26.オーラの卵
翌日。心、レナ、ケイト、茜の四人は、再びこの神秘的な洞窟へと足を踏み入れていた。昨日の金色ブラモンとの決闘が、心の瞼の裏で何度も再生されていた。その圧倒的な素早さの前に、自分の持ち前のスピードがまるで通用しなかった。その無力感が今も胸の奥で疼いていた。
冷んやりとした洞窟の空気が肌を撫でる。奥へと進むほど、壁面に反射する淡い光は幻想的な輝きを増し、現実感を遠ざけていく。この非日常の空間で、彼女たちは今、己を変えるための最初の一歩を踏み出そうとしていた。
「良いか、お主たち」
スイミーの声が洞窟に響く。
「特訓は、学校休み中のこの三連休で行う。合宿だ。短い期間じゃが、ワシがお主たちの潜在能力を引き出すには十分な時間じゃ。このあと外ですぐ始める。それぞれに合った特訓を、順番にな……」
そう言うとスイミーは四人を順に見渡した。その小さな体に似合わぬ鋭い眼差しは、彼女たちの心の奥底を見透かしているようだった。四人の言葉にならない緊張感の中、各々の特訓が始まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
青空心の特訓は、荒ぶる感情を制御し、心の奥底に宿る哀しみと向き合うことから始まった。
「目を閉じるんじゃ。そして雑念を払い、ただひたすらお主の幼馴染の面影を追うのじゃ」
スイミーは心に、荒ぶる感情を制御するコツを養うため、まずは瞑想を命じた。心が深く瞼を閉じると、暗闇の向こうに浮かび上がったのは、自分を庇って漆黒の穴へと消えていくナオトの最期の姿だった。その瞬間、胸を激しく締め付ける深い哀しみが押し寄せてくる。しかし同時に、その弱さを塗りつぶそうとするかのようにブラモンへの凄まじい怒りが煮えたぎるのを感じた。しかし、スイミーはその心情の揺らぎを逃さなかった。
「まずそれじゃ。今、お主が外に発している怒りが、哀しみの邪魔をしておる」
スイミーの静かな声が、心の動揺を透かすように鋭く突き刺さる。
「なんで、わかるの? 私、怒った顔してる?」
「そうではない。お主らにはまだ見えぬだろうが、卓越感情は、その力の大きさによってオーラとなって見えるのじゃ。たとえば強大な卓越感情は、炎の様に美しく揺らぎ煌めく!!」
「炎の様に? 私に、オーラがあるの?」
「いや、まだ卵のようなもので、薄い膜がぼんやりと……じゃがな、じゃがそれもオーラであることに変わりはない。お主の身体を包む青い光の膜のオーラじゃ」
「へぇ……」
「そして突発感情の怒りが、そのオーラの煌めきを邪魔しておるんじゃ。さ、もう一度目を閉じよ……」
そう言って見守るような眼差しで心を見るスイミー。目隠ししていてもそれを感じているのか、心から頑なな抵抗が少しずつ溶かされていく。
「そして姿勢は大事。その姿勢を崩すんじゃないぞ」
「はい……」
「あと呼吸の仕方がちょっと雑じゃなぁ。まぁ独特な呼吸法なのでなかなか難しいかもしれんが」
「はい……」
空気を大きく体内に取り込み、血流を整え、精神の波を安定させる。スイミーから教わった独特な呼吸法と身体の姿勢により、徐々に雑念が消え、鋭い集中力の感覚を掴んでいくのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
レナの特訓は、生存本能を極限まで削り出す苛烈なものだった。レナに目隠しをさせ、木の棒を持ったスイミーは、一切の猶予も与えず、呼吸を整える間もなく無慈悲な攻撃を仕掛けてくる。ある時は頭部への打撃、ある時は背後からの蹴りがレナを襲う。またある時は唐突に落とし穴へ落とし、レナの五感や三半規管を狂わせる。レナは何度も予期せぬ衝撃に晒され、只々、驚愕の中に叩き込まれた。
「くそ、目隠しでどうやって……」
だが、その時こそスイミーは動揺を許さなかった。
「思考を止めてはならんぞ! 縮こまってもならん。襲い来る吃驚を拒絶してもいかん。拒絶ではなく、それを受け入れるのじゃ。そしてそれを力として利用する術を想像するのじゃ」
スイミーの叱咤が、混乱するレナの意識を辛うじて繋ぎ止める。レナは一瞬の油断も許されない極限状態の中、必死に自分を襲う『驚き』という感情の正体を掴もうと、もがいていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
