73.万寿苑の一幕①
夕暮れ時の商店街。ぽつりぽつりと、街灯が灯り始める中、一人の少女が、真剣な面持ちである店の前に立っていた。その店の名は『万寿苑』。そこは、青空心が味噌ラーメンが美味しいと贔屓にしている中華料理屋だ。
「押忍……」
江茂志三高の制服に身を包んでいるその少女は、どうしてもお腹が減っていたため、行きつけではないが目に留まったその店の暖簾をくぐった。
ガラガラ……
「いらっしゃいませ!」
扉を開け、店内へ入った少女が最初に目に入ったのは店の奥の客二人の姿だった。
(あ……奥のテーブル席に他校の生徒がいる……)
それが江茂志四高の制服で、栗色ロングヘアの可愛らしい少女と、その対面に座る一人の初老の男性の後ろ姿。少女はその少女と一瞬目が合った。その二人は楽しそうに、ラーメンをすすっていた。
(あれは四高の制服……それと、じいさんか。まあ、私には関係のないこと。気にする必要はない)
彼女はすぐ手前のテーブル席へと腰掛けた。テーブルのどちらに座るか一瞬考えたが、店の雰囲気を味わいたかったので、空間側に身体をむける席となった。つまり栗色ロングヘア少女が見える位置だ。
「店員さん。ネギ味噌ラーメン、麺硬、脂多めで! 押忍!」
威勢よく注文を通した瞬間、奥のテーブル席にいた四高の少女が、その豪快な注文に驚いたように目を大きくして彼女の方を見た。
ぽかぁん……
不思議そうに少女を見ていたが、少女はそれを気にしないそぶりを見せた。やや得意げ。
「フフ……」
しかし直後、厨房から身を乗り出した店員から返ってきた大きな声は、想定外の答えだった。
「あぁ、お客さん!すみません、うち、細かい注文とかは対応して無いんです」
ドォォォォーン!!
(ぐっ……し、しまった!!つい、いつものノリで普通に麺硬とかいっちゃってた…!)
彼女の行きつけの店はいわゆる家系ラーメン屋であり、ここは昔ながらの中華屋である。そして普通に断られた。しかも他校の生徒にまだ見られている。一瞬で顔がカッと熱くなり、猛烈な恥ずかしさが押し寄せてきた。ここで取り乱すわけにはいかないが、心臓はバクバクだ。人前での彼女は、常に『男らしく、厳格に育てられた人間』、『そういう生き方』だ。それを醸し出さなければならない。他校の生徒がいる前で、無様な姿を見せるわけにはいかなかった。
「そ、そうなんですね、は、はは!!では、コホン……味噌ラーメンを、一つ……押忍」
恥ずかしさを必死に噛み殺し、平静を装ってどうにか注文を修正した。しかし……
「ぐ……」
(まだ見られてるよぉぉぉお!! なんなんだ!? あの子は! そんなにこの制服が珍しく見えるのか!? ここは三高にも近いよぉぉぉ!?)
思わず下を向き、心の中で激しく悶絶する。彼女は穴があったら入りたいほどの赤っ恥を隠し通していた。そして数分後。
「おまちどうさま〜。どうぞ~!!」
目の前に運ばれたのは、至ってシンプルな佇まいの味噌ラーメン。
(ふむ……こだわり抜いた家系でもない、至って普通の、中華屋の味噌ラーメンか……。まあ、とにかくお腹が減ってるし。致し方ない……)
テーブル上に備え付けの箱から割り箸をとり、まずはスープを一口すすってみる。その瞬間、彼女の脳内に衝撃が走った。
(え!? え!? こ……これはっ!!)
目がカッと見開かれる。
(ただの味噌ラーメンだと侮っていたけど……とんでもない!!最初に舌を打つのは、尖りのない、しかし奥深いコクを持った白味噌のまろやかさ!!そこに、ラードで香ばしく炒められたモヤシと挽肉の旨味が完璧なグラデーションとなって溶け出している……!!そしてきっとある!!あの厨房の奥には、常時高温で熱された鳥ガラと豚の背油の入った寸胴がっ!!そして麺も良き!!スープをこれでもかと絡め取る中太のちぢれ麺っ!!すする度に……すする度に小麦の香りと味噌の芳醇な風味が鼻腔を爆破せんばかりに駆け抜けていく! 奇をてらうことなく、それでいて……王道にして頂点~!!これは……『昭和から続く奇跡の一杯』……!!美味い!美味すぎる!!『激しい鍛錬』の今日の疲れを一気に掻き消したぁぁぁぁああ!!)
