第66話 潮流を強化する
風の強化を成し遂げた蓮のもとに、シズカが、緊迫した報せを持ってやってきた。
「西方の海域で、これまでにない規模の潮流の異変が観測されています」
シズカが広げた海図には、これまでの航路とは、まったく異なる潮の流れが記されていた。
「もう一人の管理者が、次の段階に進んだようですね」
蓮は、静かに、しかし確かな緊張を込めて頷いた。
「風の次は、潮流、ですか」
「はい。このままでは、世界中の航路が、根本から書き換えられてしまう恐れがあります」
イザベラが、険しい表情で腕を組んだ。
「これまで、五大海洋勢力が積み上げてきた、あらゆる交易路、そして防衛体制――そのすべてが、無に帰しかねない」
蓮は、静かに、決意を固めた。
「俺も、潮流を、理解し、強化しなければなりません」
「風のときよりも、さらに困難な作業になるだろう」
ヴェルミナが、慎重に指摘した。
「潮流は、風以上に、複雑な要因――海底の地形、水温、塩分濃度、月の引力――それらすべてが絡み合って生まれる現象だ」
「わかっています」
蓮は、静かに頷いた。
「でも、やるしかありません」
***
それから、蓮は、これまで以上に長い時間をかけて、潮流という、途方もなく複雑な自然現象への理解を、深めていくこととなった。
ドルシスの豊富な航海知識、ゴンザの海洋についての鋭い観察眼、そして、紅蓮率いる島嶼連合が代々受け継いできた、潮の民ならではの伝承――あらゆる知見が、蓮のもとに集められていった。
「海の底に眠る、大陸の形。月の満ち欠けと、潮の満ち引きの関係。そして、それらすべてが織りなす、複雑な流れの法則――」
蓮は、まるで海そのものと対話するかのように、深く、深く、理解を積み重ねていった。
「大丈夫か、蓮」
作業を見守るイザベラの声に、蓮は、疲労の滲む顔で、それでも力強く頷いた。
「大丈夫です。理解が進むたびに、この世界の海の在り方が、より鮮明に見えてくる感覚があります」
数ヶ月にわたる、これまでで最も過酷な理解の積み重ねの末、蓮は、ついに、潮流という広大な現象への、確かな理解に到達した。
「やります」
蓮は、静かに、世界の海原に向かって、両手を広げた。
――この世界を巡る潮の流れを、完全に理解させてくれ。そして、その均衡を、正しく保つ力を、俺に与えてくれ。
その願いに応えるように、世界中の海に、静かな、しかし確かな変化が訪れていった。乱されかけていた潮流が、少しずつ、本来あるべき、穏やかな流れを取り戻していく。
「戻って、いってます……!」
シズカが、興奮した様子で報告した。
「潮流の異変、収まりつつあります!」
だが、蓮は、その成功を喜ぶ余裕もなく、静かに、遠くの海を見つめていた。
「まだ、終わっていません」
蓮の言葉に、イザベラは、静かに頷いた。
「ああ。もう一人の管理者は、まだ、諦めてはいないだろう」
その予感は、的中することとなる。潮流の異変を鎮めた蓮たちのもとに、間もなく、これまでで最も深刻な報せが届くことになる。
もう一人の管理者が、その狙いを、世界の海図そのものへと、大きく広げ始めていた。