茜の訓練は、底知れない恐怖の渦中に身を投じる過酷なものだった。守るための棒を与えられたものの、レナ同様に目隠しをさせられた状態で、音量マックスのヘッドフォンを装着させられると、どこからともなく響く得体の知れない不気味な音や叫び声が彼女の精神をじりじりと削っていく。そして時には攻撃も受ける。未知の脅威への怯えが冷たい汗となって吹き出し、抗いようのない恐怖が全身の自由を奪い、支配しようとする。逃げ場のない孤独の中、茜の心は今にも砕け散りそうだった。だがその時、スイミーの声が聞こえた。
「良いか、『恐れ』は、決して恥ずべきものではない。それは生への本能が発する、お主が生き残るために必要な感情じゃ。その震えを否定することなく、正しく制御することさえできれば、それはお主に危機を知らせる最強の『防御の形』へと変貌する」
「防御の形……」
「それとお主は心とレナとは違って、格闘経験が無いようじゃな。そしてケイトのように能力も持っていない。そこでお主には特別に棒術を使った能力も持たせてやる。特別じゃぞ!」
「え、あ、ありがとう!」
茜はその言葉を必死に胸に刻み、震える両手で棒を固く握りしめた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ケイトの特訓は、彼女が既に持っていた能力を、より具体化されたものに昇華するためのものだった。
「元々持っていた能力は、アグダラでは『ヴィジョン』と呼ばれる、具現化能力じゃ。それは周囲の人間の精神に影響するもので、使いこなせれば至極強力じゃが、今のお主ではそれは無理じゃ。その技は、熟練の戦士が最後に獲得するような上級能力じゃからな。かわいそうじゃが……お主は、その能力は一度捨てねばならぬ。そして新たな能力を自分のものとするのじゃ。それは、左利きの人間が右で矯正するのと同じくらいの難しさがあるが……」
「新たな能力ってどんな……!?」
「それはお主にしかわからぬ。お主が自分で編み出すのじゃ、お主が少しだけ使える具現化能力を使うときの『コツ』を利用して、自分がどうなりたいかを想像して能力を獲得するのじゃ!」
「自分が……どうなりたいか……」
「ふむ……お主は、心やレナとは違い、見るからに攻撃タイプではないのう」
「暴力は……ちょっと……」
「ちょっと、こっちへくるんじゃ」
そういうとスイミーは大樹の近くにケイトを連れていった。
「ちょっと見ておれ……きえぃ!」
バシィーン!
スイミーが自身の手をX字に交差させるとそこから青いビームが飛び、大樹に深い傷を刻みつけた。
「これは攻撃の能力の一種じゃが、お主はこういうのは使いたくはないと?」
「はい。それだったらそれを治す能力が欲しいです」
「ふむ」
スイミーは少し考えた後、一人で納得したように頷いた。
「では、無駄な力を抜き、呼吸を整えて意識を一点に集中せよ。目の前の事象が刻む時間の流れを肌で感じ取り、その部分にそっと触れてみるのじゃ!」
ケイトは疑うことなく、教えられた通りの呼吸法で己の感覚を研ぎ澄ましていった。具現化の能力を多少は使うことが出来たケイトにとって、それをマスターする過程は、それほど苦のない自然な歩みだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
特訓一日目の夜。焚火を囲んだ五人。その心地よい疲労感の中で、沈黙を破ったのはスイミーの静かな声だった。
「良いか、お主ら。この三日間の特訓によって、ワシがお主らに教えようとしておるのは、お主ら自身の内に眠る『卓越感情』を、自在に操るための『コツ』じゃ。そしてコツを掴んだその時、お主らには『スキル』と呼ばれる力を振るうことが出来るようになる」
「スキル?」
心が聞き返した。
「そう。『能力』と書いてスキル。ケイトに備わっていたものも、同じく能力じゃ」
スイミーは一人一人の瞳の奥を覗き込むように、ゆっくりと視線を巡らせた。
「それは、ただの小細工や手品の類ではない。お主らそれぞれの卓越感情というエネルギーが作り出せるものじゃ。今やっているこの特訓で、卓越感情の操りかたのコツを見出すのじゃ。肉体を意志の先へと連れて行く……その『感覚』を掴み取るのじゃ」
揺らめく炎が、スイミーの鋭い眼光をさらに際立たせる。
「卓越感情を操る感覚を持てるようになったその時、お主たちが手にする超常的な現象こそが、わしが言っている能力の本質。それは、お主ら自身の生き様と、その震える魂が、この世界に無理やり刻み込む『答え』となる故、どのようなものが使えるようになるのか、それはまだわからぬ。じゃがお主らそれぞれの卓越感情が、美しい揺らぎを得られるまで、わしが徹底的に叩き込んでやるから安心するんじゃ」
「ねぇ、スイミー?」
「なんじゃ?」
「わたし、向こうの山の石碑で、アグダラの文字がなぜか読めたの。なんでかわかる?」
