0.プロローグ:決闘
人々が、ようやく「夕方の時間が短くなった」と実感するようになる頃。他には誰もいない河原近くのグラウンドで、決闘の真っ最中の二人の少女がいた。
神宮寺 レナは中学2年生。深緑で、時代に全くマッチしていない、昔でいうスケバンのような髪型。目の前まで盛り上がったパーマの前髪は、僅かに身を屈めるだけで片目を隠し、さらりと流れた後ろ髪が、そよ風に揺れている。地面に映る頭部の影は、パーマで膨らんでいるため普通の人の1.5倍ほどの大きさがある。高身長でとても中学生とは思えない程のプロポーションは、海外のファッション誌のモデルのようだ。その手足は筋肉質で長く、肌は白く美しい。その構えは、対峙する相手を覆い尽くしてしまいそうな勢いだ。
一方の、青空 心は、レナとは同じ学校のクラス違いの同級生だ。栗色で、後ろは腰近くまである長めの髪もまた、そよ風に揺れている。その揺れはまるで相手の隙を伺っているかのようだ。普通の女の子の髪型。第三者に二人のポートレートを見せて、どちらの髪型が可愛いか?と問いかけたら、おそらく十中八九は心の方を選ぶだろう。可愛らしい髪型がそのまま体型にも反映されたような若干小柄な身体。その可愛らしさからは想像しにくいが、その手足もまた相手に対しいつでも攻撃可能な体勢で構えている。
何故この二人が決闘をしているのか。それは……。
◆◇◆◇
学校のプールの授業前。心が確かに自分の机に置いておいた水着が、トイレから戻ると無くなっていた。かなり探したが結局見つからず。遅れてプールサイドにやってきた心がそのことを体育の先生に伝えると、
「忘れたんだろう! 嘘をつくな!」
と怒られた。そしてプールサイドに整列している皆の前で、授業開始のチャイムと同時に制服のままプールに放り込まれた。ずぶ濡れになった心の目に映ったのは、自分をあざ笑うレナの顔だった。挑発的で嫌な表情。周囲の生徒たちはただ茫然としていた。
(こいつが隠したんじゃないのか……)
心は疑い、休み時間に問いただした。だがレナはしらを切るどころか、挑発的な態度だった。
(やはりこいつだ!)
その態度で心は確信した。
「いいかげんにしろよ!? 答えろよ!」
と突発的に感情的になり、その場でレナに張り手を打った。レナは即座に反応した。
「お前、あとで来いよ? ぶっ飛ばしてやる!」
こうして、誰もいないグラウンドで二人は決闘することになったのだった。そう、中学生の喧嘩の発端など、他人が見ればとてもくだらないもの。だが当事者にとっては、真剣であり、決して負けられない闘いなのだ。
◆◇◆◇
レナがじりじりと詰め寄ったが、最初に攻撃をしかけたのは心の方だった。その攻撃は掌打と似ていた。
掌打――掌底などとも呼ばれる、格闘技や武道における打撃技の一種だ。拳で殴れば、自身の指や手首を痛める危険がある。だが掌打は、手首の付け根の分厚く硬い骨で衝撃を伝えるため、その危険が格段に少ない。ゆえに躊躇なく、全力を叩き込める。青空心は、レナの構えから今まで戦ってきた喧嘩相手とは違う何かを本能で感じ取ったが故、試しに掌打を放ったのだ。
レナは幼少の頃から父親に格闘技を仕込まれており、一つの攻撃に対する、より最適な防御の選択を身に付けていた。それは、ガードではなく、避けることの選択を意味する。彼女はその心の試し打ちを難なく避けたが、心が掌打を選んだこと自体に驚きを覚えた。しかし驚きを表情に出すことはしない。二人の表情は、依然として冷静だ。
避けた後、心の体勢に隙を見たレナは連続パンチを仕掛ける。しかし心もまた避けることを選び、ぎりぎりで拳をかわし、負けじと瞬間的にアッパーを放つ。
バッ!バッ!バッ!
しかしこれを、頭を後ろに傾けることで避けたあと、そのまま後方宙返りで二転三転と距離を取ったレナ。この時、先程の驚きは確信へと変わった。
(やはりこいつのは、格闘技とは違う。違うが……『喧嘩慣れ』している!)
