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54.考察ノート

 その日の放課後、いつも通りのチャイムが校内に響き渡った。校舎を飛び出す生徒たちの喧騒を背に、心、レナ、ケイトの三人は校門の前で待ち合わせをした。その後の目的は、茜の部屋にあるはずの『考察ノート』だ。茜が学校に来なくなってから数日、焦燥感と不安が胸の奥で渦巻いていたが、同時に、きっと茜は無事だと信じる強い気持ちが3人を突き動かしていた。


「よし、行こう!」


 心が小さく息を吐いて言った。レナとケイトも力強く頷いた。3人で歩いた通学路は、今日はいつもより長く感じた。茜の家の前に着くと、チャイムを鳴らした。


ピンポーン。


 静かに響く音。しかし返事は無かった。二度、三度と鳴らしてはみたが、やはり家の中から人の気配がしない。諦めかけたその時、ケイトが半信半疑でドアノブに手をかけると、カチャリと小さな音を立てて簡単に開いた。ケイトが小さく声を上げた。


「あれ? 鍵、開いてる……?」


 なぜ鍵がかかっていないのか……。3人は顔を見合わせ、恐る恐る中へ入る。


「は、入りますよー!?」


 心が一応宣言した。玄関には、二足分の靴と下駄が散らばっていた。まるで急いで外へ飛び出したかのような、乱雑な様子に3人の胸に嫌な予感がよぎった。それとは裏腹に静まり返った家の中は、微かに生活の匂いが漂うだけだった。テーブルの上に、一枚のメモが目に入った。それが茜の父親による書き置きだとわかった。


『帰ったらスマホに電話して! 探してる』


 乱雑な文字で書かれたその字が、父親の焦りと心配を如実に物語っていた。心はそれをそっと手に取り、指でなぞる。茜のお父さんも、必死に娘を探しているのだ。


(大丈夫。いつか必ず連れ戻してくる!)


 心は胸の中で言った。レナが周囲を見渡していった。


「茜の部屋はどっちだろう?」

「こっちじゃない?」


 3人は居間に入って左隣の襖で仕切られた部屋へと入る。一歩足を踏み入れると、レナが感心したように声を上げた。


「うわ、茜の部屋、すごく綺麗に片付いてる。うっわ! 本が沢山……!!」


 その言葉通り、部屋はきちんと整理整頓されており、無駄なものは一切置かれていない。しかし、飾り気のない落ち着いた部屋は、茜という人間の内面をそのまま表しているようにも感じられた。本棚にはたくさんの書籍がぎっしりと並べられていた。知的な雰囲気を醸し出すその光景に、3人は改めて茜の聡明さを感じた。その本棚の中でも、ひときわ目を引く一角があった。そこには、『ガイタ・クロ』という作家の書籍のそれまでの全巻と、彼が特集されている雑誌の数々があった。


「あ……」


 心が小さな声を上げた。彼女の視線は、机の上に吸い寄せられている。そこには、『二冊のノート』が重ねて置かれていた。それは明らかに、学習用に使うノートではないと思った。もっと上質に見えたそのノートこそ、探しにきた考察ノートだ。心はそのノートを手に取り、ローテーブルの上に置いた。


「いいよね? 茜ごめん! 見るよ!!」


 3人で一冊目の中身を開いたが、内容が違う気がしたので表紙を確認してみると、『ガイタ・クロ』と書かれていた。


「あ、ごめん、こっちは違うな。」

「そうね。茜はガイタ・クロが大好きで、作品についての考察ノートを書いてるって言ってたわ」


 といいつつも、心はパラパラとページをめくってみた。しかし、そこに書かれている丁寧な文字、そしてその量と、内容の緻密さに思わず息をのんだ。


「うっわ…… 凄い!  見てこれ……ぎっしり!!」


 茜のガイタ・クロとその執筆物への情熱と、驚くべき考察力、そしてその細かな内容に、心たちは素直に感銘を受けた。こんなにも深く、一つ一つの物事を自分で掘り下げていたのかと。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 ガイタ・クロの本の考察はすぐに横にずらし、心がもう一冊のノートを中央に寄せた。表紙には何も書かれていないように見えたが、中を開くと……三人は息を呑んだ。今、より注目するべきものはこちらのノートだった。これこそが、探していたノートだった。心がそのノートをとりあえず目を通してみた。中には、その時々の茜の心情や、出来事が事細かに書かれていた。それはまるで茜の心の声がそのまま文字になったようだ。


