56.市長への接近
『絵描きの少年』との出会いの翌日。心が市役所の代表番号に電話をかけるのは、これでもう何度目になるのだろう。
「市民の者ですが、市長とお話できる機会はありませんか?」
最初は丁寧な言葉遣いで、担当部署に繋いでもらおうとした。しかし、電話口の職員は、マニュアル通りの言葉を繰り返すだけだった。
「ご意見はメールかお手紙で承っております」
「市長は公務で多忙を極めておりまして、アポイントメントは...」
「うぅ……そりゃ……こうなるよなぁ……」
「漆黒の書の話を、市長本人以外に話せば、悪戯電話として処理されるだけだろう……」
レナの言うとおりだと思った心は、市長に会いたい旨を繰り返し、具体的な理由は口にすることができなかった。その不自然さが、かえって職員たちの警戒を強めていることもわかっているのに。
(駄目だ! なんで、漆黒の書を所持しているのが、よりによって市長なんだ……)
数日後の夕方。わざと、もうすぐ窓口が閉まろうという時間にも電話をかけてみた。
「あなた、いったい何のご用件なのですか?」
電話口に出た若い女性の声には、わずかな苛立ちが滲んでいた。
(もう私のこと……知れ渡ってしまってるかも……)
◆◇◆◇◆◇◆◇
電話で駄目なら、文字で伝えるしかない。心は、市長に手紙を書くことにした。便箋はコンビニエンスストアで買ったが、その中でも一番格式高く見えるものを選んだ。文字は丁寧に、心を込めて書いた。市長さんなら、庶民のことを考えた対応をしてくれるはず……!
数通の手紙を送った。最初の一通目の内容は、最近比較的市民の反対の声が多い、『ごみ処理施設』の建設について言及した。近隣の建設反対の要望の意思を伝える文を簡潔に書いたものだった。これは、自分のこととは関係ないが、しっかり対応をしてくれるかの確認のためだった。返事はこなかったが、心は住民たちの切実な声としてもう一度ほぼ同じ内容を書こうとする。しかし今度は、その中に謎めいた言葉をちりばめていた。内容の『検閲』に引っかかってしまわないように、誰に読まれてもただの熱心な市民の意見にしか見えないようにしなければならないが、『市長』だけには意図が伝わるような、そんな文章。心は、加筆と修正を繰り返したが、心には、上手く書ききることは出来なかった。それを踏まえた文章の内容が、どうしても非現実的になってしまうからだ。
「茜だったら……上手い文章を書けるんだろうな……」
◆◇◆◇◆◇◆◇
苦慮するが答えが出ない。しかし次の日、心の苦労は違う形で報われるのだった。市の『ホームページ』を見ていたら、その週の金曜日、市議会で、例のごみ処理施設の建設に関する予算案の審議が行われるらしい。しかもその会議では一般市民の傍聴が可能だというのだ。これを知り、これは直接訴えるチャンスかもしれないと思った心は、その金曜日は学校を休み、市議会の傍聴に向かった。
傍聴席は、閑散としていた。市の議員たちが建設案などについて淡々と議論する中、市長は一言も発することなく、議長の左側の席で静かに座っている。初めて見たその姿は、手の届かない存在に感じられた。それが女性ということは知っていた。
賛成多数で予算案が可決され、人々が席を立とうとした、その瞬間だった。
(ここだ! 今だ!!)
心は立ち上がり、声を張り上げた。心はこの時を待っていたのだ。
「市長~っ!! 世良市長~っ!!」
その声に、何だ何だと席を去ろうとしていた議員たちがざわめいた。
「世良市長、こ、これにサインをして頂けませんか! あなたのファンなんです!!」
馬鹿に見られても構わない。とにかく目立つ必要があったのだ。市長を名指ししたのも、必ず一度はこちらに視線を向けてくれるはずと判断したからだ。
「おい、君、待ちたまえ……」
「こらこら、市長は忙しいからね……」
傍聴席側の出入り口近くにいた守衛や、市長の『取り巻き』の複数の職員が心を制止しようと駆け寄ってくる。
「世良市長! お願いします!」
「いいかげんにしなさい!お嬢さん」
市長の取り巻きがついに強い口調で心を制止しようとしたその時。
「待って。いいですよ。どこに書けば?」
(やった!!)
