75.喫茶店
草むらで細く鳴いていた虫たちの声もいつの間にか途絶え、吹き抜ける風が肌を刺すような冷たさを運び始めていた。季節は着実に冬の入り口へと差し掛かっていた。
店の重厚な木製の扉を押し開けると、カランカランと小気味よいカウベルの音が響き、暖房の効いた心地よい空気が四人の身体を優しく包み込んだ。立ち寄ったのは、隣町の駅の商店街の片隅にひっそりと佇む、ジャズの旋律が静かに流れる落ち着いた雰囲気の喫茶店。布張りのボックス席に腰を下ろして注文を終えた心は、昨日、中華料理屋『万寿苑』の裏駐車場で知り合ったばかりの少女を、レナとケイトの二人に改めて紹介した。
「みんな、この子が魂ちゃん!!」
心が身を乗り出し、両手の指をひらひらと揺らして魂を称える。魂は元気よく声をあげた。
「お……押忍!! 江垣魂と申します! 三高の三年生!」
「先輩じゃん!! あれ? その服は……黒原高校の制服か? いや、なのですか? てかズボンだし!!」
「あぁ、これは私の普段服なので……黒原高校とは関係ないよ。あと先輩面はしたくないので丁寧語とかやめて!!」
「へぇ~!!」
紹介された魂は、昨日とは違い、三高の制服ではなく黒い応援団の恰好をしていた。それは魂の普段着であった。緊張しているのか少し上ずった声を響かせる。しかしすぐにコホンと一つ咳払いをして、キリッとした険しい表情を作って見せる。
「……まあ、昨日のことは……日頃の過酷なトレーニングに比べたら容易いこと。あんなやつらは、私の敵にはならないかな!」
腕組みをし、厳格に育てられた人間としての威厳を保とうと言い放つ魂。しかし、
「魂ちゃん、いいじゃん!」
心に距離感ゼロの笑顔で微笑みかけられると、急に顔を真っ赤に染め、恥ずかしい表情を隠すように手元にあった通学カバンで顔をごそごそと覆い隠した。第一印象からのそのあまりの変わりように、すかさずレナが身を乗り出して突っ込みを入れた。
「って、ツンデレか~い!」
レナの鋭い突っ込みに、ケイトも思わず顔を見合わせてクスクスと笑った。
「ふふ、魂ちゃん、よろしく! そんなに凄い能力を持っているなんて頼もしい!」
「わたしはケイトです。よろしく! 心から聞いた通り、とても凛々しく見える人ね!!」
魂は嬉しそうに何度もコクコクと頷いた。それは自分以外の卓越感情を持つ者と初めて知り合えたからだった。
そこへ注文していた温かい飲み物と特製の味噌シフォンケーキが運ばれてくると、話題は自然と昨日のラーメン屋の話をしだした。魂が『万寿苑』の味噌ラーメンに感じた熱い食レポを口に出して大盛り上がり。
「へぇ……なかなか通な食レポするね~!!」
「わたし! 万寿苑は小さい時から行ってる!!」
心が負けじと優位に立って言えたのはその位であった。そしてレナとケイトも会話に加わり、色んな話をしているうちに四人の距離は急速に縮まっていった。ひとしきり笑い合い、お互いの緊張が完全に解けた頃、ケイトがふと表情を引き締め、持っていた小さなショルダーバッグの中から、重々しくそれを取り出した。
「ところで、魂ちゃん。唐突にこのようなお話をして申し訳ないのだけれど……これと同じ本を魂ちゃんは持っていないかしら……?」
テーブルの上に置かれたのは、『漆黒の書』。それは禍々しくも美しい独特の妖しいオーラを放っていた。魂は驚いて目を丸くし、座高を低くしてその本をじっと覗き込んだ。
「いや……あいにく、私は持ってないけど……凄いねこれ……光ってる……」
卓越感情の保持者である魂の目には、本の放つ特別なエネルギーの輝きがはっきりと見えていた。
魂は息を呑み、それを凝視する。
「こんな……本から、こんなに濃密で底知れないエネルギーを感じる……。私の『大筆』の力とは違う。何か……まるで生きているみたいだ。こんなヤバい代物、一体どこで……?」
「これは色々あって、私たちが探しているものなんだよ」
「半年近く探しているわ」
「へ、へぇ……」
その本を興味深そうにツンツン触ろうとする。
「あ、駄目!」
バチッ!!
