1.保健室
青空心と神宮寺レナの決闘から三年後。ここは江茂志第四高等学校、通称江茂志四高。江茂志市にあるその学校はとても美しい校舎で有名な学校だ。桜が完全に散りゆき、生徒たちが新しいクラスにも慣れてきた頃。その学校に似つかわしく清楚であり、且つ容姿端麗な娘が二年生として在籍していた。
朝比奈あさひな ケイト――朝比奈グループの頂点に君臨する、統括企業『朝比奈ホールディングス』の会長・朝比奈洋一の孫娘であり、その最高経営責任者(CEO)である洋介の娘。つまり『ご令嬢』というわけだが、ケイトは特に仲の良い友達以外には、『朝比奈グループとは無関係』と主張している。それは特別視されたくないという思いからだった。「朝比奈会長の孫娘さんだから」「朝比奈社長の娘さんだから」と常に特別扱いされ、周囲から向けられる好奇や羨望せんぼう、あるいは皮肉めいた眼差しに辟易へきえきとしていたケイトは、学校内では、ただの一生徒としてごく普通の高校生として過ごしたかった。家柄ではなく、自分自身の人柄で友人を得て、何気ない日常を大切にしたかったのだ。
ただ、培われた気品と麗しさは隠すことは出来ず、頻繁に男子から告白されては丁重にお断りする日々だった。その人気は絶大で、他校の男子が校門で待っている程の人気ぶりだ。告白してくる男子に対して、嫌な素振りは見せないものの、学校生活において保健室が『隠れ家』として最適の場所であることと、怪我して困った人を助けたいという慈愛の心が働いたからか、一年生の頃から『保健委員』に属していた。そのため、授業時間以外は大抵、保健室で過ごしているのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇
保健室でとくに何もない日。それは校内で怪我や病気になった人がいなかったということだ。ケイトはそれだけで嬉しくなり、自然と笑顔になる。しかし、今日は誰かが来そうな予感とともに、言い表せない胸騒ぎがあった。昼休みが終わっても保健室では何もなかったが、その胸騒ぎは消えなかった。そして放課後、結局誰も来なかったことで予感が外れたかと、安堵しながらその日の保健室の記録用のタブレットに「特に何もなし」と記録しようと思った時、保健室のドアが開いた。
「すいませーん!保健の先生いますかー!!」
先生が今留守で自分が代わりを受け持っていることを伝えようと、ケイトが奥の部屋から出てくると、入り口のドアの近くで背の高い女子生徒が女の子の腕を掴んでいた。
「逃~げ~る~な~よ~?」
「だからべつに大丈夫だって……」
「顔だぞ、ばい菌入ったらどうするんだよ!」
「こんなの唾つけとけば治る!」
「おまえは小学生か!!」
背の高い女子が小柄の女子に最後にツッコミを入れた時、奥からケイトがやってきた。
「まぁ!! どうしたの!?」
ケイトは、緑色の髪の毛をした背の高い女子生徒が、友達の怪我した顔を心配して連れてきた、というのが容易に想像できた。
「こんにちは。あぁ、二年生だね!」
背の高い女子生徒はなぜか裸足であることに気づいた。どうやら彼女の方は怪我はしてなさそうだ。その子が連れて来た小柄の女子生徒の上履きの色を見て、自分と同級生だということがわかったので、いわゆるタメ口で会話を進めた。
「あ、どうも!! こいつを診てくれないかな。顔に怪我してるんだ……」
「ええ。そこの長椅子に座ってね」
ケイトはその子の顔の怪我を診てあげる。左右の頬が痛々しく擦りむけていて、左頬には『赤い線』状の傷が走り、それがそのまま耳たぶにも及んでいた。
「これ……どうしたの?」
