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行李  作者: 長廻三月
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10/21

2-2

 共用テーブルに用意された、二つのマグカップから湯気が上がった。一つはつむぎ、もう一つは洸太郎のものだ。


 カフェオレしか飲めない洸太郎のコーヒーには、粉のクリープ四杯と、細めのスティックシュガー三本が入っている。

 テーブルを簡単に片付けたつむぎは、自分のノートとボールペンを持って席に着いた。


「インスタントコーヒーだと、やっぱちょーっと苦いっすね」

 カフェオレもどきを飲んだ洸太郎が、舌を出した。

「やっぱり、砂糖三本じゃ足りなかったかな?」

 細いのしかなかったしなぁと、つむぎは苦笑いした。


「苦いけど、ま、大丈夫っす!」

「ごめんね。今度甘いカフェオレ奢るね」

「あざまーっす!」

 洸太郎が、嬉しそうに笑った。



「えっとー、日露戦争って、その十年前に起きた日清戦争以降の流れがすっごく重要なんっす」

「日清戦争の?」

「そ。日清戦争で日本が勝ったじゃないっすか。そんで日本と清国は日清講和条約を結ぶんっす。下関条約ともいうっすけど」

「下関条約」


 つむぎは口元に手を当てて考え込んだ。しかし、全く内容が思い出せない。

「そ。ちょっと待ってくださいよぉ」

 洸太郎が、テーブルに置かれていたスマートフォンを操作した。


「これっす!」

 つむぎがスマートフォンを覗き込んだ。

 『日清講和条約』の条文が表示されていた。


「結構長いのね」

「そーっすね。でも、今必要なのは三つっす」

 洸太郎は第一条から第四条を指で押さえた。

「簡単に言うと、『朝鮮国は清国の属国じゃなくて、独立国ですよ』ってことと、『遼東半島と台湾と周辺の島は日本がもらう』ってことっす。あと賠償金っすね」

「ちょっと待ってね」


 つむぎが聞き取ったことをノートにまとめている間に、洸太郎はスティックシュガーをもう一本、マグカップに入れた。

「よし。書けた」

 つむぎは満足そうにシャープペンシルを置いた。


「ところで、遼東半島ってどこにあるの?」

「ここっす」

 洸太郎が、次は地図アプリを開いた。


 「なるほど、旅順と大連がある半島か」と言いながら、つむぎはノートに簡単な地図を描いた。

「へぇ。センパイ、図も上手いっすね」

 洸太郎が身を乗り出して手元を覗き込んだ。


「じゃ、続きをお願いします!」

「了解っす!」

 洸太郎が手を額に当てて、敬礼のポーズをした。


「ロシア帝国としては、日本が中国に進出してくるのは面白くなかったんっすよね」

「どうして?」

「ロシアは、シベリア鉄道を作って東アジアに進出しようとしてたんで、日本が遼東半島を自分のもんにすると、単純に邪魔っす」

「なるほど」

「で、フランスとドイツ帝国と一緒に、ロシア帝国が遼東半島を清国に返せって言ったんっす」

「何でフランスとドイツ? ヨーロッパの国なのに」

 ノートを書く手を止めて、つむぎが目を上げた。

「フランスとドイツは、イギリスといろいろやり合ってたんで、ロシアの目が東アジアに向いてる方が都合が良かったんっすよ。ちなみに」

 洸太郎は怪訝そうな顔をした。


「ここは高校で習ったっすよ? 『三国干渉』って言うんっすけど」

「……名前だけは覚えてる」

「そっすか!」


 洸太郎がにかっと笑った。手元のコーヒーをぐいっと飲み干した途端、コホコホと咳き込んだ。


「あまっ! 下に砂糖が溜まってるっ!! あっまっっ!!」

 鞄からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、ごくごくと飲んだ。

「えっ? ごめん!私、よく混ぜてなかったかも。大丈夫?」

 つむぎは、狼狽えながら立ち上がった。


「あんたはスティックシュガーでも舐めときなさいよこの甘党!」


 低い声がした。

 日菜だ。

 「つむぎ先輩を謝らせるんじゃないわよ」と、ぷりぷり怒っている。


「えー、日菜パイセーン、いっつもオレに厳しーい」

 涙目になった洸太郎が口を尖らせた。

 日菜は腕組みをして仁王立ちをした。その動きに合わせて、大きめのループピアスが揺れた。


「もー、別につむぎセンパイを困らせてたわけじゃないっすよ! 『日露戦争』について話してたんっす! オレが先生で」

 立てた親指を自分に向けて、洸太郎が胸を張った。


「へぇー。面白そうじゃない。私も聞きたい」

「なになに? 俺も混ぜて」

 ちょうど研究室に入ってきた碧人が、のんびりとした様子で洸太郎の隣に座った。

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