42.虎と狼①
ケイトがスイミーから二度目の特訓を受け、『攻撃』を宿すに至った数日後。
『神宮寺道場』。そこは毎日夕方になると十数人が集まり各々が自己の鍛錬に励む場所だ。夏休みであるこの頃は、昼の時間も開放されており、毎日門下生たちの声が絶えなかった。
その日は心とレナの他、九人の門下生たちがそこにいた。師範である神宮寺勘吉は、竹刀を肩に担ぎながら門下生たちを順に指導してまわっていた。その表情は中学校教師時代の鬼教師を思い出させる。
「レナ、組手しよう? 今日はまだちょっと動き足りなくって!」
「奇遇だな心。私も同じこと思ってた!」
勘吉は二人の言葉を聞き、門下生たちに二人の組手を見るように促した。
心たちは
「……卓感ありの何でもありね?」
「……いいぜ!!」
『卓感』とは、心とレナが二人の時だけそう呼んでいる、卓越感情の略称である。
門下生たちは、二人が構えの姿勢をとると同時に空気が一変するのを感じると息を呑む。無論、この時門下生たちの目には二人の放つ卓越感情のオーラは映らない。勘吉も腕を組んでそれを見守った。
「いっくよ~!?」
「来い……!!」
ガガッ!!
心が蹴りを繰り出し、レナが受け流す。
「なっ……!?」
あまりのその蹴りの速さに驚きを隠せず、門下生の一人が思わず声をあげる。
ズドッッ!!
レナの正拳突きが、心に当たる鈍い音。
「うわ……いきなり直撃……今のは流石に効いただろ!!」
「レナさんの……あの胸への突きは……キツイな……」
他の門下生たちがそういう中、じっと見ている勘吉が冷静に分析する。
(直撃ではない……心は瞬時に跳ねて当たりどころを腹部へずらした……そして昔は弱点だった心の腹部は今や最大の盾……)
フォッ!!
お返しの心の正拳突きがレナに当たろうとする。
シュバッシュバッシュバッ!
レナはそれを後方宙返りで交わし、後方へと離れる。
「何だ!? ありゃ!!」
「やっぱり、あの二人、凄い!」
「というか……今の心さんのパンチ……お前見えた?」
「いや……見えてない……」
(見えないのも無理もない……)
もはや道場の門下生の中で、二人の本気の格闘についていける者は居ない。心とレナは今、卓越感情を使って闘っているのだから。
「へへ、バク転……そういえばレナはそれがあったなあ!! ……懐かしい……」
「ふふ……」
ミシ……ミシ……ミシ……
軽く笑みを浮かべながら戻っていくレナ。
ガガッ!! ガガガッ!!
頭突き、後ろ回し蹴り、エルボー、アッパー、卍固め……。その時々で、互いにとって最適と判断した攻撃を繰り出す二人の技はもはや、一つの格闘技に絞られないものだった。
「はぁ……はぁ……心……終わりにするか……」
「はぁ……はぁ……オ、オッケー」
パチパチパチパチパチパチパチパチ
称賛の拍手が道場に響いたが、手を叩く者たちの表情は、誰もが信じられないといった様子だった。。
「レナ、ちょっとトイレ行ってくる……」
「あぁ、私も!」
広大な敷地を誇る神宮寺家だが、道場内にはトイレがない。母屋には勿論あるがそれは家族用。離れの近くにある外のトイレを使うのが決まりだった。二人は並んで外のトイレへ向かい、それぞれ中に入った。先に出てきたレナは、心を待ちながら、ぼんやりと晴天の空を仰いでいた。
「お待たせー!!」
「はーい」
その瞬間だった。返事をするレナの顔に向けられていた心の視線が、わずかに横へと逸れた。
「……レナ……すぐ……こっちへ来い!」
「え?」
「早く……!!」
ガシィ!!
「うぐ!!」
背後から人のものではない太い腕がレナの首に絡みついた。
「あぁ!! レナ!」
「ぐ……なんだ……この……バケモノは!?」
「グルルルゥ!!」
低い咆哮をあげたのは、異形の生命体。レナはなんとか腕を上げ、肘をその生命体の腹部に叩き込み拘束から外れるとそのまま地面を転がり、心の隣で一緒に身構えた。
「グルルルル!! このドラ様の力から逃れるとは……」
「獣……二本足で立っているこいつは……」
「こいつ……ドラっていうのか……レナ気をつけろ! きっとこいつは……スイミーが言ってた『進化したブラモン』だ!!」
二人の前に立ちはだかったのは、『虎』の頭部を持つブラモンであった。その身体は虎のごとき毛並みに包まれ、しなやかな筋肉を脈動させている。その怪異が、二つの脚で確かに地面を踏み締めていた。
「グルルルルルゥ!! どっちから料理してやろうか!!」
「くそ……! こいつは……今まで見てきたブラモンとは……格が違う……」
「あぁ……紫のオーラが……炎の様に揺らいでいる!! そしてあの色は、八木と同じ『嫌悪』だ!!」
ドスン……ドスン……!!
