39.渇望
市内で有名なその高級住宅街は、他の地域と一線を画している。そこに、その中でもさらに一線を画す一軒家がある。それこそが、朝比奈グループの頂点に立つ『朝比奈コーポレーション』の取締役社長を父親に持つ朝比奈ケイトの家である。
部屋数こそ多いが、それらは両親がたまに帰ってきたときに使われるだけである。二階の一室がケイトの部屋であり、実質この家で生活しているのは、ケイトとそこに常駐している四人の使用人だけであった。両親がいつも居ないことを、ケイトは『仕方のないこと』と割り切っている。それが寂しいと感じることはあったが、口に出すほど子供でもない。いつの間にかそう思うようになっていた。
ケイトの部屋は他の部屋同様に広く、白と薄いピンクの淡い色合いを基調としたその空間は、ケイトの穏やかさを表していた。白いカーテンの下の磨かれた床の先には、部屋の奥の美しい装飾が施されたベッドがある。それは見る者が見ればお嬢様用だとわかる代物だ。部屋のどこを見ても掃除が行き渡っており、机の上の棚には、教科書とノートが整然と並べられている。
(一見、『よくみえる』かもしれないこの空間が……私には、人の生活の気配が、どこか薄い部屋と思えてしまうのは何故だろう? 茜という親友の他に、心・レナという新しい友人ができ、学校生活は楽しく過ごせている。でもここに戻ってくると……)
ふと、机の教科書とノートに目をやる。ケイトの学力は、塾に通わなくても、どの科目も偏りなく成績は良かった。しかしそこには『得意科目』と思しき科目は見当たらない。
(勉強が嫌いなわけではないけど、好きかと問われれば、答えに詰まる……)
知らぬ間に、ベッドに、仰向けになって横たわっていた。視線は天井に向けられているが、『観て』はいなかった。
(わたしは、このままでいいのだろうか? わたしは……何故生きているのだろう?)
なんとなく、そんな問いがふと浮かんだその時だった。ケイトの中でパッと花開いたが如く、なぜか漆黒の本の事が思い浮かんだ。それは、茜が最初から持っていたものではなく、ケイトがそこで見つけた『漆黒の書の所在』だった。富士見乃屋書店のガイタ・クロの小説が並ぶ棚の近くにあったもの。
ケイトはすぐに家を出て、書店へと向かった。目印であるガイタ・クロの小説の並ぶ棚へと歩き、そのそばにあったはずの目的の本を探す。
(よかった、まだあった!)
そう思い、安堵して手に取った瞬間。
「バチッっ!」
(はっ!!)
あの時と同じように、一瞬、本からの拒絶が指先に走る鋭い痛みがケイトを襲う。だが、それはすぐに収まった。
(忘れててびっくりしちゃった……でも大丈夫……!!)
ケイトは、その本を購入した。
「ありがとうございま~す」
ケイトは、店の人が前と違っていることに気が付いたが、そのことはすぐに忘れた。本を購入できた嬉しさの方が勝ったからだ。
(茜が所持していた漆黒の書は、『私』に関するものだった。だから、今度はわたしから茜にこれをプレゼントしよう!)
そう決めた瞬間、胸の奥が、少しだけ温かくなるとともに、何故さっき、自分が生きる理由を考えたのかを思い出す。
(人が生きる意味を考えるのは、『余裕があるとき』或いは『何かが足りないとき』かもしれない。余裕……? 一年というリミットを考えると余裕などないはず。あぁ、自分にはは『足りない』ものがあると知っているからなんだわ……)
傍目には恵まれたお嬢様のただの憂鬱と思われるかもしれない。だがそれは違う。ケイトが自身に足りないと思っていたのは、『攻撃』に対する姿勢だ。スイミーの特訓を受けたことによって、具現化の能力『ヴィジョン』を捨てることで『瞬刻再生』という回復の能力を会得するに至った。それは確かに自身が望んだもの。しかしその後のオミナス・ベイパーで正体不明の者から「攻撃なしでは勝てない」と指摘されてから、ずっとそのことを引きずっていたのだ。
(足りないもの……それを獲得できた時、また苦悩するかもしれない。でもその時になってみないとわからないわ……私は、なるべくだけのことをしたい……)
このようにしてケイトは、回復の役割だけではない、攻撃役としての自分について考え、動き出そうとしたのである。
「やってみよう……!!」
――続く