「茜に会った時に、謝れば……きっと許してくれるよね?」

「大丈夫。私だったら読ませてもらうわ」


 心は躊躇したが、昔からの茜の親友であるケイトがそういってくれることで悪く思える気持ちが少し収まった。


「じゃぁ、開くよ……茜……ごめん!!」


 ページをめくる前に、中に挟まれた栞《しおり》が目に入った。挟んであるページを開くと、違うノートの端切れが貼ってあった。そこにはとても綺麗な字でこう書かれていた。


『昔のお父さん』


 それを強調するように二重丸で囲み、その文字列に向かって力強く矢印が引っ張られ、その先には『戻った!!』と、強い喜びを表すかのようにやはり二重丸で囲まれて記されていた。3人は思わず顔を見合わせた。


 だが、心はその『戻った!!』の文字のすぐ横に、ぽつりと、紙がふやけて乾いたような丸い跡があるのを見逃さなかった。インクがわずかに滲んでいる。茜が書いたときのものではない。それは、このノートを見つけた父親が流した、後悔と愛の涙の痕跡なのだと悟った。


 茜の父親がある日を境に豹変してしまってから過ごしていた日々は、茜にとって苦難の日々だったはず。しかし、再び昔の優しい父親に戻ったのだ。なぜ戻ったのか。それは三人の中では心だけが知っていることである。漆黒の万年筆にまつわる、たった数日の、けれども壮大な一つの物語がある。


◆◇◆◇


 青空心たちが生きるその世界には、当事者たちの他には存在しない。しかしその一つ上のレイヤーでそれを観察することができる者たちがいる。その者たちの近くの本棚には、その壮大な物語を記した書物がある。その名は『マザー・オブ・パール』。それは『青の共鳴』という書物とともに並べられている。


◆◇◆◇


 とにかく、その結果、茜の父親は今は娘に優しい父親へと戻ったのだ。そのページには、「変わった」瞬間の喜びと驚きが生々しく綴られていた。だが今はそれを思い出して懐かしむ時ではない。心は敢えてその内容にはあまり触れず、さらにページをめくった。


 そこには、親友であるケイトの名前を筆頭に、心・レナの名前や、BRFで四人が聞いた内容、そしてスイミーから受けた特訓や、その時聞いたアグダラの歴史、ブラモンにまつわる情報やその関係性が傍線や矢印で結ばれ、しかし非常に分かりやすく、図解とともに纏められていた。まるで複雑なパズルを解き明かしていくように。


「わぁ……」

「凄い……纏められているわ……私たちのことも書いてある」

「ははっ、恥ずかしいな。でも、とても分かりやすい……」


 レナが固唾を呑んで、しかしどこか嬉しそうに言った。心は、その内容を口に出しながら指でなぞった。レナとケイトもそれに先導されるように、一緒にその文字を追っていく。


『ケイト → ☆幸福を暗示する能力☆ きっとわたしにも何かが起こるはず……』


「……あぁ……茜、私のことが羨ましいって言っていたわ……」


 ケイトが、茜の心情をなぞるように静かに言った。心は、さらに指でなぞりながら先を読み上げていく。


『スイミーと金色ブラモン → 元アグダラの住人。三日間の合宿で四人ともパワーアップ! 漆黒の書にその名が印字→ゲイム・ジェン・ヨハン →皇帝の名前。今は三代目』


「ゲイム・ジェン・ヨハンはスイミーが教えてくれた内容だよな!『これは誰?』って書いてあるのが×印で消されてる。その時々で、『判明』したことを追記していってるんだな!」


 レナが言った。心はさらに視線を横に滑らせ、ページの余白にびっしりと書き込まれた細かな観察記録に目を留めた。


『漆黒の書は、所有者の内面の変化に呼応する。激しい怒りや強い意志で光が鋭く明滅し、深い悲しみではゆっくりと脈打つ。さらに感情が高ぶると書がじわりと熱を持つ。これは単に力を与えるだけでなく、私たちの感情のうねりを吸い上げ、アグダラへと送り続ける「データ送信機」の役割を果たしているのではないか?』


