28.本の捜索①
初夏の日差しが少しずつ肌を刺すようになる頃。制服のシャツを吹き抜ける風にも、湿気と夏の匂いが混じり始めていた。日々の鍛錬の傍らで、見え隠れするオミナス・ベイパーによる異変が続く。卓越感情を有する当事者たちは、確実に季節が前へと進んでいくその日常と、静かに浸食を繰り返す非日常の狭間で、それぞれ異なる目的を抱えながらも、アグダラへの手がかりとなるであろう『漆黒の書』の捜索を始めていた。
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青空心は、「思い立ったが吉日」を座右の銘としており、自分の長所としていた。その日も学校から帰ると実家の駄菓子屋を後にした。レナと「漆黒の書探しも始めよう」と約束した手前もある。店の手伝いの合間を縫って、まずは自分なりに動いてみることにしたのだ。
いつもの全速力マラソンのコースとは違い、キョロキョロと周囲を探索しながら歩く心の足取りは、他人が見たらどこか落ち着かないものに見えたことだろう。
「漆黒の書、か……。本って言うくらいだから、やっぱりそういう場所に置いてあるのかなぁ……」
とりあえず近場の『富士見乃屋書店』に足を向けてみることにする。
「あぁ!? なんだてめぇ!?」
しかし向かう途中に、当たり前のように黒い学ランのガラの悪い男に出くわし、絡まれた。心の譲らない目つきが相手を好戦的な気持ちにさせるのかもしれない。
「んだよ! またクロコーかよ!!」
「お前……ちょっと顔かせや!」
「はいはい……」
店の立ち並ぶ裏の小さい小道に呼ばれ、ほんの数秒で勝負は決まる。もはや心のルーティンと化してしまっている。
バコ! ボコ!
「そろそろお前たちとはケリをつけたいって思ってると、そっちのボスにも伝えとけっ!!」
「うぅ……ごめん……なさ……い」
ガク……
軽く怒った表情でその場を後にし、富士見乃屋書店に来てみたが、身体が温まってしまった心は、いつものマラソンに向かいたくなった。
「うーん……まさかな。そんな大層な本が普通の本屋に売ってるわけない!!」
結局、店の中には一歩も入ることなく、心はそう決断を下した。喧嘩やスポーツの直感はずば抜けている心だが、本という媒体そのものに対する知識や関心はもともと薄い。その日はどこをどう探せばいいのか具体的な見当もつかないまま、「とりあえずまたブラモンに会えれば、直接聞き出せるかもしれない」と思考をシフトさせると、「突然クロコーのボスと出くわしたりしないかな」と、マラソンへと駆け出していくのだった。
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同じ頃、神宮寺レナもまた、道場での稽古を終えて本の捜索へと外へ出かけて歩いていた。
「そういえば茜、あの不思議な本は河島団地の方にある『富士見乃屋書店』で買ったって言ってたなぁ……」
手がかりとして思い出せるのはそれだけだった。さすがに同じ店に何冊も置いてあるとは思えなかったが、まずはその発端となった場所を見ておくことが、武道でいうところの『基本』の確認だとレナは考えたのだった。タンクトップ姿に長丈スカートをなびかせ、今日も裸足で大地を踏みしめながら、商店街へとやってきた。途中の万寿苑の対面にある『サンキュー』で大好きなメロン味シェイクを買ってから、富士見乃屋書店へと向かった。
「まさか、また都合よくあるわけないよなぁ……」
そう口に出して苦笑いしつつも、一応中を見ておくかと、レナが書店の入り口へと足を向けた、まさにその時だった。
ドタ……
「う、うう……」
レナのすぐ目の前を歩いていた、買い物袋を下げた見知らぬ老人の体が、突然ぐらりと大きく傾くと、老人はそのままコンクリートの地面へと激しく倒れ込んでしまった。買い物袋からミカンや缶詰が転がり落ちた。
「おじいさん!!」
駆け寄り、老人の体を支えて声をかけた。
「だ、大丈夫……!?」
意識が朦朧としているようで返事がなかった。一大事と判断したレナは、すぐに長丈スカートのポケットからスマホを取り出した。
「もしもし、救急車をお願いします! 場所は河島団地センター商店街の……」
迅速に状況を伝え、救急車の手配を済ませる。その後も、救急車が到着するまで老人の様子を見守り、駆けつけた救急隊員に状況を説明するうちに、かなりの時間が経過していた。この場所は車が入ることはできないので、少し離れたところに救急車は停止していた。おじいさんのことが気になるので救急車のあるそこまでついて行き、見届けた。
ピーポーピーポー……
サイレンの音が遠ざかり、ようやく辺りに静けさが戻った頃、レナは大きく息を吐き出した。
「ふぅ……。あ、そうだ、本屋……」
ふと振り返り、富士見乃屋書店のガラス扉を見つめたが、先ほどの騒動が原因なのか、なんとなく入る気にならなくなってしまった。
「……まぁ、今日はいいか。また出直そう」
レナは書店の前を離れ、元来た道を歩いて帰っていった。結局、その扉をくぐることはなかった。
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心とレナ。二人がそれぞれ行こうとし、そして結果的に入るに至らなかった富士見乃屋書店。そこで起こったただの偶然のすれ違いと突発的なアクシデント。彼女たちはそう思ったかもしれない。しかし、その場所に足を踏み入れることができなかったのは、彼女たちがその本の「相応しき当事者」ではなかったが故に生じた、オミナス・ベイパーという『見えない拒絶』というエネルギーに触れていたためである。
そして茜が以前ケイトから聞いたはずの、「3」についての失念と、そしてケイトが何故かその日、探そうと行動に移す気になれなかったことも、「まだその時ではない」というオミナス・ベイパーによる干渉が働いたためである。
朝比奈ケイトがかつて触れようとして強い静電気のような刺激を受けた真っ黒で分厚い、その一冊。常人には異なる本として認識してしまうが、卓越感情保持者には漆黒の書とわかる書物。真っ赤な文字で『ゲイム・ジェン・ヨハン 3』と印字されたその本は確かに、今もあの薄暗い本棚の影に、静かに佇んでいる。正当な当事者がその背表紙に触れるその瞬間を、じっと待ち続けながら――。
――続く




