66.檻の中の戦士たち⑨
静寂が戻った正八角形リング。そこに残っていたのは市長とエモーションズたち、四人だけ。市長は心たちをリングの上へ呼び寄せ、静かに語りかけた。
「貴女たちのような強い人間がこのリングに現れたのは、奇跡です。これまでこのリングに上った人間は確かに実力はありましたが、それ以上です。明日の決勝、貴女たちがどのような闘いを見せて頂けるのか……とても楽しみです。健闘を祈っていますからね!」
そう言い残すと、市長は多くのブラモンたちのいるその闇の中に姿を消した。アリーナ内のリングに残されたエモーションズの3人は、静寂の中で明日の決戦に向けたそれぞれの課題と向き合う。心は、秘書の圧倒的な『プロミネンス・エグゼキューション』に対抗するにはどうしたら良いのか考えていた。リングの真ん中で座禅を組みイメージトレーニングする。しかし、あの強すぎる秘書の攻撃を避け、攻撃を当てるというイメージがどうしても出来なかった。焦燥が心を苛立たせる。
ケイトも同様だった。そのリングのコーナー前で、深いイメージトレーニングの海に沈んでいた。脳裏に、これまでの記憶が次々と鮮明に蘇った。ナイフを握るクロコーたちとの出来事……黒いブラモンたちの心の幼馴染やレナの弟を連れて行こうとする瞬間……スイミーや金色ブラモンとの出会い……そして獣の頭をもつ上級ブラモンとの死闘……。最後に現れたのは明日の敵秘書の影だった。そしてそれは己の全身全霊を込めた『瞬刻波』を叩き込むイメージを脳内で爆発させた瞬間だった。
「はっ……!! ここは!?」
そこは大宇宙だった。
親友・茜の姿が目の前に現れた。しかしそこにいる茜は体中が傷だらけで、今にも崩れ落ちそうなほど弱り切っていた。
「茜!! 今、治すから!」
ケイトは茜に『瞬刻再生』をしようと、手を伸ばす。
「!!」
だが、茜の足元だけが宇宙の色以上の漆黒の楕円へと変色した瞬間、目の前の茜が落ちた。ケイトは、そのあまりの速さにそれを目で追う事しか出来なかった。茜は救いを求める手を伸ばしながら、漆黒の奈落の底へ底へと吸い込まれていく。
「あぁぁぁぁ……」
絶望の淵に立ちつくし涙するケイト。同時に、周囲の大宇宙の色が『緑色』へと変わった。ケイトは絶対的な恐怖の中にいることを認識し、落ちているのは自身であることに気づいた。周りの星々が次々と究極のスピードで下から上へと移動するのが見えた。あまりのスピードにより、無数の星々の点は『赤い閃光』となった。
「これは……!!」
その時、下の方から、上へと通り過ぎていく星々とは異なる二つの影が見えた。自分と同じ高さの位置を通過しようとしたその瞬間に、その顔を見ることが出来た。それは茜を連れてそこに佇む秘書だった。落ちていくケイトを、秘書が上から見下ろしながら言った。
「がっかりさせないでくれよな……」
そういい放ちながらさらに上へ上へと上昇していく二人。
「連れて……いかせるものかぁぁぁ!!」
激昂するケイトの視界の先、秘書と茜の目の前に『赤い閃光』が現れた。まさにその瞬間だった。 片方の掌からは茜に向けて『瞬刻再生』を、もう一方の掌からは『瞬刻波』を同時に放っていた。それは、ケイトがのちに『瞬刻双極波』と名付け技であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
レナは、自分の無力さに唇を噛んでいた。心の爆発的なスピード、ケイトの必殺の攻撃技。それに対し、自分はケイトの治癒能力ありきの『驚反』しかない。今のままでは駄目だと。
(これでは……決勝で足を引っ張ってしまう! 自分にしかできないことを探すんだ……!)
彼女は肌身離さず持ち歩いていたショルダーバッグから『純白の書』を取り出した。これまで全く光を放っていなかったそれが、まるで使うときは今だと言わんばかりに、淡い光を放っていた。以前に開いた時は字が書いてあるにも関わらずその内容が読めないという結果で終わった。しかし今回は違う。開いた瞬間は空白だったページに、文字がびっしりと浮かび上がり始めたのだ。
レナが、この時求める能力はそれしかなかった。レナはその能力名を心の中で叫んだ。
(欲しいのは……『アブソリュート・エクリプス』だ……頼む!!)
それは、デスペラーズ戦でブラモンがレナの『驚反』を無効にした能力。能力を繰り出そうとした瞬間にその発動自体を封じ込めてしまうという、対能力者用の封印術。レナ自身、自分を苦しめたその能力の会得を求めていることに、皮肉な選択だと思った。そしてその文字は、なかなかはっきり浮かび上がらないでいた……。
(あれなら……秘書の必殺技を……防げるんだ! 頼む!!)