「怒りだと鋭く光って、悲しみだと脈打つ……温度まで……茜、こんな細かいことまで調べてたのか!?」

「ちょっと待って、データ送信機って……! つまり、私たちが能力を使ったり感情を爆発させるたびに、その情報がアグダラ側に筒抜けで監視されていたってこと!?」


 レナが驚愕の声を上げた。


「これを見て。その下に『対抗策』って見出しがあるわ!」


 ケイトが指差した先には、『特定の感情の波長を利用すれば、その繋がりを逆に辿り、干渉・遮断できるのではないか』と書かれていた。しかし……。


「……あれ? ここでボールペンのインクが掠れて、文字が完全に途切れてる……」


 心が不思議そうにノートを傾けた。


「そうか……茜はこの決定的な結論を書き込もうとしてペンが出なくなり、新しいペンを買いに外へ出て……そして……!」


 ケイトがハッとして口元を覆った。茜がどれだけ真剣に、そして緻密に、自分たちの身に起こる異変を解明しようとしていたか、そしてなぜその日、その時間に外へ出たのかが、このノートからひしひしと伝わってくる。そして、次の記述。


『また仲間の身に何かあったら今度は私も誰かを助けたい。早く心のように強くならないと!』


 心は、その言葉を見つめていた。茜が、仲間を守ろうとこんなにも強く願ってくれていたことに、胸の奥が熱くなるのを感じた。茜は、確かにスイミーの特訓を受けて能力を二つも得た。しかし、元々強い女の子だった。そして誰かを守りたいという強い気持ちが、いつも彼女を動かしていたのだ。指でなぞった末、心は深く息を吸い込み、次のページをめくった。そして、ついに。


◆◇◆◇◆◇◆◇


『漆黒の書の在り処』


 そのことが書かれている部分を見つけた。3人の視線が、その見出しに釘付けになった。ここにこそ、3人がこの茜の部屋にやってきた、最も重要な手がかりが記されているはずなのだ! 希望の光が、茜の部屋に差し込んだように感じられた。三人の心臓は、期待と緊張で大きく跳ね上がった。


 心は、震える指先で茜の丁寧な字をなぞりながら、一文字ずつゆっくりと、その部分を読み上げていく。レナとケイトも、固唾を呑んで心の隣に身を寄せ、その言葉の全てを聞き漏らすまいと集中していた。


『14年前の特異な宇宙線(シーク波)の掠めた場所=世界規模で事件が起きた場所=北半球の特定の8箇所』


「えーっと……たしかシーク波は……クレッシェンド山の赤いビームやヤマンバ山の青いビームとかのあれとおなじ波長っての光線みたいなものだったよね!」

「そしてそれは一般人に目視はできないものの、異常なデータとしてはわかる……」

「そうね、その下見て!! なんか、凄いことが書いてあるわ!!」


 思わず声を上げた心を今度はケイトが先導する。


ゴクリ……


『BRFの説明より:事件が起きた地域に、その後BRF施設が世界の八つ地域に建てられたという事実。※宇宙線が掠めた地域をネットアーカイブより取得後、その場所を咲さんに教えてもらった結果、正しいことが判明。そしてそれらの8地点を地球儀上で線で結ぶと、北極点を中心とする『円』が浮き上がる。』


「これ全部茜が一人で調べたの!?」

「茜は……当時の世界のニュース記事など……シーク波の証拠をみつけて、地球のどの地域に宇宙線が掠めたのか調べ、それらの地域と、BRFが建設された場所とが本当に同じなのか咲さんに確認したのね。そしてそれにより……地域よりも建物の位置がわかったから精度をあげられたんだわ……」

「BRF施設を地球儀上を線で結ぶと円!? 北極点を中心とする『円』となる!? そんなこと知らなかったぞ!!」


 レナもケイトも驚愕に目を見開いた。心はさらに人差し指を滑らせる。


『仮説:この世界規模の分布図(円)は、江茂志市にそのままの形で縮小投影されているのではないかと考えてみる。試しにこの市の中央に位置する『三高旧校舎』を中心とし、見つかった所在のひとつ『富士見乃屋書店』を通るように縮小計算してみる。→縮小率=0.0008214』