「こいつ、よく他校の男に絡まれるんだ。といっても男にモテてるってわけじゃないよ! 喧嘩を申し込まれるんだよ。『そっち界隈』では有名だから……」
「えぇ……!? この学校、そんな悪評あったかしら……?」
「いや、喧嘩するのはこいつだけ……心、なんでそんなに喧嘩売られるの?」
背の高い女子生徒が怪我した女子生徒にからかうように聞いた。
「知らな~い」
「…………まぁ、そういうわけなんで、なんか薬塗ってやってくれないかな」
「うん」
ケイトは手にしたガーゼに消毒液を吹きかけ、傷の周りを拭いて、優しく薬を塗ってあげた。
「これでよし……傷は、そこまで深く無かったから、一週間もすれば治ると思うよ」
「ありがと!」
「よかったな。大事には至らないってよ!」
「でも気をつけてね。喧嘩は……申し込まれてもしない方が良いと思うよ?」
「……無理だ。クロコーのやつら、また来たら今度こそやっつける!」
「クロコーかよ!! 相手は何人だったんだ?」
「30人位!」
「さ……30人!?」
ケイトは驚いた。
『クロコー』――それは、この辺りで不良が通う高校と悪名高い、黒原くろばら高校の通称である。その制服の特徴から、『黒い学ラン』とも呼ばれていた。
「あなた、30人相手に……一人で喧嘩をしたの?」
「あー! えっとね……こいつ普通の女子と違うんだよ……。喧嘩っ早いのと、めっちゃ強いから有名で、それで喧嘩申し込んでくる奴がわんさかいて……。その中には、たまに『卑怯な奴』も居て。その結果がこれなんだ……」
「そ、そうなんだ……」
ケイトは、レナの説明を受けても全く信じられない様子だった。
「レナ~。また30人でやってきたら手伝ってくれない? 私が倒したいのはリーダー格のやつだけなんだよ。あいつ……!」
「嫌だよ!! 手伝わないと倒せない相手なら、最初からやるな!」
「だって、他の奴を倒してる間に、そのリーダー格のやつ逃げるんだもん! でももういいよーだ! 一人でやるから!」
「ぜ、絶対危ないじゃん! あ、また怪我した時の為に、はい、これ!!」
ケイトはそう言いながら、心と呼ばれたその女子に、5枚ほど絆創膏を渡した。
「あぁ! ありがとう! こんなにいいの?」
「大丈夫。保健室でも絆創膏使われる事あんまりないから沢山あるわ。大体いつも平和って意味ね!ところで、あなたは何もなかったの?」
ケイトはレナと呼ばれたその女子に聞いた。
「あぁ、私は一緒に帰ろうとこいつを探してたんだけど、そいつらが帰ったあとっぽくて、出くわさなかったんだ。で、こいつ顔が土と傷で汚れてたからここに連れてきたんだ」
「そうだったのね……あぁ、それじゃ記録残しておかなきゃいけないから、ここにクラスと名前、書いて行ってね。怪我・病気の欄は私が書くから書かなくていいので。付き添いのあなたもお願いね!」
「うん!」
「オッケーオッケー♪」
渡したタブレットには、「二年三組 青空 心」と「二年四組 神宮寺 レナ」と記入されていた。
「青空さんと神宮寺さんね」
「あぁ、こいつは心ってみんなに呼ばれてるから、心でいいよ。私のこともレナで。よろしく!!」 「こちらこそよろしく。わたしはケイトでよろしく!」
「わかった! それじゃあ、また何かあったらこいつ連れてくるから、その時はよろしく頼むよ!」
「もう……そんなに怪我しないって……」
「うん。気を付けてね!」
「カバン取りに行って帰ろうぜ~!!」
「うん!」
保健室から出て行った二人の会話はしだいに遠ざかっていった。
「仲の良い子たちだこと。レナと……心……」
◆◇◆◇◆◇◆◇
二人は保健室を後にして鞄かばんをとりに階段を上り3階へと上がっていく。