レナは、心の『型に嵌まらない我流の闘い方』と、豊富な経験値に目を見張り感銘を受けた。しかしその一方で、これほどのセンスがありながら生かしきれていないことに「勿体ない」と感じざるを得なかった。
一方、心はレナが咄嗟にやった、後方宙返りそれ自体に目を奪われていた。
(バ……バク転した!! こいつ……新体操でもやってるのか……!?)
負けることはないと自負しているにせよ、自分を驚かせた心に対し、レナは称賛のつもりで言う。
「おたく……やるね……!!」
だがその後に続くのは、(しかしおまえは私には勝てない。ふふっ。これから嫌というほどわからせてやる!)という強烈な自負だった。
「徹底的に叩いてやる!!」
ザッザッザッ……
心の前へと戻っていく、裸足のレナの足取りは、自信に満ち、しっかりと大地を踏みしめていた。真剣勝負は楽しく、わくわくするものだ。さらに強さにそれほど差がないとなれば、尚更だ。闘いはまだ終わらない――その高揚感は、レナの表情を自然と愉悦の笑みへと変えた。
いまの攻防で、既に心の構えに隙を見つけていたレナは、視線は心の眼から離さないものの、意識はその隙の部分をターゲットにしていた。大きく腕を振りかぶったパンチの姿勢から繰り出されるレナの次の攻撃は、フェイントからのその隙である左脇腹を狙う右脚中段キック。
しかし心は冷静にこれを左腕と左膝でガードし、ニヤリと笑って言い放つ。
「へへ、わざと死角を作ったんだよ! フェイント、掛けたつもりだったんだろ? あたしはその上を行ってたんだよ!」
その言葉に、腹が立つほどの屈辱を覚えたレナ。格闘能力において、自分より格下だと思っている目の前の人間に、自分の思惑の方が上と言われたのだから無理もない。そしてその時レナは決めた。
(こいつは、泣かす!)
子供の喧嘩では、得てして涙を流した方が負けなのだ。
そこからのレナの攻撃は、今まで以上に技のキレが鋭く、且つ、破壊力を伴う応酬だった。ジャンプからの左の横蹴りは若干かすり、心の頬に鋭い赤の直線を描いた。さらに右の後ろ回し蹴りの後、そのままの姿勢で蹴りの連打。4連打までは心が避けたが、5連打目は腹部に直撃し、心の動きを鈍らせた。
(どうやら、腹部は弱点のようだ!!)
さらに咄嗟に放った顔面パンチが思い切り心の頬にヒットし、身体ごと吹き飛ばした。レナは、得意げな笑みを浮かべる。
(してやったり!)
しかし心もただやられているだけではない。攻撃されながらも、レナの頭部に決定打を狙っていた。そして空中で瞬間的に――
(くっ!!今だ!!)
気合いとともに左足を蹴り出した。
ドガッ!!
その心の蹴りが美しくレナの左頬を捉えた瞬間、蹴りを受けたレナの顔は大きく左に傾いた。
一般的に、人が『がむしゃら』に喧嘩をした場合、その体力消耗により時間はそれほど掛からないものだ。互いに決定打を受けて体力も大きく消耗した二人は立っているのがやっとで、その時ばかりは少しの休憩が必要になった。
最初に心がダウンし、それを見てレナも倒れた。 時間にして約30秒後。元々のスタミナの差と、格闘技で培った根性が物を言った。力を振り絞り、先に立ち上がったのはレナだった。
(こいつ……まさかあの体勢で、蹴りをいれてくるとは……今のは少し効いた……けど!)
「ダメージは……お前の方が大きいようだなぁ!!」
レナはそう言うと心の襟元を掴んだ左腕を天高く突き上げた。心の表情はとても苦しげで、声が聞こえているのかいないのか定かではない。
ババッ!!
どこからかやってきた野鳥が、空から急降下して二人のそばをかすめるように飛んできたかと思うと、そのまま急上昇し、遠くへ飛び去っていった。
ドサッ!!
レナは躊躇なく手を離し、心を足元の地面に落とした。しかし心のその顔からうかがい知るに、苦しいながらも『負けん気』だけは依然として残っているようだ。
(こいつ……この気迫はどこから湧いてくるんだ……? 突発的な感情によるものなのか……? 普通に生きていると、人生の中で、たまに……こういう突き抜けた気合の入った熱量のヤバい奴と遭遇する!!)