「縮小って、なにを書いてるんだ茜は!?」

「本の八冊と、BRF施設が世界の八つ地域に着目したんだわ! 縮小率を求めてるってことは、もうほぼすべての所在をつきとめたってことだわ!!」


 ケイトが興奮気味に声を弾ませる。


「どどど、どういうこと!? わたし、全然わからないんだけど!!」

「心……大丈夫。あとでわかるまで私が説明してあげる。凄い……。茜は、過去の宇宙線データと、自分が漆黒の書を見つけた場所を照らし合わせて、『宇宙線が掠めた地域の配置がこの街にそっくりそのまま縮小されてる』ってことに、完全に自力で気づいたのよ!」

「マジかよ……あいつの頭脳、どうなってんだ! 天才か!」


 レナが感嘆の声を漏らす。


「ええと、つまり……その円上のどこかにある本があるということ!? でもさぁ? それだと色んな施設にぶち当たって探すの大変なんじゃないの!?」

「いや、心!  江茂志市は山に囲まれた都会の田舎だってこと忘れてるぜ!?」

「もう少し、先を読んでいきましょう」

「なんか計算式があるよ? 『360÷8=45』ふむ、このくらいなら私も暗算でできる!! 合ってる!!」


 心は、次へと指を進める。そしてその計算式の下に書かれた文字に、目を大きく見開いた。


『プルチックの『感情の輪』:心理学や感情の理解を深める際によく用いられる概念。基本的な「8つ」の主要な感情(喜び、信頼、恐れ、驚き、哀しみ、嫌悪、怒り、期待)と、そこから派生する感情や、複合感情が示される。』


『世界規模の事件は海を避けたため歪な八角形となったが、それらを囲む円の軌道自体は本来のポジションと同じもの。』


『本来のポジションは、その円に内接する完全な正八角形である。』


『ただし、真北や真東を頂点とする位置は正しくない。22.5度回転させ、北に二つの頂点が来る配置(プルチックの感情の輪の向き)こそが、そこにあるべき場所!』


「へ、へぇ~……22.5度回転……」


 折角、暗算でわかった心はその説明文を読んで、少し難しい表情になった。専門的な内容に思考が追いつかないような感覚に陥るが、ぐっと気を張って理解しようと試みる。代わりにレナがその意図を読み解くように口を開いた。


「プルチックの輪? 22.5度回転? なんだか難しくなってきたぞ……。えーと……つまり、茜は感情について調べていくうちに、8つという繋がりからこの図にたどり着いたってことか……?」

「ええ。私たちは卓越感情保持者と知って、茜は感情という概念そのものを調べることもしていたのね。そして出てきたこのプルチックの感情の輪にたどり着いたんだわ……ちょっと……待ってね!!」

「ケイトどうした!?」


 ケイトがスマホを取り出して、プルチック、感情の輪を調べる。その図を見たケイトはすぐに茜の意図を完全に理解した。


「わかった!」

「な、何が?」


 思わず心とレナの声が重なった。


「世界規模だったものが江茂志市に縮小された……それは多種多様な感情が、『基本』、さらにはその中心へ収束するということ。それは比喩というか……実際は『円の形が縮小した』のよ。八角形が場所移動して縮小したのではなく、円が縮小したということ」

「ん?ん??」

「え?え??」

「えー……なんていえばいいのだろう? もう、答え言っていい?」

「え、あ、うん!!」

「お願いします!!」

「プルチックの感情の輪のこの図を見て。基本の部分は円になっているでしょう?」

「うんうん!」

「な、なってる! うん!!」

「でもそれぞれには境目があり、円との交点がある。その部分を全て結ぶ!! すると『正八角形』ができる!! 茜のメモにある通り、世界規模のときは『海』があるから歪な八角形になっていたけれど、それらを囲む円の円周は本来のポジションと同じなの。だから、江茂志市に縮小された配置は、海の阻害のない本来のポジション、つまりその円に内接する『完全な正八角形』になるのよ!」

「はぁ……。あ……ああああああああああ!!」

「え、やばい……レナわかったの!?」

「なるほど、江茂志市内で漆黒の書の見つかる箇所は、本来のポジションであるそのプルチックの輪の形となったということか! だから海を避けて歪んでいた元の形じゃなくて、完全な正八角形が正解なんだ! わかったぞぉぉぉ!! き、き、気持ちいいいいい!!」

