69.キックベース①
十月が終わりを迎えていた。市役所の地下、観衆たちの狂気と熱狂が渦巻く闘技場、怪物たち、そして市長とその秘書。度重なる死闘を戦い抜いた心たちに、束の間の休息が訪れた。
青空心は、見慣れたはずの江茂志市の風景が、どこか薄い膜で隔てられた虚構のように、これまでと違う雰囲気を醸し出しているように思えた。しかし、そんな気分の心を日常へと引き戻したのは、他でもない。文字通り、日常の今を生きる若者たちの熱量だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
心たちが通う江茂志四高から北東へ二キロメートル程離れたところに、『江茂志第三高等学校』がある。そのすぐ近くに、立派な洋風の一軒家があった。表札には『切下』の文字。そこに住む黄色のボブ頭の女子、『切下真帆実』 は、学校から帰ったばかりの制服姿で、コーヒーカップを片手に、その年齢には似合わない、立派な椅子に腰掛けていた。
「ねぇ~?全然メールしても返事がこないんだけど!なんでぇ?」
真帆実は近くで掃除をしている家政婦に話しかける。
「真帆実お嬢様……確か、昨日からでしたっけ……?」
「そう! これ、絶対無視されてるよねぇ!?」
「そのお友達も、忙しいのかもしれませんよ?」
「うん?お友達じゃないわ。話したこともない!」
「ぇ……」
真帆実の答えに、女中は手を止めて困惑した顔を向けた。
「知らない人からメッセージがきたら、普通は警戒してしまうかと……!」
「あそっか〜! う~ん、じゃぁどうしよっうかなぁ?」
「電話番号は、知らないですよねぇ」
「あ知ってる!! その子の電話番号、有名だから!」
「どうしてその子の電話番号が有名なんですか?」
「不良の中で有名らしい! 電話かけてみよっかなぁ~?」
「その子、不良な子なんですか?お嬢様は不良じゃない。お嬢様はその子に何の用が?」
女中の率直な疑問に、真帆実は普通に答える。
「そう。わたしは不良じゃない。切下家の娘! ただぁ、ちょっとその子と闘ってみたいんだよねぇ~。とりあえず、電話してみよっ!」
「闘う?喧嘩はダメですよ!!」
「まさかぁ~」
そう言うと、真帆実は迷わずハンズフリーモードにしてから青空心に発信した。
「もしもし?」
(うぉ! 出た!)
思わず顔を見合わせる二人。メッセージをことごとく無視され、まさか電話に出るとは思わなかった。スピーカーから聞こえる声に、真帆実は話し始めた。
「こんばんは。青空心さんですか?」
「そうですけど?」
「わたくし、昨日から何回もメッセージ送ってたんですけど、見て頂けてないのですか?」
「あ! 真帆実って人? えっとね……読んだんだけど、なんて返事返そうか迷っちゃって返してなかった!!」
真帆実が同年代であることと自分と闘いたがっていることを思い出し、心の話し方が所謂『タメ口』に変わったので、真帆実も即座に口調を合わせた。
「わたしの挑戦、受けられないの? 何か都合悪いの?」
「いや、全然イケる! イケるんだけど、ただ、私それをやったことないんだ。まず……ルールをわかってない!」
「『三角ベース』知らなかったのかー! ってそこからかよ!!!」
◆◇◆◇
それは野球に似たルールの遊び。野球にある『三塁』が無く、一、二塁とホームベースしかないので三角形になる。だから三角ベースという。別名『キックベース』の名の通り、バットの代わりに脚を使い、投手が転がすサッカーボール等を打者が蹴り飛ばす。故にバッターとは呼称せず、キッカーと呼ぶ。この二つが大きな野球との相違点だ。尚、ボールはその位の大きさなら何でも良い。アウトの取り方は野球と同じくフライを捕るか、あるいはボールを持った守備側が先のベースを踏むこと、そしてここも野球と異なるが走者にボールを当てることでもアウトが成立する。三塁がない分、スピーディーな展開が魅力の遊びだ。
◆◇◆◇
「あぁ、『野球の蹴る版』みたいな感じね? なら全然いける! でも私一人とどうやって戦うの? そっちはチームがあるの?」
「四高の学校には、野球部あるじゃん?」
「あるよー。毎年地区大会でいいところまで行ってる!!」
「学校だから、そっちにもそれなりのグラウンドもあるでしょ? 明日の十四時位に舞台を用意しておくから、そこに来てもらえる?」
「舞台?」
「うちのパパ、四高の理事長とマブダチだからさ、サッカー部の顧問の先生に頼んでグラウンド半分空けさせて、三角ベースの練習試合に付き合うように言ってもらっとくから。私のファンの男たちを引き連れて、勝手にそっちのサッカー部と試合してるから、そこに、ピンチヒッターとして『飛び入り参加』してよ。私はピッチャーだから! 舞台はそれよ」
「1対1じゃ駄目なの? ってか何その権力!! ファン!? あんた、アイドルか?」
「1対1じゃ絶対駄目!! ちゃんとした試合として、皆の前で貴女に勝たないと、意味が無いじゃん?」
「へぇ……まぁいいけど。それじゃぁ、明日の14時ね!」
そう言って電話を切った心の表情には、余裕があった。この間のトーナメント戦の命のやり取りに比べれば、ルールのあるスポーツ対決など、可愛らしい日常のスパイスに過ぎないと。しかし、その時の心はまだ知らなかった。真帆実という女の真の恐ろしさを。
――続く