その途中、上の踊り場から、レナほどではないが一般的に見て、これまた背の高い女子生徒が降りてくる。鮮やかな小豆色の髪。カチューシャで持ち上げられた前髪は額を広く露出し、目鼻立ちの良い顔をのぞかせている。前髪と綺麗に束ねられた後ろ髪が階段を降りる脚の動きに合わせてふわっと揺れる。前髪をたくし上げる右手の指には薄っすらと緑色に輝く石の指輪をしている。耳にはピアス。心と同じく青い上履き。踊り場に差し込む日の光が背筋のピンと伸びた綺麗な姿勢をより美しく見せていた。火傷でもしているのか、右手前腕は包帯で覆われていた。
すれ違った後、その女子生徒が向かっていったのは先程の一階の保健室だった。入るとケイトに向かって元気に挨拶をする。
「ケイト~、おっつ~!」
「あ! 茜! もう帰る?」
記録用のタブレットの電源を切って所定の棚にしまいながら、ケイトが振り返った。
「うん! 未だ時間かかりそう?」
「ううん、もう終えたから帰ろう~」
そう言って隣の部屋から保健室の鍵と自分のカバンを取って来たケイトは、茜とともに保健室をあとにした。
「さっき、久しぶりに保健室に人が訪れたよ」
「そうなんだ? 怪我人?」
「そう。頬が擦り剝けていて、顔と耳が切れてた……。その理由を聴いたらびっくりしたよ」
「なんだって?」
「30人の黒原高校の男子たちと喧嘩したって言ってたの。女の子がだよ?」
「あぁ!!それ、青空心あおぞら こころでしょ!」
「知ってるの?」
「うん。っていうか、この学校に居て青空心のこと知らないの、保健室を隠れ家にしているケイトだけだと思うよ」
「え……」
「青空 心。女の子なのに小学生の頃から毎日のように喧嘩してるって噂。体が大きいわけでもないのに、とてつもなく強いらしい!」
「そんなこと……言ってたわ……」
「まぁ……その30人ってのは、ちょっと眉唾だけどねぇ。だって30人も相手がいたら、いやいやそれはさすがに無理でしょ! 誰か一人相手してる間に取り囲まれてやられちゃう! って思うのが普通でしょ? どうやって勝てるんだろうなぁ? でも、いっつも他校の男子と喧嘩してるのは本当らしいよ。私も喧嘩してるのを見たことがあるわけじゃないけど、とにかく『喧嘩三昧』だというのは有名な話だよ」
「本当の話なんだ……」
「……あぁ! それでさっきあの二人とすれ違ったんだ! 友達ってわけじゃないから挨拶してないけど。ちなみに、いつも心と一緒にいる子も強いらしい。たしか家が格闘技の道場だからって。名前は……なんて言ったっけな……」
「あぁ! 神宮寺レナって子じゃない? さっきその子が心を連れてきたの」
「なるほど! レナは喧嘩はしないそうだね」
「あぁ、そう言ってたわ」
ケイトたちの足は職員室に向かっていた。それはこのようにケイトと茜が一緒に帰る時のルーティンとなっていた。
「保健室の鍵戻してくるね」
「うん、廊下で待ってる」
ケイトが保健室の鍵を2階の職員室の壁の所定の位置に引っ掛けて出てくる。そして下駄箱へと向かい、二人は校舎の門を出たのは午後の4時を過ぎていた。
「ケイト、本屋行くの付き合って? 今日注文しておいた本が届いてるはずなんだぁ」
「いいよ~」
「何の本を注文したの?」
「『ガイタ・クロ』の小説だよ!」
「あぁ、貸りてる本の作家さん!」
ガイタ・クロは、独特だけれども決して難解でなく、それでいて誰でも楽しめる小説を書く作家と評されている、弱冠20歳の短編SF作家だ。なお、有名な書籍には『落ちた場所』『地球外的思考』『浄化の行方』『エンドレス・ライン』『感情の行方』などがある。
「もう読んだ?」