「くっ……!!」

「地図をイラストアプリに張り付けたわ。心、教えるからちょっとスマホ操作して?中心がここ、三高旧校舎。」

「は~い!」

「もうすでに、一か所わかってますよね? どこでしょう……か!!」

「えっと……あぁ! 富士見乃屋書店!!」

「じゃあ、富士見乃屋書店のところを拡大して、そうそう、そこタッチしてマーク……そう! 縮小して!」


 レナも得意げに先生側に回る。


「そこの中心からぁ、富士見乃屋書店に線を引いちゃえ! 中心から逆も引いちゃえ!! 円とぶつかったらマークしちゃえっ!!」

「はぁ……」


 心が小首を傾げながもレナの言うとおりに引いてみる。次第に出来ていく図形。


カキカキ


「引いたけど……」


 ケイトとレナが交互に先導する。


「わかりやすいように、その中心を基準に富士見乃屋書店を通る『円』もひいちゃえいっ!!」

「あ、はい。フリーハンドで汚い円になっちゃうけど……」

「あぁ、心がわかればいいのよ。あとで正確な位置は一応出すから」

「はぁぃ」


カキカキ


「引いたけど? 次はどうするの? わかりやすく地図の真北から十字に線を引いて八等分する?」

「そこが落とし穴よ、心! ただ中心から真北や真南に十字の直線を引いて正八角形を作るんじゃないわ。茜のメモにあった22.5度回転させるっていうのは、北に二つの頂点が来る位置になるように全体をずらすって事なの。富士見乃屋書店の番号は『4』番だったわよね? 北に『8』と『1』が来るなら、『4』番の富士見乃屋書店は南側に来る。ほら、今引いた富士見乃屋書店の線を見て。真南のラインからちょうど22.5度ずれた位置にあるでしょう?」

「あ、本当だ!」

「だから、今引いた富士見乃屋書店の線を基準にして、そこから45度ずつずらしながら中心から直線を引いて……円上から逆の円上に線をひいちゃえ~い!!」

「ごめんちょっとまって!! 二人とも……その……ひいちゃえ~って言うのやめてくれる? 少し……イラっとするんだもん……」


 それを聞いてケイトとレナはちょっとニヤけたが、心が可哀そうになったのでやめた。わちゃわちゃタイム終了である。


カキカキ


「あ……!!」

「な? でてきただろ? 8つの頂点!! それが茜が割り出した『在処の候補』なんだ!!」

「す……ごごおおおおおお!!」

「うんうん!!」

「なるほど、プルチックの感情の輪のとおりなら、頂点と一か所で他の頂点も導き出せるってことか! 茜は自分で調べて、それが正しいって確信したんだね」


 ケイトは静かにノートの文字を見つめた。


「ええ。私たちは卓越感情について教わってきた。それで茜は感情について調べてるうちに、このプルチックの感情の輪にたどり着き、所在の目安を突き止めたのよ。……スイミーも言っていたわ。感情こそが鍵だって!」

「うんうん!」

「そして一応、円の縮小率も計算していたけど、この円は大体30キロ弱になるわ! その円周上には必ずあって、さらに茜は場所を特定してくれた!!」

「おぉ! 心のマラソンコースよりも全然短いじゃん!!」


 レナが言うと、ケイトがさらにその答えへと指をなぞり、それを読み上げる。


『現状:富士見乃屋書店で二冊。所持しているのは3人。1冊目、ケイト。2冊目、咲さん、3冊目、自分未だ能力を得ず……』


「茜、スイミーの特訓を受けるまでは能力を羨ましがってたから……。他には!?」


 ケイトが、焦る気持ちを抑えきれずに次へ促す。今度は心は頷きながらさらに指でなぞりながら読み進める。すると、疑問に答えるかのようにケイトが求めた言葉が書かれていた。


『川添博物館。柳亮太 ← 最近人気画家。今は251というタイトルの絵が飾られている。→ケイトと一応観に行ったがその存在は無し。しかし2つの星が描かれていた!『251の星』の251はニコイチをもじったものと解釈できる。→ふたつでひとつ。』


(『ニコイチ』……はっ!!)