その時、ついに文字が現れた。そこにあったのはアグダラ文字だった。いつかのクレッシェンド山の石碑で、心がアグダラを意味する文字を読んだことがある。それと酷似したタイプの文字列が並んでいる。
「読める……!! 卓越感情が文字を理解してくれてるんだ!!」
そうして出たのが『アブソリュート・エクリプス』と読める文字列だった。レナは必死に文字を追った。そこには能力を繰り出すためコツや力の練り方が丁寧に記されていた。それを脳で理解し、さらに体に覚え込ませる。純白の書がレナの脳内に直接送り込んできた『力の練り方』。それは、自身の卓越感情である水色のオーラを外部へ放出するのではなく、極小の一点に向けて強制的に「逆流・収縮」させ、光すらも呑み込む『虚無』を疑似的に創り出すという、常軌を逸したエネルギー操作だった。
レナは書物の教えに従い、静かに目を閉じる。自らの内から立ち上る水色のオーラを掌へと集め、本来外へと向かう力のベクトルを、無理やり内側へと捻じ曲げ、圧縮していく。
「……っ!」
しかし次の瞬間、相反する力の衝突がレナのオーラを暴走させる。
バチィィッ!!
掌で練り上げようとした虚無が弾け、逆流したエネルギーの衝撃波がレナの脳髄と神経を直接殴りつける。肉体的な外傷は一切ないが、魂そのものを荒いヤスリで削り取られたかのような、強烈な精神的苦痛と嘔吐感が彼女を襲った。
「はぁっ……はぁっ……」
冷や汗が全身から噴き出し、膝から崩れ落ちそうになる。それは書の記す『能力の失敗』を意味する。失敗の都度、精神が削られるような感覚があった。
「効く……ぜぇ……へへっ……でもこの痛みは……きっと、近道……への……副作用……試練だと……思えば……耐えられ……る!!」
レナは口元を歪めて笑い、震える足で再び姿勢を正す。
オーラを練っては失敗と激痛。それが幾度となく繰り返される。精神の摩耗、目に見えない自傷行為のような過酷な特訓。痛みに視界が明滅し、意識が遠のきそうになっても、レナの眼光は決して死ななかった。
そしてスマホの時間が真夜中を迎えた頃。ついにレナの掌の上で、水色の光を完全に喰らい尽くす「黒い玉」が、静かに顕現した。ついにその要領を心得た実感が手に宿った。しかしこの時のレナは、まだ感情閃光を認識していない。
(黒い玉はアブソリュート・エクリプスの及ぶ範囲だ。……絶対外せない。感情閃光ならば必中か……くっ……次は出来た黒い玉を一瞬で……少なくともリングを覆いつくすくらい増大させるステップだ! もうすぐだ! 卓越感情を収束させることができたんだ! それよりかは容易い!!)
◆◇◆◇◆◇◆◇
心は焦っていた。
(出来るだけのことはしたはず……なのに……勝利のイメージが全く出来ない……!はっ!!)
カツン……カツン……
その時暗闇の通路から人が来る足音がその空間に響いた。暗闇の通路から、人影が姿を現した。漆黒のライダースーツ。秘書である。
「秘書……!? 明日決着だっていうのに、今何の用だ!」
心が鋭く身構えるが、秘書はマスク越しに淡々とした声を響かせた。
「そう。 明日決着。あまりの差に取り乱してないかなと思ってね」
「くっ……!!」
何も言えなかった。
「フフ! 正解だったかな? 正直、今のお前たちでは、明日の試合、あまりに退屈になりそうだ」
「う…うるせぇよ!!」
「そう、無下に扱うなって。私とスパーリングをやってみないか? 二分間だけ、体験させてやる」
「なっ……!? 正気かよ。何故?」
「さぁな……」
秘書の提案。それは何かの罠かもしれない。だが、心の中の闘争本能がその言葉を上回った。この怪物の動きを、本番前に一瞬でも肌で感じられるチャンスを逃すわけにはいかない。
「いいよ! 受けて立つ!」
「ケイトとレナ!お前たちもよーく、見ておくんだな……」
「!?」
「……」
何も言わず、レナとケイトは邪魔にならないよう、ロープの外から様子を観ることにした。
「二分間の真剣勝負だ!! いくぞ!!」
秘書の宣言と共に、夜の静寂を切り裂いてスパーリングが始まった。
シュンシュンシュンシュン!!
(やはり……速い!! しかし……心! 頑張れ!!)
秘書の動きのスピードは、準決勝で見せたもの以上だった。心は『無刹』を使って互角のスピードといったところか。
シュバッ!! シュバッ!!