魂の脳内で食レポが炸裂した。その身体に、温かいスープの優しさと力強さが隅々まで染み渡っていく。あまりの美味しさに、じわっと視界が潤み、不覚にも涙すら出そうになる瞬間が訪れようとした。そして尚も麺をすすり、スープを飲み干そうとしたその時だった。
ガラガラ……
「いらっしゃいませ!」
派手なシャツを着た二人の男が入ってきて、中央のテーブルへとやってきた。
キキキキィ!! ドカッ!!
と勢いよく座ると、いきなり言った。
「さーせーん!! ビールみっつ!! 超特急で!!」
「ガハハハ!!」
「はい……!」
(うわ……タチ悪っ……煩いな……)
すぐに従業員がビールを持ってきたが、さらに罵倒をつづける男たち。
「おっさぁんよぉ!! 『三人』いるんだからコップは四つだろうが!!」
(三人……?)
「え……二名様じゃなかったですか!? すみません、今持ってまいります!」
といった瞬間、もう一人が入ってきて、座った。
ガラガラガラ!!
「おー来た来た! おい、お前のコップねぇってよ!!」
「あぁ? 舐めてんのか!? あの親父が言ったの?」
先ほどの従業員がコップを持ってきた。
「はい、俺のコップ忘れたんで、ラーメン安くしてねー!!」
「ぎゃはははは!!」
「それは……ちょっと……はは……」
(あぁ……もう!折角、至高の味噌スープの味を楽しんでいたのに……!!)
店員が怯えるのを見ると、彼女の箸がピタリと止まった。
「しっかし!色気のない店だな! もっと景気良くサービスしろよ! 可愛い子雇うとかさ!! 例えば! そこのお嬢ちゃんとかさー!!」
(!?)
「おぉ! 高校生の女の子じゃん!! JK!!」
「一緒にラーメン……食べませんかぁ!?」
「……」
「ぎゃははは! おいおい……可哀そうだろ!? やめろよー! ぎゃははは!」
言われた少女は拳をテーブルに置いて言った。
「あんたら!! 煩いよ!!」
「あーぁ、この子怒っちゃったよ!?」
と言ったその瞬間だった。後ろからスタスタとやってきたあの栗色の髪の女の子が連中の座るテーブル前に立つと、言った。
「あーぁ、ん……? 何だ…また高校生だ。お嬢ちゃん、何?」
栗色の髪の女の子は拳を握って見下し、怒った表情で言った。
「お前ら!! さっきから……すっげぇ煩い!! 客にまで迷惑かけて! すっごい店の迷惑になってること、わかんない?」
「あわわわわ……心ちゃん、大丈夫だから……」
三高の少女は、どうやら店の人とその栗色の髪の少女が知り合いであることがわかったものの、女の子の正体が、『青空心』という『界隈』では名の知れた名前の持ち主であることは知らなかった。しかしそんなことはどうでもいい。自分も彼女同様、怒っているのだ。
「押忍。おい、あんたら。神聖な麺処で騒ぐな。お前たちのせいでスープが冷めた。表へ出ろ! そしてあんた、ありがとうだけどこいつらは私に喧嘩を売ったから……」
「え……?」
「あ?なんだお前、生意気な口叩いてんじゃねえぞ!!」
彼女は右手に一本だけ割り箸を持ち、男たちを外へと連れていく。
「じっちゃーん!! ちょっと先に出るね!」
「遅くなるんじゃねーぞー!!」
それにつられて出ていく丞は言った。
「やれやれ……」
「丞さん、あの子たち、大丈夫かなぁ……?」
「いやいや! あっちの男どもが心配だよ!」
――続く




