32.異界の浸食 第三波
その夜、青空心は深い闇の中にいた。
◆◇◆◇
眠りにつこうと身体を横たえた瞬間の記憶もあり、まだ意識もある。しかし手足の感覚が何かおかしい。
(これは、レム睡眠によるものか?ずっと続いている、底のない水の中に落ちていく感覚は何だろう?)
暗闇の何もない所から星々が生まれる。
沈みながら宇宙の中を彷徨うと、その遠くの方で、無数の星の光の点が集まっていく光景が見えたが、それは今までに見た『収束』とは違うものだった。じっと見つめていると、それは一つの大きな光の集合体となった。それが、遠い昔に聞いた馴染みの声で自分の意識に語りかけてくる。
「早く……おいでよ……」
ピキィィーーン……
とても懐かしく心地よい響きを放つ光が、しだいに近づいてくる。そして自分と重なった。心がそれを、魂が繋がっていると感じたその時、それまでどんなことがあろうとも決して流すことの無かった涙が勝手に溢れるのを感じた。眼の感覚が無意識に光の集合体を追っていく。それがだんだんと、人の形へと変わっていき、最後に黄緑色の影となった。
「ナオト……くん……」
心は、実際に声を発したかは自分でもわからなかった。その呼びかけに対する返事は無かったものの、白い影が次第に色を帯び始め、薄く姿を見せていった。その時心は、穏やかな顔のその男の子が目を閉じて両腕を広げ伸ばした状態で宇宙に浮いているのが見えた。
「早く……こっちへおいで……」
一瞬、はっきり見えたはずの身体が再び半透明に戻る。それが繰り返されたが、消えてしまうのは嫌だと、彼を凝視した。
その見え隠れの中、彼の身体の所々がしだいに『黒い靄』に侵食されていくのがわかった。それはあの、ナオトを連れ去ったブラモンや漆黒の穴と同じ『黒』だった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
「ナオトくん!!」
上も下もわからないその中で遠く離れていくその姿は、穴に落ちた時のナオトの姿勢と同じだった。そしてその声が消えていくとともに、またよく聞く別の声が聞こえてきた。
「……ぉ、心ぉ! 心ぉ! 起きろ!」
「うぅ……」
「起きろ~! ご飯だぞ!!」
「あ、あぁ……じっちゃん。ごめん、今……行く……」
それが夢だったのか、オミナスベイパーだったのか、心自身もわからなかったが、ただ、先ほどのどこまでも澄み渡る魂の共鳴の音だけが、確かな体温を伴って心の胸にいつまでも残り続けていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
それはレナが自室で、洗った胴着をクローゼットにしまっている時だった。クローゼットの奥の隅に、輝くものが見えた。
「これは……? なんだ……?」
プラスチックのような破片だったが、心当たりがなかった。何故か『それ』から聞こえてくる声で吃驚した。
『お前……お前は……無力なまま……何もしなくて……いい……』
「な、なんだ? あんたは誰だ!?」
『無駄なあがきは……しないほうがいい』
「ふ、ふざけんな……!」
その正体がなんなのかはわからないが、言っていることは理解できた。
「実力が足りないって言いたいのか! ふざけるな!」
レナが叫ぶことでそれを拒絶し、拳を握りしめた瞬間だった。
ガガガガガ……
突然辺りが真っ暗になり、上から八つの頂点を形成する鉄格子が下りてきて、レナを囲む。
『このままいけば、お前の行く末は……こうなる』
「くっ!!」
鉄格子をつかみ、力でその囲いを破壊しようと試みるが、びくともしなかった。
『……やはり無力……!!』
その言葉で鉄格子が真っ赤になって溶け落ちていき、周りが次第に明るくなりはじめた。
(ここは……!?)
そこはレナの部屋ではない。
「ぎゃぁぁぁあああ!!」
「はっ……!!」
視線の先に、まだ見たことのない炎に包まれた戦場のようなアグダラの光景が広がった。破壊される街、逃げ惑う人々。その中心で、一際巨大な黒い影がこちらを睨んでいる。 咄嗟に構え、その影に鉄拳をくらわそうとした瞬間だった。視界がまた一瞬暗くなり再度明るくなる。拳の先がクローゼットの内壁の板に当たっていた。
「レナ! うるさいぞ!! 何を壁を殴ってる!?」
「はっ……!!」
父親の声で現実に引き戻される。全身に嫌な汗をかき、息が荒くなっていた。さっき拾ったはずの何かの破片は無くなっていた。
「今のは……アグダラの光景か……」
◆◇◆◇◆◇◆◇
ケイトがシャワーを浴びている時だった。
「はっ……!?」
ふと自分の顔の高さにある鏡を見ると、そこに映っている自分のまわりの景色が浴場でなくなっていた。見上げれば満天の星空、周りには黄金色に輝く花々、見たこともない美しい色彩の鳥が舞っていた。
「これは……!」
ケイトの声に答える声が聞こえた。
「君は、もうずっとそこにいればいいよ……」
「……」
「そうすれば、傷つかなくて済むから……」
「そうやって……諦めさせようとしているのね?」
「君はそこにいればいいよ……やめたほうがいいよ……攻撃なしでは勝つことはできない……」
「くっ……」
ケイトは、それがオミナス・ベイパーによる、声による妨害だと悟った。それを拒絶すると、シャワーが冷たくなったのを感じ、急いでシャワーの温度を戻して言った。
「偽りの楽園……。何もさせないために見せられたものだわ……。でも、攻撃無しでは勝てない……それはそうかも知れない……」
ケイトは元々穏やかな少女だが、この瞬間より、これまで考えたことのない『攻撃』について考えるようになったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
自分で書いている『考察ノート』に目をやりチェックしていた茜をその時襲ったのは、巨大な図書館の迷宮だった。彷徨いつづけてもすぐ同じ場所に着いてしまう。何度目かそこを通った時、どんな本があるのかとようやく棚にある本の背表紙の文字を読んでみた茜。そこにかいてあったのは……。『ゲイム・ジェン・ヨハン』の文字だった。
「これは漆黒の書……!!」
そこには全ての漆黒の書が並んでいた。それは茜が自分のが欲しいと探し求めているもの。当然確認するために手を伸ばすが、指先はそれをすり抜けてしまった。
『お前、答えを見つけたな……?』
「え!?」
『ふむ……お前なら、この先の謎も解けるかもしれない……』
「……この先の謎?」
そこに響く声がどこからくるのかはわからなかったし、言っていることも意味がわからなかった。
「お前の力、試してみるか? お前には望みがある。しかし諦めるのもお前次第」
「なんだ!?何を言っている!?」
その時だった。
「おぃ茜!!さっきからうるっせぇぞ!!」
「はっ!! 親父……」
父親の怒鳴り声で我に返った茜は、周りの景色が自室へと変わるのが見えた。
「オミナス……ベイパーか……」
それは何のきっかけもない一瞬の出来事だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日の学校の昼休み、四人は体験したオミナス・ベイパーを共有し合った。そしてついに精神にも干渉してきたことを危惧したのだった。
――続く




