布に包まれた湯たんぽが出てきた。
「お湯、変えてくるからな」
布についた藁が、はらりと落ちた。
慶一郎が襖を開けると、爽やかな空気が流れた。
つむぎは外へ目を向けた。
ソフトクリームみたいな雲に、濃く青い空。
じゃあ、この絶え間なく続く雨音は何だろう?
寝床の上から部屋を眺めた。
和箪笥と文机だけの、簡素な部屋だ。
文机の上には、教科書とノートが開いたまま置かれていた。
その隣には、水と山羊乳が入った器。竹製の小さな匙もあった。
そばで様子を見てくれていたのね。
胸がカッと熱くなった。
さてと。
つむぎは前足と後ろ足を交互に伸ばして、振ってみた。
これなら動けそう。
木桶でできた寝床の縁に手をかけて、下を覗き込んだ。
高さは二十センチメートルくらいのはずなのに、子猫の目からはとてつもない高さのように感じた。首を上下させて迷ったが、つむぎは思い切って飛び降りた。
しばらく体を動かしていなかった割には、上手に着地できた。
ヨロヨロと歩いて、つむぎは水を飲んだ。
「お前、動けるようになったのか!?」
開いた襖から、湯たんぽを持った慶一郎が目を丸くしていた。
サリサリ サリサリ
音がさっきより大きくなった。
襖の隙間から、暖かい風が草の香りを運ぶ。
「ちょっと待ってろよ。今食べるものを持ってくるからな」
余程慌てていたのか、慶一郎は襖を閉めずに行ってしまった。
微かに階段を降りる音がした。
音の正体を確かめようと、つむぎは襖まで駆け寄って、部屋の外に顔だけ出した。
整然と並んだ棚に、目が粗く四角いザルが何段も置かれていた。
あそこからだ。
つむぎは近くの棚まで行き、おそるおそるザルを覗き込んだ。
サリサリ サリサリ
サリサリ サリサリ
無数の白いイモムシが、一心に葉を食べていた。
「ニャ!!!!」
つむぎは身を丸くして毛を逆立てた。と、不意に首根っこを掴まれてつむぎは宙に浮いた。
「こらっ! おまえ! お蚕様を食うつもりかっ!」
四十代くらいの男性がつむぎをジロリと睨んだ。
「つったくもう。猫なんて部屋に入れて」
男性はぶつぶつと呟いた。
「坊ちゃーん! 襖はちゃんと閉めてくださいよぉー!」
男性は叫びながらつむぎを部屋へ投げ入れた。
「ちょっとぉ、桑が足りないよぉー」
「あぁ、そろそろ取りに行くかぁ」
襖の向こうでくぐもった声がする。
蚕……だったのか……
つむぎは襖の外の光景を思い出し、その場に座り込んだ。さっきまで心地よく聞こえていた音にゾッと鳥肌が立った。
「坊ちゃん! 猫は困りますよ!」
「あぁ清六さん、すまない」
襖越しに慶一郎の声がして、襖が開いた。
「遅くなってごめんな。下で正人が『一緒に行きたい』ってゴネたんだ」
「ニャ」
つむぎが返事をした。
「今の時期、子どもと動物は二階に上がっちゃいけないんだ。お前も元気になったら下だぞ」
「ニャ」
もちろんです。と、つむぎは心の中で頷いた。
「お前賢いなぁ。言葉がわかるのか?」
「ニャ」
慶一郎は頬を緩めて、持っていた餌を置いた。
ご飯に、ほぐした焼き魚が乗っていた。
「ほら、三日も山羊の乳しか飲んでないから、お腹が空いただろう?」
私、そんなに寝ていたの?
つむぎは急にお腹が空いた気がして、ご飯を頬張った。




