48.孤独の叫び
夏休みも終わり、一週間が過ぎた頃。窓の外では秋の気配がわずかに混じり始めていたが、茜の住むアパートの一室には、どんよりとした重く冷たい空気が依然として澱んでいた。その夜もまた、隣の部屋から父親の荒れた声が響いていた。
「こんちくしょう……っ!」
考察ノートを閉じ、茜が襖を開けた。そこには、背中を丸め、床を見つめたまま、まだぶつぶつと毒づいている父親の姿があった。ふいに鋭く睨みつけられた。だが、茜は知っていた。うわ言のように呟く父親の落ち窪んだ瞳には、いつも、惨めと後悔の涙が滲んでいることを。それは怒りではなく、どうしようもない深い悲しみの裏返しであることを。
◆◇◆◇
茜の父親、鳳研二は、もともと化学薬品の研究員として働く、真面目な男だった。離婚した当初、男手一つで茜を育てることになったが、不器用ながらも茜に対してとても優しかった。しかし、長年勤めていた仕事を解雇されると、彼の中で何かが決定的に狂ってしまった。
働いていた頃の給料が良かったため、現在の二人の生活は、毎月少しずつ減っていくその貯金を切り崩してなんとか凌いではいるものの、じわじわと追い詰められている状態だ。
昔のように稼ぐこともできず、何もできない自分を情けなく感じる自己嫌悪と、いつかこの唯一の家族である一人娘も、愛想を尽かして自分を見限って、遠くへいなくなるにきまっているという強烈な悲しみ。かつて自分がひどく嫌っていた「どうせ」「無理」そして「所詮」といった言葉を、いつの間にか口にするようになってしまった己自身を、研二は深く呪っていた。子離れできないその執着と孤独への恐怖が重なり、いつからか、父親は自身を守るように茜を理不尽に怒鳴り散らすようになってしまったのだ。
茜は時折、祖父の丞と屈託なく笑い合う親友の心の姿を思い出し、たまらなく羨ましく思う気持ちに襲われることがあった。なぜ自分たちはあんな風に、温かさを保てなかったのだろうと、胸を締め付けられるような孤独を感じながら。
◆◇◆◇
それはある日に起きた激しい出来事でありながら、同時に、日常的に何度も繰り返されてきた地獄のような光景でもあった。
「おまえもどうせよぉ!! 居なくなるんだろ!? あいつのように!!」
父親の口から突然そんな言葉が飛び出してくる。それは親としての威厳など微塵もない、孤独を極限まで恐れる迷子のような叫びだった。手当たり次第に物も飛んでくるが、それは茜には絶対に当たらない。彼自身が、本当は茜を傷つけたくないという最後の理性を残しているからだ。
「親父!! 大丈夫……大丈夫だから!!」
父親の悲痛な叫びを真正面から受け止めるように、茜は力強く言い返した。震える声で紡がれたその短い言葉には、茜の確かな愛情と、共倒れになっても構わないという悲壮な決意が込められている。いつだってそうだ。
「ちくしょう…………ぐぅ…………ぐぅ……」
床に崩れ落ちて嗚咽を漏らす父親を見つめる茜の目は、傍から見れば憐れんでいるように見えるかもしれない。しかし、そこには確かな子としての愛情と、言葉にならない痛切な想いがあった。
(私はいなくならない。決して見捨てたりはしない)
そう心で言うと、茜は震える父親の背中にそっとタオルケットを掛けた。
茜の部屋の傍らに置かれたショルダーバッグの中では、持ち主のその強烈な悲しみと感情の波に呼応するかのように、漆黒の書が微かに「光」を灯していたが、茜はそれに気づく由もなかった。
――続く