心以外の三人はそれを思い出し、聞き耳をたてた。
「それは、お主の卓越感情が人一倍上回っていたからじゃ。しかし他のお主たちも、それが読めなかったからと言って、気にすることはないぞ。この三日間のワシの特訓が終わる頃には、お主たちも読めるようになるからの。それがアグダラの文字と意識しようとしなかろうと、脳で読めるようになるのじゃ。」
「え!?本当に!?」
スイミーはにっこりと笑った。
じっと焚火を見つめる四人は互いの顔を見合わせなかったが、その瞳には、この三日間の特訓を無駄にはしないという、炎よりも熱い決意が等しく宿っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
四人とも、ずっと同じ特訓の連続だった。そして時間は刻々と過ぎ、とうとう最終日となった。
心は、逃げ出したくなるほどの哀しみの底へと、スイミーの導きによって精神を沈めていった。その痛みに背を向けず、自分自身と真っ向から向き合ったとき、心はある真理に辿り着いた。
(哀しみは、ただ絶望して立ち止まるための感情じゃない。失った痛みを知っているからこそ、それを埋めるため全力で前へ進もうとする、純粋な想いだ。ただ追いつきたい、取り戻したいと切に願う、私の根源的な衝動だ!)
そう理解し、何かしら、これまでの努力の成果を出したいと思った瞬間。心の周囲の感覚が一変した。周囲の景色が色を失う。そして脚は、重力から解放され、自身の肉体が羽毛のように軽く感じられる。その時、無意識に地面を蹴る。すると、景色が爆発的な速度で後方へと飛び去っていくのが見えた。心の身体が未知の躍動感をもって動き出したのだ。しかしその心の身体を、スイミーが捕まえた。
「よっと! 危ない危ない、どっかへ行っちまうとこじゃった……」
「……今のは……!? 体が、勝手にどこかへ行きそうになった……!」
「ふむ。それは『韋駄天』と呼ばれる能力じゃ」
「韋駄天……これが……私の能力なの!?」
驚愕する心に対し、スイミーは満足げに深く頷いた。
「それは哀しみの卓越感情保持者だけがなせる能力じゃよ。追い求める至純の気持ちが生み出したんじゃな。じゃが、それは敵を討つための攻撃用ではない。あくまで超常的な移動手段じゃ!」
「……戦いには使えないの? ただの移動用なんて……」
「いや、戦闘には戦闘に相応しい別の特訓が必要なんじゃ。この三日間では無理。しかしそのコツは韋駄天に近い。それはお主自身で、これから導き出すんじゃ」
目隠し状態の中で、終わりのない波状攻撃に身を投じる中で、レナはある不思議な感覚に気づき始めていた。意識が追いつくよりも早く、身体が及ぼす反射。その瞬間のレナの心拍の高鳴りと連動して、自身の身体が勝手に最適な反撃の軌道を描き出していた。敵が放つ挙動、重心の微かな移動、そして殺気を含んだ呼吸。それらすべてを驚愕という研ぎ澄まされたフィルターを通して読み取ることができた次の瞬間、彼女の身体は思考を介さず爆発的に駆動した。それは単なる回避ではなく、受けた衝撃をそのまま打ち返す、鋭利な一撃だった。
「……なるほど、これが答えなのか!」
激しい攻防の最中、レナの唇に不敵な笑みが浮かんだ。驚きは隙を生む弱点ではなく、相手の動きを鮮明に映し出し、その力を逆手に取るための鏡だったと理解した。その覚醒を見届けたスイミーが、満足げに声を響かせる。
「それは『驚反』という能力。その身体を包む水色の光の膜が輝くとき、受けた攻撃を反撃へと転換する、カウンターじゃ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
どれほどの時間が過ぎたのか。依然、茜は恐怖と戦っていたが、その質は初日とは違って劇的に変化していた。目隠しの中、微かな音の反響を拾い、肌を撫でる空気の揺れから敵の気配を読み取り、次に訪れる危険を直感的に先読みする茜の身体は、緑色の光の膜に包まれている。どこを死守すべきか、どの角度を塞げば脅威を退けられるか。気づけば移動していた。そこは、すべてを見渡すことのできる、絶対的な位置。
「……見える。安全な場所が!」
かつての怯えは消え、決意が宿る。その確かな成長を見届けたスイミーが、静かに、しかし力強くその力の名を告げた。
「団体戦では、安全な場所とともに、配置も見えることじゃろう。それは『後詠陣』という能力じゃ。己の卓越感情をレーダーとし、戦場のすべてを把握・制御する、後方支援の能力。お主が仲間たちの背後に居る限り、仲間が背後から討たれることはない!そしてもう一つの能力をつかってみぃ!ワシに攻撃するのじゃ!!」
「はい!!」
ガシィ!