「うわ!なんだ!?」
「触ってはいけないの……これは『私の』だから他の人が触るとこのように拒絶されるんだ」
「当事者……?」
「そう! 魂ちゃんには少しずつ教えよ!」
「そうね!」
日頃の厳しい鍛錬で培われた魂の直感が、かつてない警鐘を鳴らしていた。普段は強気で男勝りな彼女が驚いていた。
その時、ふとレナの視線が、自分たちのテーブルの一つ奥の席へと向いた。そこには、奥のテーブル席で一人、熱心にノートパソコンのキーボードをカタカタと叩いている眼鏡をかけた女子がいた。ショートヘアのすっきりとした横顔で、年齢は自分たちと同じ位に見えた。
「ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくるよ」
レナはそう言って席を立ち、その眼鏡女子の横を通り過ぎ通路の奥へと向かった。数分後。戻ってきたレナは、何故か顔をこわばらせていた。座ると、机の真ん中に全員の頭を寄せさせ、声をひそめて一同に告げた。
「……みんな……驚かないできいてくれ。今、トイレから戻るときにチラッと見ちゃったんだが、私の後ろの席にいる子……あのノートパソコンを広げてる眼鏡女子。あの子が、持ってる!! あの本を!!」
「……えっ……!?」
「……本当に!?」
「……カバンの口から少し覗かせてた……あれは絶対、『漆黒の書』だった……!!」
三人が同時に小さな悲鳴混じりの息を呑む。まさかこの広い街の、偶然立ち寄った喫茶店の、こんな至近距離に、次の本の持ち主が潜んでいたとは。
「……どうにかして眼鏡女子と話さないとだな……」
レナがそう呟くと、ケイトが顎に手を当てて困り顔になって言った。
「……どうやってきりだせばいいのかしら……それが問題だわ……」
「……うーん」
心と魂が、同じ唸り声を発したまさにその時だった。眼鏡女子が、カタカタと叩いていたノートパソコンの手を止め、ふらりと席を離れて通路の奥のトイレへと向かっていった。誰もいなくなった隣のテーブルの上では、液晶画面が淡い光を放っている。それを見たレナが、声をこっそりと潜めて言った。
「あの子今ちょうど席を立ってトイレに向かったぞ……ノートパソコン……勝手に見たら怒るだろうしなぁ。そこに何かヒントがあるかもしれないけど……」
「それはさすがに……犯罪行為ですもの、だめだわ……」
「一応見てくる!」
「え!?」
「見るだけ」
心がすっくと立って隣のテーブルへといき、机の上に残されたノートパソコンの画面を見てみると、画面はどこかの風景のみを表示していた。席に戻ってその状態を共有すると、ケイトが言った。
「それはロック画面よ。触ったらきっとパスワード入力を求めるようになっているはず」
「うーん、何て切り出そうか……」
「んーーーー……」
四人がどうアプローチすべきか頭を悩ませ、全員同時に唸っていた、その時だった。
「……戻ってきたぞ!!」
やはりどう切り出すか迷う四人。
「んーーーー……」
眼鏡女子が、椅子に腰を下ろし、今の四人とまったく同じトーンで何やら考えているような声をあげた。そして 衣擦れの音をさせたかと思うと、驚く四人を前に突如として上半身をバッと振り向けると、眼鏡のレンズの奥の瞳を怪しく光らせて、強い口調でこう言い放った。
「ねぇ、あんたら、さっきから思いっきり感情がみえてまっせ!?」
「ん、感情……?」
「えっ!?」
「この子は卓越感情がみえるのか」
「また……新しい保持者が一人……」
あまりの衝撃に言葉を失う四人を前に、その眼鏡女子は不敵にニヤリ笑うと、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた。
「怯えなくていいよ! わたしの名前は千春。よろしくね」
あまりにも突然で強烈な出会いに頭の整理が追いつかない一同だったが、心はすぐにポンと自分の膝を叩き、覚悟を決めて身を乗り出した。
「よし、どうせここで黙っていても一歩も話が進まない! 私たちが本を探していて、それを見たがっている理由を、今から全部隠さずに話そう!!」
「ま、そうなるか。話しかけて来てくれたし!」
「そうね!」
「異議なし!」
そうして、新しく加わった千春を交えた五人での奇妙な秘密会議が始まった。心たちは、自分たちがなぜ『漆黒の書』を探しているのか、そしてこの地球から遠く離れたアグダラという名前の星のこと、そこに大切な友達や身内が連れ去られてしまったこと、その人たちを取り戻すために漆黒の穴を通ろうとしていることを、一から十まで熱心に説明した。一時間以上の時間を要したが、一通りの壮大なストーリーを聞き終えた千春は、ふんと鼻を鳴らし、怪訝そうな顔で頭をごりごりと掻いた。
「ちょっと待ってー?私の方で纏めさせてもらうわ~」
そう言って千春はノートパソコンを引き寄せると目にもとまらぬ速さでキーボードを叩きながら、容赦ない言葉をぶち込んできた。
「まず、そのアグダラって星? どこにある星なのかもわからない? 仮にあるとするよ? そしてもしあんたたちが大金持ちで、宇宙船を持ってたとする。はいアグダラへ向かいます……」
「うんうん!!」
「何世代かかるっつーの!!!!」
「だからさぁ! さっきから宇宙飛行じゃなくて漆黒の穴っていう、ワープゲートっていうのか? 知らないけど……そんな感じのところを通ろうとしてるって言ってるじゃん!」
心が頬を膨らませて必死に抗議するが、千春は冷ややかな眼鏡の奥の目を少しも崩さない。
「それにさあ……その友達やら弟が、本当にその宇宙人に連れ去られたかとかも怪しい! ただの家出かもしれないし、ただの勘違いかもしれない……大体、あんたらが本当に何か能力を持ってるってのも怪しい。本当だっていうんなら、あんたたち全員のその能力を見せてみてよ。納得できたら、私のも見せてあげるから」
「わたしの術も疑うとはいい度胸だ。望むところだ! 押忍!」
魂が拳を力強く握りしめ、五人は喫茶店の会計を済ませると、すっかり夜の闇に包まれた近くの静かな公園へと向かった。
――続く