 思わず声をあげそうになるケイト。茜とともに『そこ』へ行き、『この世界における一つの概念・法則』を学んだ当事者であるケイトは、その単語と地図を見た瞬間に、過去の記憶と結びついて一瞬であるロジックを理解した。


「川添博物館、茜と一緒に行ったわ!! 茜、凄すぎる……!! あの時既に気づいていたんだわ……!! そして地図を見れば……『富士見乃屋書店』もこの『川添博物館』も『クレッシェンド山の石碑』も、ちょうど八角形の頂点となるわ!! そして当てはまったから、その縮小率もわざわざ計算して正しいかを確認する必要すらなくなったわ!!」

「ケイト……理解早いなっ!!」

「あぁそっか! でも……ふたつでひとつ?」


心が疑問を呟く。


「絵のテーマの一つがニコイチだったの。ニコイチに注目している理由は……」


レナがハッとした表情になった。


「ニコイチ……2つで1つ……対の関係……。クレッシェンド山とヤマンバ山の双子山のように……か! そういえば私たちは、両方行ったから新たな発見や進展があったよな! この『ニコイチ』は、やっぱりこの世の定理っていうのか? そういうものなのかもしれないな」

「うわぁなんか難しくなってきた……茜は何が言いたいんだ?」


 心が問いかけた。茜の考察は既に核心を突いていた。


「2つで1つ……アグダラと地球も2つで1つ…? なわけないか……ん? あーっ!!」


 心がまた何か閃いたように声を上げた。


「2つって、実は偶然ではなく、漆黒の書は一つの場所に二つずつ存在するって意味なのかも!? ケイトと茜が買った富士見乃屋書店には二冊あったんでしょ!?」


 その時すでにノートの先を追っていたケイトが、目を輝かせて頷いた。


「そのとおり! でも、ノートには川添博物館には『無し』って書いてある。何故だと思う?」

「え? ニコイチなら、そこにも二冊あるはずじゃ……」


 ケイトは自身の持っている漆黒の書をバッグから取り出してそこを指さした。


「仮説での話を当てはめてみたわ。すると意外な盲点をみつけたわ……漆黒の書には『番号』がある。この番号は何で振られてるのだろうって、私も前から気にはなっていたわ。その番号の順番で場所が割り振られたと考えてみる。プルチックの輪の基本部分で北は喜びになっていて、信頼と隣り合わせになる部分を1とする、茜が描いた八角形の図もよく見て。一番北の頂点に『8』と『1』がある、そこから時計回りに番号が振ってあるわ。私のは『4』だけど、それは北のこの頂点が「8」と「1」になっているときに丁度『4』となる。『4』の位置は富士見乃屋書店になるの。」

「でも富士見乃屋書店には二冊あったんでしょ?」

「今、仮の話をしているわ……茜の『3』は……例えば『ニコイチ』の力が及んで『4』へとくっついた。本来の場所から『移動』したのよ。だから『3』の位置にはきっと一冊もないはず。そして川添博物館の位置は5番目の頂点となるのだけど、実は咲さんがみつけた漆黒の書の番号は『5』だった。咲さんは、あの本を『川添博物館』の場所で見つけたと言っていたわ。ほら、さっきの地図アプリを見て! 富士見乃屋書店の『4』から時計回りに45度進んだこの頂点……まさに『川添博物館』の位置にピタリと重なるのよ!」

「本当だ!! すげぇ!!」

「そしてこの場所で茜が探したのに無かったという事は、咲さんが既に回収済みだったからよ! それに、茜が直接行って探して『他に何も無かった』と証明してくれているのだから、ここには最初から咲さんが持っている1冊しかなかったのよ。つまり、1冊のときもあれば2冊のときもあるってことね。漆黒の書は全部で八冊。今わかっているのは三冊だから、残りは五冊ね。」


 3人の頭の中のパズルに、ひとつのピースがはまる。レナが興奮したように続ける。


「おぉ〜! つまり、ニコイチが『原則』の場合、少なくてあと三か所探すだけで済むってことか!!」

「うん! そしてさらに茜が既に探し終えているそこをみて!」


 ケイトも瞳を輝かせて頷いた。3人の間に、再び希望の光が差し込んだ。これまで漠然としていた漆黒の書の在り処が、茜の自力の考察によって文字通り具体的な形となって既に現れているのだ。


「他の場所は……!?」


 心は逸る気持ちで次の行をなぞる。


『あった場所   → 富士見乃屋書店 ← 私とケイトの二冊。川添博物館 ← 咲さんが既に回収済みの一冊。※一冊しかなかったとのこと。

 無かった場所 → クレッシェンド山の石碑、曽井川の陸橋、海沿いの一軒家。

 未確認場所   → 市役所のどこか←どうやって……』


「す、凄い! これだけ探し終えているのか!」

「当時咲さんが見つけた時に本当に1冊しかなかったのか、既に聞いてくれているわ!! これでニコイチは原則というわけではなく、一冊だけの場合もあることが判明したわ!」