レナはその負けん気に勝とうと心に覆いかぶさると、大きく振りかぶったパンチの構えを見せた。心はそれが顔面のどこかに放たれるであろうことを覚悟し口を食いしばる。
しかし、その構えはまたしてもフェイントだった。握りしめた拳は鋭い速度で突き出されるのではなく、ゆっくりと心の顔面へと向かっていき、心の右頬に接触した。
(な、なんだ!?)
グググググ……!!
(んぐ!!)
レナの力が拳を押す。心の顔に段々とその重圧がかけられていく。
「この拳、押し続けたらどうなると思う?」
心は、レナのやろうとしている事がすぐにわかった。レナは続ける。
「脆いほうが砕ける!!」
ぐりぐりと強くなっていく、拳の重圧。
「くっ……! こんな……やつに……!!」
その拳の重圧が強くなっていく中で、心の脳裏に『決闘のきっかけ』の瞬間が過った。水着がどこだとか、先生に制服のままプールに落とされたことなど、今はどうでもいい。心がずっと許せないのは、その時のレナの卑怯で嫌な笑顔だ。それだけは許せない。
(こんなやつに、負けてたまるか!)
「んぐぐ! こんな……やつに……!!」
その言葉で自身に気合を入れた心は、重圧のレナの右腕を掴み捻ると、物凄いスピードで咄嗟に体勢を変え一つの関節技を決めた。『腕ひしぎ十字固め』だ。
グギギギギギ!!
「へ……へへ!! 力が強くったって、そんなスローじゃ、簡単に回避できる!!」
今まで瞬撃で喧嘩に勝ってきた心にとって、スピードこそ勝利への鍵だと思っていた。そしてこの考えは今も変わらない。言葉に表れたのは、そんな考えを持っている心から発せられた自信だった。
◆◇◆◇
何故、中学2年の女子が腕ひしぎ十字固めなんて技を咄嗟に使えるのか。テレビでプロレス中継を見てかっこいい選手たちに憧れ、それで覚えているといった男子は多いだろう。心の場合は、憧れも勿論あるが、強くなるための研究材料やイメトレの結果として覚えている。そのころは相手がいないため試したことはないが、卍固めやサソリ固めも形は完璧に覚えている。そしてその時、体勢から最も理に適っていた技が腕ひしぎ十字固めだった。
◆◇◆◇
一方、重圧の拳を外され、まだこんな力があったのかと内心驚いたレナもまた、己の自信の礎となるものを持っていた。それは力だ。寝かされていた状態から、腕ひしぎ十字固めの姿勢にある心を力で持ち上げ、しゃがんだ姿勢のままパンチを放つ勢いで気合いの声とともに心を突き放す。
「だぁっ!!」
放り投げられた心がすぐにレナの方を向くと、一瞬『あらぬ方向』を向いているように見えたので即座にレナに突っかかっていく。
ダダダダダダダ……
「よそみ……してんなぁぁぁあ!!」
その頃心が最も得意としていた右のハイキックがレナの頭部に襲い掛かる。
フォォォオーーーッ!
第三者が観ていたとしたら、その瞬間までは互角の勝負に見えたかもしれない。しかし、健闘した心であったが、今回ばかりは相手が悪かった。格闘技を身につけていたレナに一日の長があった。その時には既に、勝利の女神はレナに笑いかけていたのである。
「いくら速くったって、そんなキックじゃ、あたしにゃ効かないよ!」
「くっ!!」
それは格闘技を身につけたレナの本心だった。我流のキックは通用しないと言っているのだ。
ガッ!フォォォオ!!ガッ!!
ハイキックを左腕で払い除け、さらに無心で心が放ったローキックも難なくガードした。
ドスッ……!! …………バキッ!!!!