ドラが踏み込む毎に、地面を響かせる。
シュン!!
心は躊躇なく『無刹』を使い、一気にその懐へ飛び込みその勢いを利用する突撃ハイキックを放った。
「フン!!」
ズダーン……
しかし、その攻撃は心の身体もろとも軽く弾き飛ばされた。
「やっぱり……バケモノだ!! あぁ……くそ! 嫌な言葉を思い出した……レナ……スイミーが言ってたな……!」
「あぁ……もしアグダラの強力なブラモンと戦ったとしての勝率は……限りなくゼロに近い1パーセント……」
ドスドスドスン……フォォォォ!!
ドラが走ってきて心をターゲットにした拳が襲い掛かる。
シュン!!
しかしまたもやその瞬間に心がドラの目の前に現れる。心はこの桁違いのブラモンの攻撃に対し、『無刹』を常に使うようになっていた。そして今度はその勢いを利用した心のストレートと同時に、心がそれをやるだろうと読んでいたレナの蹴りと掌底が繰り出された。
ガガガガガ!! ガガガガガ!!
ドラはその二人の連携をガードしながら、口の端を歪めた。
「グルルルゥ!! 二人同時でなければ俺に敵わぬと踏んだか。しかしそれも甘い考えだ。効かんなぁ!!」
「こいつ……!!」
(くっ!なんて……硬い身体なんだ……!!)
ガガガガガガガ!!
再び激しい打ち合いの中、心が正面から攻め、レナがドラの背後へと回った。
ヒュン……!!
しかしドラは尻尾で牽制すると、右手の爪で反撃してきた。
ブォン!!
何とか詰めの攻撃はかわせた。
「何!!尻尾も手足の様に……やっぱり強い! しかし、今の私たち二人なら!!」
「あ……あぁ……」
確かに強敵とは思ったものの、その時、心には勝算が生まれた。
(揺らぎを伴う卓感のオーラは数倍の力を発揮するという。私はまだ卓越感情を完全に開放させたことはない。恐らくレナもだ。二人がかりなら、それぞれ解放させるための時間稼ぎはできるはずだ。完全に開放したあとのわたしの得意技と、レナの『驚反』があれば、ドラを倒すことが出来るはず!)
しかし心が先ほどのレナの返事には『自信』が感じられなかった。一瞬だけレナに視線を向けた。
(あぁ!! レナ……)
(くそ……まただ……)
なんとレナは立ち竦んでしまっていた。二体の『赤』と『青』のブラモンに遭遇した時と同じ、レナを襲った恐怖が蘇ってしまったのだ。
「グルルルゥ!! 恐れているのか!! こいつは笑える!!」
レナが動けなくなっていることに気づいたドラが、自身のオーラを、紫の光の膜へと引っこめた。
「闘いの中で恐怖を抱くような弱者が、このドラ様と勝負しようなどと笑止千万~!!」
(レナ……!!)
ガガガガガガガッ!!
ブラモンが、愉快そうに笑いながら攻撃してくる。
シュン……! シュン……! シュン……!
心は『無刹』を連発しかろうじてドラの攻撃を避ける中、その懐に入ると、再度アッパーを叩き込もうとした。
ガキィーン!!
ドラは顎を上に向けてこれを避けると、間髪入れずに両方の拳で剛腕パンチを放った。心へ向かったそのうちの片方の攻撃は、心がアッパーの空ぶりと同時に後ろに下がっていたため及ぶことがなかったが、もう片方の拳はレナを襲う。恐怖で固まってしまっているレナにドラの右の拳を避けるスピードは無かった。
ドガァッ!!
レナは弾き飛ばされ、背中をもろに壁に叩きつけられた。
「あぁ……レナ!!」
「う……うぅ……」
ガシィ!!
レナの両腕を掴み、真横に引き伸ばしながらドラは心を見て言った。
「それにしても、お前はちょこまかとこざかしいヤツだ。まぁいい。おまえたちは、我らの同胞にはならんだろう? 死んでもらう!! まずはこっちの臆病者から……」
グググググググッ
十字に拘束されたレナが、最大のピンチに追い込まれた、その瞬間。
ガッ!!