「ありがとうございます! えっと、このノートにお願いします!」
「はいはい。ん……」
市長にサインを書いて欲しいと広げたノートの左側には、すでに心が書いておいた文字がマジックで大きく綴られていた。そこに書かれているのは、『漆黒の書、赤いビーム、ブラック・モンスター、能力、アグダラ、ゲイム・ジェン・ヨハン』といった、漆黒の書やアグダラのことを知っているものにしかわからない言葉。その文字を見た市長が真剣な表情になった一瞬を、心は見逃さなかった。その時心は、少年の言う通りであったと確信した。
心は、サインを書いたペンとノートを返してもらうと同時に手の中に仕込んでおいた自分の名前と電話番号を書いた紙を市長の掌に押し込むように渡した。
「はい! もういいだろう!?」
心はそのまま、職員に促されるままに議場を後にした。そしてその夜、心のスマホに番号非通知の電話が掛かってきた。
「はっ……!!」
期待を込めて応答ボタンを押した。
「もしもし……」
「来週月曜の午後、市役所に来て下さい。市長がお会いになります。詳しいことはその時に……」
こうして心は、完全アウェイの公の場で、たった一人、次への扉をこじ開けたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
月曜の十五時三十分。目的の場所へと向かった。道中、人の少ない路地で二人の『輩』に絡まれたがその二人がどうなったか、結果は言うまでもない。
「ほんっと、私ってよく喧嘩売られるよなぁ!! まぁいいや。行くぞー!!」
バス通りである片側二車線ずつの道路沿い、駅近くになるにつれ、一階がお店になっているビルが多く連なっている。しかし目的の建物はその手前に存在する。先週、電話を掛け倒した江茂志市役所だ。心も自分の家の店で新たな設備を整えた際に、手続きが必要で行ったことがある。その空間は広く、天井も高く、施設は新しく清掃も行き届いていた。各窓口の前では、人々が静かに自分の番を待っている。心は、辺りを見渡したあと総合案内所を目にし、そこへ向かった。
「すみません、市長室へ行きたいのですが。アポはとってあります」
「あぁ、話は伺っております。はい、私が案内します」
(え、わざわざ一緒に来て案内してくれるの……?)
◆◇◆◇
無言のまま先導する職員は、市長から受けた指示と、目の前の少女の姿が、どうにも噛み合わず、考えていた。
(なぜ市長は、この子に、そこまで慎重になるのだろう?)
市長室に呼び出されたときの言葉を思い出す。
『少し厄介な子らしく。どう行動するか……それを見てから、私が会うか決めます』
しかし、ついてくる子は、どこにでもいるような普通の女子高校生にしか見えない。
(厄介な子……? 一体……この子の何が特別なのか……)
エレベーターが三階で止まる。また廊下を歩いていく。職員はたまにちらりと心に視線を向ける。心はただぼんやりと辺りを眺めながら歩くだけで、特別な様子はない。
職員は市長の言葉を思い出す。
『あなたが私の目となり、彼女を見抜いてほしいのです。』
所内の廊下を歩く中、職員が探るように言葉をかけた。
「……先日は、ずいぶん手際が良かったそうですね」
「あっ……えへへ……」
心は小さく声を漏らすと、ほんの少し頬を赤らめて照れたような仕草を見せる。
(この反応……やはりただの女の子では……)
だが、話す内容を指定されている職員は、続けるしかなかった。いきなり本題に入ってみる。
「あなたは、持ってるんですか?その……本のことですけど」
「……いいえ」
正直に返答する心。そのあと、職員はスマホを一瞬だけ確認した……。
「そうなんですね……正直なのは良いことです。しかし残念ですが、今日はもう市長との面会はありませんのでお引き取り下さい。残念です」
「はい!?」
「さぁ、戻りましょう」
「え、え? なんで! 案内してくれるっていったじゃん!」
「不合格なのです。あなたは会えません」
「……持ってるっていえば良かったのか!? 嘘じゃない!!」
「ですから、不合格なのです」
「ちょっと待ってよ! 意味がわからない!!」
「ここで騒いだり、暴れたりしたら警察沙汰になりますからね。今日のところは大人しく帰るしかありません。また明日」
心を入口まで送ると、職員はそのあと電話で言った。
「市長。今日は帰ってもらいましたが、あの子は信じて良い子だと思います。はい、では……」
◆◇◆◇
――続く