そして心の隙であり弱点である『左わき腹』への膝蹴りを叩き込み動きを止め、最後のとどめに顔面への『正拳突き』を放った。心は――気絶した。
「はぁっ……はぁっ……」
顔面への攻撃は『道場』では注意を受ける……これはルールの無い喧嘩だ。殺しさえしなければ良いと思ったし、心がこの程度で死ぬ相手ではないことは、これまでの闘いでわかっている。だから正拳突きを放ったのだ。
(こん……ちくしょう……)
心は、意識が消えるその瞬間まで、頭の中でパンチやキックを放っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
チリリ……チリリ……
草むらで、早くも秋の虫が鳴いていた。夕方の川沿いの道に、心を担ぎながら裸足で歩くレナの姿があった。
◆◇◆◇
レナは基本的に、『裸足で生活』している。痛くないのかどうかは本人にしかわからないが、この習慣は学校中で有名な話だ。勿論、そうしていると学校では怒られるので先生の居ないところではという制限付きにはなる。その習慣は、他人から見れば異様なことだが、レナにとっては、大地を直に感じることで力を得る、強くなるための自ら課した試練であった。
スケバンのような髪型についてもよく不思議がられる。なぜ今どきこんな髪型なのか。それは、格闘技を愛するレナが、『余計なもの』を排除するために選んだことだった。中学一年生の時から既に大人っぽかった容姿のレナはモテていた時、男子生徒から告白され、付き合う気はなかったが初めてのことだったのでどう断ったら良いかわからず、少し『面倒なこと』になったことがある。それが己の鍛錬の妨げになると考えたレナは、テレビで観た昔の映画の不良たちの姿にピンときた。この恰好をしていれば、男子から言い寄られる心配もなく、己の鍛錬に集中できる。レナがより強くなることを目指している限り、この二つの姿勢は変わることはないのだろう。
◆◇◆◇
その眼は、先程までの敵意に満ちたギラギラとした眼ではなかった。
(今日の決闘は、まだ心には明かせないが、『仕組まれたこと』だ。しかし勝負は勝負。そして勝負はもう終わった。これから、この青空心は同胞となるかもしれないのだ。尤も……それはこれからの心の返答次第だが……)
担いでいる心の横顔を横目で見るレナの瞳は決闘の時とは違い、優しい微笑になっていた。そして少しすると、心が意識を取り戻した。
(はっ!!)
レナがそれに気づいて下ろした途端、尚も身構えようとする心に対し、レナは諭す。
「もう闘いは終わった! あと……悪かった!!!! 水着のことなんだけど……」
そして、水着を隠したのは自分だと、故意に心を怒らせたことを謝罪しお辞儀をした。そしてそこには、まだ明かすことのできない理由があることを告白した。さらにレナは言う。
「もし、さらに強くなりたいなら、私についてきなよ!」
レナは心を置いて一人歩きだし、心を試した。互いにもっと強くならないとこの先、お話にならないからだ。去っていくレナを見つめながら、自問自答する心。これまで負けたことがなかった喧嘩で、初めて負けたのだ。
(これって、たぶんこれからあいつが通ってるであろう、道場とかに誘われるってことだよな……? 悔しいけど、負けたことは事実だ……。負けたことがないあたしの我流の闘い方が……あいつの『格闘技』に敗北した。今までの我流でやってきた鍛錬が間違ってたのと同じだ……。よくある、不良が本物の格闘家に負けたのと同じ構図だ。……あたし自身は自分のことを不良だなんて思っちゃいないが、結局のところ、これまでのあたしはただの『喧嘩自慢』に過ぎなかったってことか。喧嘩の延長線上の根性だけじゃ、どうにもならない壁がある……。でも強くなるための鍛錬に、無駄な時間は一切使いたくない。あいつの言う通りについていって、本当に今以上に強くなれるという確証はあるのか……?)
これまで積み上げてきた自信の源である我流が破られた直後だからこそ、心は真剣に、そして慎重に思考を巡らせていた。
だが、その自問自答の間にも、レナの裸足の背中は一度も振り返ることなく、夕闇の迫る川沿いの道を遠ざかっていく。
次第に小さくなっていくその姿を見つめるうち、心の中にほんの少しの焦りが生じ始めた。
(でも待てよ? 確実に自分より強い奴から技を盗むチャンスを逃すことの方が、よっぽど時間の無駄なんじゃないか……?)
その結論に至った心は、決意を固めた。痛みで重い足を引きずりながら、慌てて駆け出す。
レナのもとへ追いつき、二人は並んで歩き出す。この心の選択が、やがて想像を絶する大冒険の幕開けとなることを、誘ったレナも、そして選択した心も、その時の二人は知る由もなかった。
――続く




