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55.少年との再会

 茜の考察ノートが示した『漆黒の書の在り処』。その手がかりを辿り、心、レナ、ケイトの三人は曽井川の陸橋へと向かった。夕暮れが迫る江茂志市の空の下、三人の足早な足音だけが、河原の砂利道を刻んでいく。茜の家を出てから、興奮と期待と微かな不安が混じり合った奇妙な感情が、三人の胸中を駆け巡っていた。


「まさか、既に心が出会っていたというその少年が手がかりになるなんてな……!」


 レナが、興奮気味に言った。心から聴いた不思議な少年の話。心がマラソン中に陸橋で出会ったその少年は、目の前の風景とは異なる砂漠にそびえる美しい城を描いていたという。しかし、レナ自身の体験でなかったためか、期待と同時に未知の存在への警戒心が混ざった複雑な感情があった。


「うん。そうだったらいいな」


 心は、確信めいたものを感じ応えながらも、少しだけ疑惑じみた感情も残っていた。もしあの少年が本当にアグダラの風景を描いていたとしたら、あの子は一体何者なのか。なぜ、そんな絵を描くことができるのか、疑問が尽きない。そしてケイトは、不安げに俯(うつむ)いていた。


「その子が、ブラモンである可能性も考えておいた方がいいわ……」

「あぁ……確かに……」


 ケイトの言葉で、一瞬沈黙が流れた。ブラック・モンスター……ブラモン……。それは心たちにとって、まだまだ未知の存在だ。茜を連れ去った存在と同じである可能性も否定できない。しかし、その可能性を前にしても、心は力強く言った。


「大丈夫だよケイト! 話をした時、不思議な感じはしたけど、悪意は感じられなかった。それに、私に敵意を向けている感じでもなかったし!」


 少年との出会いを振り返る心。彼の描いていた風景画には、不思議な魅力があった。そして、その絵と彼自身から感じたのは、敵意ではなく、何か訴えるものだった気がする。


「それに、もしブラモンだとしたら、逆に私には好都合だ! ブラモン現れるところ、漆黒の穴ありだ!」

「うん!」

「ええ、そうね!」


 レナとケイトは強い眼差しで応えた。三人の決意は既に固く、茜を取り戻すためなら、どんな相手にも立ち向かう覚悟は出来ていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 やがて、曽井川に架かる陸橋の姿が見えてきた。錆びついた鉄骨の陸橋が大きな影を地面に落としていた。心にとってはそこはいつものマラソンコース。見慣れた光景のはずなのに、この時は特別な場所に思えた。陸橋のたもとに近づくと、見覚えのある少年の後ろ姿があった。川辺に座り、スケッチブックを膝に乗せて一心不乱に絵を描いている少年の傍らには、心が会った時と同様に、使い込まれた絵の具セットと数本の筆が置かれていた。夕陽を浴びた少年の横顔には深い影が落ちている。


 心が先導し、三人は少年を驚かせないように、そっと静かに近づいた。少年の描く絵が、三人の視線を吸い寄せる。それは、前回心が見た絵とは違ったが、やはり目の前の風景ではなかった。その情景は鮮やかな色彩で描かれていた。


◆◇◆◇


 天に輝く三つの星。その色はあの夜心の部屋から四人で仰いだそれと酷似したものだった。だがその下の、地球の『コロッセオ』に似た場所に描かれている光景は穏やかなものではない。壇上にはロープに拘束されているマスクの女性。その前で、三角帽子を被った二体の獣型ブラモンが大観衆に向かってこれみよがしに何かを訴えている。見せしめの処刑が観衆の前で行われようとする直前の絵。その絵は、心が前回見たものとは違い、鬼気迫る瞬間を表現していた。


◆◇◆◇


「……アグダラ……」


 ケイトが、震える声で呟いた。


 心は、彼の集中を途切れさせないように、ゆっくりと口を開いた。


「あの……君、その風景……どこで見たの?」


 少年の手がぴたりと止まると、彼はゆっくりと顔を上げ、振り返った。その瞳は、以前心が出会った時と変わらず、どこか遠くを見つめているような、憂いを帯びた色をしていた。


「やぁ……また会えたね。今日はお友達も?」


 少年は、三人の顔を順に見た後、優しい声で静かにそう言った。彼の声は、幼さの中にどこか落ち着いた響きを含んでいた。


「君が描いているのは、アグダラの風景なの? なぜ、そんな絵を描けるの?」


 ストレートな心の問いに、少年はすぐに答えようとはしなかった。ただ、俯き、スケッチブックに視線を落とす。しかし、その手は鉛筆を握りしめ、微かに震えていた。眉をひそめ、警戒を怠らず、少年の様子を窺っていたレナが質問した。


「君も、私たちと同じなのか? ブラック・モンスターについても、知っているの?」


 レナの問いかけに、少年の肩がピクリと震えた。彼はゆっくりと顔を上げ、三人をまっすぐ見つめた。その瞳の奥には、複雑な感情があるように見える。


「……僕の頭の中には、いつも『ミラの魂の声』が流れているんだ……」

「ミラ!?」


 その言葉を聞いた途端、三人は息を呑む。最初に反応したのは心だった。大きく目を見開いて、少年を凝視する。レナ・ケイトも同様に、驚きと戸惑いの表情を浮かべた。スイミーからしか聞いたことのない、レジスタンスのリーダーの名前を知っている。それは、彼の単なる想像ではないことの、決定的な証明だった。