「ぐっ……はっ!!」
「あ……!!」
「グル!? ぬぅ!!」
ドラの両腕を掴んだのは、レナ自身でもなく心でもない。道場師範、神宮寺勘吉だった。その強烈な眼差しは、これまで見せてきた『威厳』とも違う、娘であるレナにも見せたことのない、『覚悟』の宿った表情だった。
ドラはその力に圧倒され思わずレナから両腕を離した。
ドスン……
「グルゥ……!? なんだこいつのこの力は……!?」
「レナ……大丈夫か……」
視線をドラに向けたまま、勘吉が言った。
「親父……あぁ……なんとか……」
「ふふふ……! 良かった……」
勘吉は変わらない表情で心に言った。
「心……レナを頼む」
「え……? あ、あぁ……」
心は、レナの腕を肩で担ぎ後ずさりする最中、その胸中に、今まで感じたことのない胸騒ぎを覚えた。
(……この……嫌な……予感は……)
(お、親父……!!)
レナも、苦しさのなかで心と同じ胸騒ぎを覚えていた。勘吉とドラが互いの腕を組む中、勘吉が言った。
「実物を初めて見た! これが高等ブラモンか! BRFがずっと研究していた、あの黒い小さなやつとは全然違うな!」
「グルルゥ! 『始祖生物』たちのことを言っているのか? 一緒にするな! あれは我らが利用している下等な生命体だ……そして何者かは知らんが、死ねィ!!」
ビュッ!! ガッ!!
ドラは両腕を振りほどくと、右の剛腕パンチを放った。しかし勘吉はそれを左手で掴む。
「何!?何故捉えることが出来る!?このパワーは!?」
(勘吉……凄い!!)
(親父……)
「お前のこの右腕のパンチ、得意げだな。それがお前の武器!! しかし我らは神宮寺道場の戦士。その歴史はざっと数百年にも及ぶ! 貴様らバケモノの浅い歴史とは違う!! 日々鍛え上げられ、新たな武術として進化し続けるのだ!! それが神宮寺流!!」
「駄目……だ……親父……!!」
「尤も、ブラモンに対しては卓越感情保持者でなければ勝てないと知り、卓越感情の概念を知り、習得するという、スイミーの猛特訓を受けたがな!」
「グルル……!!」
(親父が卓越感情を!? いつのまに……!!)
(勘吉もスイミーから特訓を!? 保持者でなかったのに……後天的に保持者になったっていうのか……!!)
驚くレナと心。勘吉は得意げに続ける。
「普通の人間には無理だろう!! だが進化し続ける神宮寺流には不可能無し! そりゃあ苦労したさ……本来見えないものを見えるようにしたりと色々苦難があったからなぁ! 卓越感情……開放だ!!」
ヴォワアアッ!!
勘吉は、オーラを発した。
「す、凄い!! 勘吉から橙色のオーラが!! しかも揺らいでいる!!」
「橙色は『予期』を含む! 俺はそれ故、BRFの日本支部長となれたのかも知れんなぁぁあ!!」
ガキィィン!!
そういって拳を放つと咄嗟にガードしたドラの右の手の親指の爪を折った。
「手首を粉砕しようとしたが。やはり虎……親指の爪か!!」
「親父!!」
「勘吉!!」
「グルルルルゥ!!俺様の爪を折りやがったぁぁぁ!! 許さん!!」
怒り狂うドラが怒涛の攻撃を繰り出した。
バババババババ!! ブン!!
「ふむ……その図体にしてはなかなか速い……」
「グルルル!! 正直!! この星では俺様と渡り合える奴は、一人しか居ないと思っていたよ。しかし、お前たちにも驚かされたわ!」
ガシィッ!!
ドラが勘吉の両手を誘った。
「ぬ? 何故ここで力比べをしようというのだ!?」
二人の互いの力が拮抗する。しかしその最中ドラの表情に笑みが零れる。
「グルルルルゥ!!」
「ぬ!?」
「勘吉!! なんかやばい! 振りほどけ!!」
「親父!!」
シュルシュルッ…!!
隠し持っていた剣を掴んだドラの尻尾が、それを操った。
「何……!?」
「あぁ!!」
(親父……!!)
両手を動かせない勘吉は、蹴りでそれを防ごうとした。
グサァッ!!
だがそのリーチの外からぐるりと襲い掛かった剣が、勘吉の脇腹から身体の前面の胸部へと、手前に斜めに深く貫いた。
「……な……ん……だと……」
「あぁ……!!」
「お、親父……!!」
ドクドクドク……
勘吉の身体が膝をつくと、垂れ落ちた鮮血が地面を這っていく。
――続く
修正:上級ブラモン→高等ブラモン