「……えっと、頂点八カ所で……この順番のままいうと、①富士見乃屋書店・②クレッシェンド山の石碑・③川添博物館・④曽井川の陸橋・⑤海沿いの一軒家・⑥市役所のどこか……あれ!? 6カ所で2か所たりない。それはちょっと置いといてぇ……『無し』の『クレッシェンド山の石碑』・『曽井川の陸橋』・『海沿いの一軒家』は探さずに済んだぞ!! ……残り箇所はあと……?」

「未確認なのは、市役所と、ここには書かれていない2カ所で3カ所だ。ってか……あぁ、茜、市役所ってかいてショックをうけてあとの二つかいてなかったのかも……確かに、市役所って……どう探せばいいんだ……?」


 レナが驚きと落胆の混じった声で言ったが、逆に考えればあと3か所だけで良いことがわかったとケイトは期待を持てた。


「この本は、保持者が見たらどのように映るんだろう? わからないけど、誰かが見つけたら……拾われる可能性は勿論あるなぁ……」

「拾われる……か……」


 そしてその記述の先には、茜の筆記はなかった。まるで、この記述を最後に、彼女の本探しが途絶えてしまったかのように。つまりこれは、縮小率どころか、おおよその場所にたどり着いた茜が探し途中に連れて行かれてしまったのだと三人は思った。三人の表情に、寂しさが宿る。


「……それにしても、茜って本当に凄いな……」


 静かな部屋の中で、心がノートのページを愛おしそうに撫でながら呟いた。


「うん。私の頭じゃ、こんな複雑な計算や図形、一生かかっても絶対ここには辿り着けなかった。茜が一人でこれだけの謎を解き明かしてくれたから、私たちは今、先に進むことができるんだ」

「あぁ、同感だ。私たちの足や拳だけじゃ、どれだけ走り回っても見つけられなかった。茜のこの頭脳が、私たちを導いてくれたんだ」

「ええ。茜は戦う力がないってずっと悩んでいたけれど、この『知性』こそが茜の最大の力だわ。茜がいなかったら、私たちは永遠にアグダラへの道を見つけられなかった」


 レナもケイトも、熱を帯びた瞳で深く頷いた。親友が独りで暗闇の中を切り拓き、残してくれた圧倒的な思考の軌跡に、三人は改めて深い感動と感謝を抱いていた。


「でもさぁ、この円は、あくまでも茜の『仮説』なんだよね?」

「いいえ、富士見乃屋書店だけならともかく、川添博物館も番号は当たっている。そして茜が仮説の上でここまで調べ上げたということは、なにか他に手がかりを得てのことで、ただそのすべてを書いたとは限らないわ。書いている内容は書き途中で切れているんですもの。でもこれだけでも充分すぎるほどの情報だった!」

「そうだよな、とりあえず茜のこの仮説通りに動こう!」


 そこで、茜の文字をじっとみていた心が、ハッとしたように、目を見開いた。


「ちょっと……待って……」

「なんだ心、茜の仮説が信じられないとでもいうんじゃないだろうな!?」

「いや……逆だよ……信じられないどころか……その仮説は、たぶん……正解だ!」

「え!?」

「ん!?」


 いつかの出来事が、鮮明に脳裏に蘇る。


「曽井川の……陸橋……!! マラソン中にその近くで不思議な少年に出会ったことがある!!  絵がとても上手くて、すごく引き込まれたので話しかけたんだけど、その子が描いていた絵は風景画だったけれども、目の前の風景じゃなかったんだ!」


 レナとケイトの視線が、心に集まる。


「つまりその子が描いてたのは、アグダラの風景と!?」


 レナが興奮気味に問いかけた。


「きっとそうだったんだ!! 砂漠の情景だったし、城も描いてた!」

「砂漠と城!? ずばりじゃんか!!」

「会いに行こう!!」

「だな! よっしゃー!!」

「えぇ!! 行こう!!」


 ケイトも再び、希望の光が灯った瞳で応えた。茜の残した筆跡と頭脳の数々は、最後の希望となって次の扉を開いた。そうして三人は、曽井川の陸橋へと向かった。




――続く

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