「ミラの魂の声?」


 心は、か細い声で聞き返した。少年の言葉の真意を読み取ろうと、じっと彼を見つめる。彼のいう『ミラの魂の声』とは何なのか。それが、彼の描くアグダラの光景とどう関係しているのか。


「君の絵は、私たちに必要な手がかりなんだ。頼む!」


 心は、穏やかな口調で、しかし力強く言った。その言葉に、少年は少し驚いたように目を見開いた。レナとケイトも、心の言葉に同意するように、静かに頷いていた。


「私たちは、君の力を借りたいんだ!」


 心は、少年にもう一歩近づいた。


「君の絵から、アグダラのことをもっと知りたい。そして……そこにいる仲間たちを、助けに行きたいんだ」


 それを聞いた少年の瞳が、かすかに揺らぐ。彼は、心たちの真剣な眼差しから、嘘偽りのない感情を読み取ったのか、しばらく沈黙した後、意を決したように以前描いた絵のページへと捲った。


「これを見て……」


 そこに描かれていたのは、風景画とは異なる、精緻な図だった。八つのシンボルを結んだ線で構成された図。そして八つの周りをさらに放射状に囲う線と点。そこには、幾何学的で、しかし生命力すら感じるような、小さな八角形の図形が確かに描かれていたのだった。


「これは、プルチックの感情の輪じゃない?」


 レナが質問を投げかけた。少年は、その絵を指差した。彼の指先が微かに震えている。


「正式な名前は知らない。僕は…頭の中に流れるミラの魂の声が聞こえる。だからいつも絵にしているんだ。ミラの魂は、人の心を揺さぶる。さっきの公開処刑の絵は、このままだと、ミラが危ないっていうことなんだ。ミラの魂の声を表現すると、今は八角形のここが光ってるんだ。橙色のここ!!」


「プルチックの感情の輪……! あぁ、そこが何だったか、覚えてないなぁ……」


 少年は小さく首を振った。


「少し勉強不足かも。でもいいんだ。あなたたちに伝えたいことは、そこじゃない」

「伝えたいこと!?」


 三人は少年の真剣な表情を見て聞き続けた。


「この江茂志市に、いわく付きの年があることを知っている?」


 少年の口から出た「いわく付きの年」という言葉に、ケイトの顔色が変わった。それは、茜から以前聞いた、江茂志市の『市長』にまつわる話のことだ。定期的に、任期前に突然市長が変わるが、その前に市長により『とんでもない催し』が実施されるという話。心とレナは勿論だがケイトもその詳細を知らないため、ただ疑問の表情を浮かべていた。


「えと、ちょ、ちょっと待ってね……!」


 少年はそれを聞きコクリと黙る。3人で話し合い、考察した。


「……えーと、レジスタンスのリーダーの名前もいいあてたから、勿論信憑性が高い。そしてこれから何を私たちに伝えようというのだろう?」

「……そうだな! やっぱりあの子は信じられる!」

「……市長のこと、茜も言っていたわ!」


 三人の話し合いが終わり、少年に質問したのは心だった。


「ちょっと戻って聞くけど、さっきの絵に描かれている光景は……見たもの、ではないんだよね?」


 心が先程の公開処刑のことを尋ねたのは、これが過去なら、すでにミラは処刑されてしまっている。しかしもし未来の出来事だとしたら、ミラと会うことができるかも知れないと考えたからだ。レジスタンスのリーダーならば、ナオトのことも知っているかもしれない。


「そう……このままだと、こうなるっていう未来の話……」


 少年は、悲しげに瞳を伏せた。


「ぼくが聞こえる声は、アグダラが……文字通り大変な状況にあることを示しているんだ。そして、この八角形の絵の場所に行けば…もしかしたら…あなたたちの探しているものも…見つかるかもしれない…」


 少年は、心たちの顔を一人ずつ見つめ、ゆっくりと口を開いた。


「僕は、八角形の場所をつきとめた誰かがここへやってくることを待っていたんだ……ずっと……」

「私たちはそれで、ここにきたんだ」


 スケッチブックに描かれた八角形の一点を指さし、静かに続けた。


「これが……次への道標だよ。行き先は……今光っている、八角形の東北東の方角に位置するこの場所だよ。そこに位置するのは……『江茂志市役所』。市長から、これと同じものを入手して。八角形の中心へ行くのはそのあとだよ……」

「はっ……!!」


 そう言い終えると、その時取り出して見せていた漆黒の書とスケッチブックを抱いた少年の体が薄緑色の光を帯び始める。


 そのスケッチブックから八角形の図が描かれているその一枚を切り離し、心へと渡す。


「またね」


 少年が別れを告げると、その姿の下に、黒い穴が開くと、少年はその中へそのスケッチブックと漆黒の書を抱いたままその中へと入った。そこから薄緑色の光が漏れたが、漆黒の穴は収束していき、最後に残った一点がフッと消えた。


 その消え方は、ブラモンが穴の中に消え、漆黒の穴が消える瞬間と同じだった。


「警戒心を解くためだったのか……? あの少年は、ブラモンだったんだ……」

「役目を終えたから、自分の能力で帰ったんだな……」

「ただの絵じゃなかったのね。誰かの訴えを……絵に表現する能力……」

「卓越感情の持ち主! そして恐らくミラも」

「そしてやっぱりミラという人はまだ生きている!!」

「この江茂志市の『市長』が、今の少年、いいえ、ブラモンの……『対』の所持者……」


 心に渡されたその絵の、八角形の一部は少年が消えてもなお光り輝いていた。その色は、『希望』や『期待』を象徴する橙色だ。

 そして残る漆黒の書は、あと4冊。




――続く

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