「読んだ!」
「どっち読んだ?」
「どっちも読んだよ!」
「えっ! 一昨日おととい貸したばかりなのに、落ちた場所の上巻と、地球外的思考の二冊とも、もう読んじゃったの!?」
「うん!」
「それで……教えた通り、最初に落ちた場所から読んでくれた?」
「うん、その順番で読んだよ!」
「どうだった?」
「落ちた場所は最初はちょっと怖かった。けれど、最後はとても感動した! 感覚でわかりあうってのが良かった! 地球外的思考は、主人公の女の子の戦いの描写が良かったけど、途中から出てきた『世界が裏返る』シーンの臨場感が凄いと思ったよ」
「うんうん! あの表現凄いよね!よく文章化できるなぁって思う!」
「あ、今度落ちた場所の下巻も貸してくれる?」
「ってか、今持ってるよ~!! 二冊読んだら貸そうと思ってたんだよ。実はねぇ、落ちた場所と地球外的思考の話は繋がってる……っていうか、同じ世界線の話なんだよ」
「あ、そうなの!?」
「そう、実は、ガイタ・クロの小説は、全部の小説を読んで初めて回収される部分があったり、読む順番によって解釈が全く変わるようになってるんだよ!」
「そうだったの!!」
「うんうん! このことは落ちた場所と地球外的思考のあとがきに書かれているから読者が勝手な考察で広まったことではなく、ファンにとっては常識なんだよ。でねー、まずはケイトには私が思う一番面白い順で読んで欲しいと思ってその順番で貸しちゃってるだよね。落ちた場所の上巻からの、地球外的思考からの、落ちた場所の下巻ってわけ!」
「へぇ! あとがき読んでなかったや……」
「ガイタ・クロは本当、言葉の魔術師だと思う!!」
楽しく話をしている内に商店街にきていてそのまま本屋へと向かった。店頭の上の看板には『富士見乃屋ふじみのや書店』の文字。店内は狭くもなく広くもなく、商店街の中にある本屋と言ったらこの位かという広さ。奥の方が一部、雑多に本が積まれているものの、大部分は整然と本が陳列されている。
「こんにちは、おじさん!」
注文の引換用紙を、新聞を読んでいた穏やかそうな中年の店主に渡す。
「あぁ、鳳おおとりさん、すぐ用意するから、ちょっと待っててね!」
「お願いします~」
「本屋って素敵な空間ね。茜、ガイタ・クロさんのコーナーはどこにあるのかな?」
本屋にたまにしか入らないケイトが周りを見渡して言った。
「こっちこっち!」
茜がケイトを奥の本棚へ案内する。二人が、店主から見えない本棚の影となった時、ケイトがクスクスと笑いながら茜に静かに言う。
「……そういえば、茜が名字で呼ばれてるの、新鮮な気分だわ」
「ふふっ……学校の先生も私の事、茜って呼ぶしなぁ」
茜もニコッと笑った。その時、著者の名前順に追っていたケイトの目に『ガイタ・クロ』の文字が映る。
「あ!あった!」
「そうそうここ~」
「これ何冊くらいかしら?」
「ガイタ・クロの短編小説は、全部で43冊だよ。いまのところはね!」
そういいながら会計を済ませようとカウンターへ戻ってきた茜。
「おぉ、さすが鳳さん、よくご存知で! そのとおりです。43冊。それ以上でもそれ以下でもない……数は重要です。そしてこれが44冊目の『賢人伝けんじんでん』。千六百円ですね!」
店主はそう言うと袋に入れた品物をカウンターに置いた。
「わぁ~……やったぁ!」
喜びながら支払いを済ませようとする茜をよそに、ふとガイタ・クロの横の作家の本に目が留まったケイトは、背表紙に刻印されている名前を呼びながら本を取ろうと手を伸ばす……。
「ゲイム・ジェン・ヨハン……」
それは、真っ黒で分厚い本だった。
――続く