棒術による攻撃を片手で防ぐスイミー。しかしそのあと棒から高電圧の電流が迸る。
ビギギギギギ!!
「ほぉー!! これはなかなかの雷撃!! ワシも法衣が無ければやばかったな。それが『雷導打』。棒が相手に触れさえすれば雷のダメージが相手を襲う」
「やった!!」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「もとに……戻ったわ!!」
ケイトは、これを自分がやったのかと、信じられない表情になった。ケイトの特訓が始まってからずっと目の前にしていた、深く引き裂かれていたはずの樹の皮、そこにあった傷が消えた。それは、まるで斧が振り下ろされたという事実そのものが、この場所の歴史から消されたかのような不可思議な現象だった。黄色い光の膜で覆われているケイトの掌から、さらに力強い黄色い光が瞬いていた。その成果を見届けたスイミーが、満足げに深く頷いてその正体を告げる。
「ふむ、見事じゃ。それが、お主が具現化の能力を捨てて新たに得た『瞬刻再生』じゃ! 対象を負傷の直前の状態に戻す。つまり、治癒の能力じゃ!!!!」
ケイトは自分の掌を見つめた。そこに宿った力の温かさを、確かな実感とともに噛み締めていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
四人の三日間の合宿が終わりを迎えようとしていた。完全な覚醒には未だ至っていないが、四人が新たな力を手にしたことは確かだ。昨日と同じく外へ出るとスイミーが言った。
「これが最後の試練じゃ。金色ブラモンとの再対決。始めるぞい!」
スイミーの言葉と共に、金色のブラモンが姿を現す。
「フフ……強くなれたぁ?」
「では開始!!」
開始とともに、茜の『後詠陣』が守りを固める。たとえ負傷してもケイトの『瞬刻再生』が再起させ、レナの『驚反』が金色ブラモンの動きを止める。そして心の『韋駄天』を使う時のコツを利用したそれが距離を詰め、そのまま攻撃に入っていく。それぞれの卓越感情が噛み合った連携だった。その成功は偶然ではなく必然だ。
トス……
心が金色ブラモンの首を軽く手刀で叩いた。
「ぐっ……ボクの……完敗だ……見えなかった……ふぇええええん!!」
「やったぁぁああ!!金色ブラモンを倒したぁぁっ!!」
金色ブラモンが何もなすすべもなく負けを認めた。嬉しがる四人を尻目に、スイミーは驚嘆した。
(ふむ。四人ともかなりレベルアップした! 特に、この青空心という娘……。こやつ、どうやら天の才があるようじゃ……。コツしか伝授していないのに……韋駄天を使う時のコツを戦闘に応用するとは……こりゃ驚いた!!)
そしてスイミーは満足げに頷いてこう言った。
「よし!! お主ら、この三日間、本当によくやったぞ。殆どが卓越感情の矯正だったので、苦しかったと思う。それぞれ今まで慣れていた感覚を違うものへと変える必要があったからな。じゃが、一応はそれぞれ新たな能力を身に着けた!それは各々の自信となるじゃろう! しかしこれは始まりに過ぎない。お主らが掴んだのはあくまでも、それぞれの卓越感情の使い方のコツじゃ。完全に卓越感情を制するには反復練習と実戦が必要じゃ。それを今後どう伸ばすかは、お主たち次第じゃ! 期待しとるぞ!」
かくして、三日間の合宿、スイミーによる特訓は終わり、ひと段の終わりを迎えた。オーラの卵、それぞれの属性の光の膜をその身体に確かに宿した四人にとって、今やスイミーは師とも呼べる存在となった。その師ですら避難してきたというアグダラとはどんな世界なのか……。スイミーのことも、まだ知らない事だらけだが、それはいつか、四人がアグダラに旅立つときには明かされるのだろう。いつか踏みこむことになるアグダラというその世界、そこでいつか対峙するであろう巨大な敵に勝つ力を得るべくこの三日間やってきたのだ。
しかし、漆黒の穴を発見するまでの道のりはまだ遠く、四人は日常の世界へとまた戻っていくのだった。四人が家に帰ったその日の夕暮れ、心は、駄菓子屋で最後の客を見送り、ふと空を見上げる。そしてまだ終わっていない決着のことを思い出していた。
――続く