しかし心は決定的な一打を打ち込めない。秘書の前に『感情閃光』が出ないのだ。
(こんなんじゃ、あの必殺技を撃たれる前に、体力を削り取られて終わってしまう……! )
心の勝利への道のパターンは、現在一つしかない。すなわちこれだ。
1、『無刹』の瞬間移動で懐に入る
2、『感情閃光』の視認
3、閃光を『トルネード・アッパー』でなぞる
この一連が同じタイミングで起こらなければならないのだが、感情閃光の視認が厄介なのだ。何故なら、感情閃光は思った時に現れるものではないからだ。つまり『賭け』なのだ。出現しなければトルネードアッパーの威力は本来出したい威力・スピードともに三分の一。常人相手ならともかく、これでは命中どころか簡単にカウンター攻撃されてしまうからだ。心はそれを数度繰り返した。しかし心は決定的な一打を打ち込めない。秘書の前に『感情閃光』が出ない。否、数度だけではない。心は無刹からの強襲に合わせて一か八かの突撃を繰り返した。しかし、狙いすましたその全ての瞬間において、あの光の線はことごとく姿を現さない。出現しなければ威力・スピードは狙いの三分の一になる。不発の隙を突かれ、その度に秘書の無慈悲なカウンターを浴び、一方的に体力を削り取られていった。
(なんで……! なんで出ないんだ!! 前に出た時はもっと簡単に出たのに……)
心の中に、激しい焦りと感情閃光に疑念を抱き始めた。
(まさか……あの閃光……対峙する敵が強大であればあるほど、それが出現し辛くなるものなのか!?)
運良く現れても、敵に掻き消されるか、時間制限で無情に消滅する。それは心の焦りを増幅させた。そして意識して狙い、欲張りにいけばいくほど、その焦りや雑念が心を狂わせる。実のところ、その幾多の攻撃の中で、『一度』だけだが、現れた瞬間はあったのだった。焦りの中で、心はそれを取りこぼしていたのだ。直後、秘書の容赦ない前蹴りが心の腹部に深く突き刺さる。
「がはっ……!」
(今のは……!!)
心はたまらず大きく吹き飛び、マットに膝をついた。圧倒的な絶望。しかし、痛みに顔を歪めながらも、心の目は秘書の足元を鋭く見つめていた。吹き飛ばされる直前、心が『無刹』で懐に入り込もうとした刹那、秘書はすでにそこへ蹴りを置いていたのだ。
(……いや、待て待て! なんで私の現れる先が分かっていた!?)
理由は分からなかった。だが秘書が心の動きの先を『先回りして』蹴りを放ったのは確かだった。
(こいつ予知能力でもあるのか!? もしそうなら……負ける!! とにかく……秘書は先回りして攻撃を放つ……!! その一手先をまた考えるんだ! 何か……手は……!?)
その時、心は自身の強みのことを考える。それは『スピード』。到達した先は『フェイント』だった。フェイント。それは初めてレナと闘った時に、一瞬ではあったがレナを凌駕したもの。当時の心は勿論真剣だったが、格闘技の道を通る前の彼女は、『ハッタリ』で生きていたとも言えた。
(あの時のように……フリを使うんだ! 『無刹』で突っ込むフリをして、秘書が先回りして動くその瞬間を狙い撃ちできたらどうだ。相手が動く先が最初から分かっているなら、そのピンポイントのタイミングにだけは、こちらの意志で『感情閃光』を無理やりにでも視認しにいける!)
そうしてまた実践するが、またもはその数発も交わし、反撃を受ける。秘書はその先すら読んでいるのだ。
「甘い!甘いなぁ……!」
(くそ、悟られている!! 悟られないように……しなきゃいけないんだ……)
心の脳内で思惑が駆け巡る、そして更に到達したのは脳内における収縮。心の脳内でその思いを一点集中させると、その一点は最後に消え、『無』となった。相手の「先読み」を逆手に取り、奔走し、寄せる。それを自身への偽りに変換する。自分をも騙す。そうして敵の先読みの未来に置き去りにする、自分すら欺いた完璧な残像……『虚像』。圧倒的なスピードで殴られ続けたからこそ見えた、ほんの僅かな、だが確かな勝算の糸口。
心がニヤリと、絶望の中で闘志の火を燃え上がらせたその瞬間、秘書は偽りのその場所を蹴りあげる。
(ぬっ……!!)
心の瞳の前に、秘書をターゲットにした斜線の閃光が現れた。しかし、空ぶった蹴りの姿勢の秘書にそれを放とうとしない心。秘書も構えるのをやめた。それを見て驚く様子もなく、ただ満足げに小さく頷いた。
「そう……二分だ。スパーリング、終了だ。明日、良い闘いをしよう!」
それだけ言い残すと、彼女はリングを降り、再び通路の闇へと溶けるように消えていった。残された心は、自分の両手を見つめ、震える呼吸を整えながら立ち去る背中を見送った。
(秘書……。私に答えを導き出させるために、わざわざここへ? だとしたら、『優しすぎ』ないか? それとも、ただ本当に最高の状態で私と殺し合いたいだけなのか……? 一体……何を考えているんだ……)
答えはその影とともに闇に消えたが、3人の瞳には、先ほどまでの迷いと恐れが消えた。新たに覚醒した能力。『感情閃光』が見えた後のケイトの『瞬刻双極波』、レナの『アブソリュート・エクリプス』、そして心の『虚像』。奈落の底に、最強の役者が揃った。明日、同じリングで、すべては決着する。
――続く




