第58話 機巧鳥の犠牲
構造物の中心部に近づくにつれ、白鯨号は、これまで経験したことのない、異様な圧力の変化に晒され始めた。
「船体、限界に近づいています!」
ヴェルミナの切迫した声が響く。潜水艤装は、確かに機能していたが、この場所特有の、規格外の圧力波動には、想定を超える負荷がかかっているようだった。
「蓮、追加の強化は……!」
イザベラの問いに、蓮は、額に汗を滲ませながら答えた。
「やってます……! でも、この場所の圧力、これまでとは、性質が違う気がします……!」
蓮は、必死に船体への理解を深めようとした。だが、この場所特有の、未知の力の性質を、瞬時に理解しきることは、さすがに困難だった。
「――衝撃波、来ます!」
ゼロ号の警告と同時に、構造物の内部から、強烈な圧力の波が、白鯨号へと押し寄せてきた。
「くっ……!」
船体が、これまでにないほど激しく軋む。蓮は、必死に船体への理解を注ぎ込み続けたが、この衝撃波の全てを防ぎきることは、できそうになかった。
『蓮殿』
その時、ゼロ号が、静かに、しかし確かな決意を込めて呼びかけてきた。
『私が、この衝撃を受け止めます』
「え……!?」
蓮が驚いて振り返ると、ゼロ号は、すでに、白鯨号の外殻――衝撃を最も強く受ける箇所へと、飛び出していくところだった。
「ゼロ号、待て……!」
蓮の制止も虚しく、ゼロ号は、自らの機体を、船体を守る盾として、衝撃波の中心に位置取った。
『私は、この文明が生み出した存在です。この場所の力の性質を、船体よりも、幾分か、理解しています』
ゼロ号の声には、これまでにない、静かな覚悟が滲んでいた。
『蓮殿、これまで、ありがとうございました』
「そんな、ゼロ号! 待ってくれ!」
蓮が叫ぶ間もなく、衝撃波が、ゼロ号の機体を、真正面から包み込んだ。
まばゆい光と共に、ゼロ号の機体が、衝撃を一身に受け止めていく。その光景は、まるで、小さな機巧の鳥が、自らのすべてを費やして、船体全体を守ろうとしているかのようだった。
「ゼロ号……!」
蓮の目に、涙が滲んだ。
衝撃が収まったとき、白鯨号の船体は、辛うじて、その形を保っていた。だが、ゼロ号の機体は、大きく損傷し、力なく、船内へと落ちてきた。
「ゼロ号!」
蓮は、すぐさま、損傷したゼロ号のもとへと駆け寄った。
『……蓮殿。ご無事、で』
ゼロ号の声は、これまでよりも、遥かに弱々しいものだった。
「喋るな! 今すぐ、直すから……!」
蓮は、震える手で、ゼロ号の機体に触れた。だが、これまでのどんな強化とも違い、蓮の力をもってしても、この深刻な損傷を、瞬時に修復することは、叶わなかった。
『蓮殿、大丈夫、です』
ゼロ号の声には、不思議なほどの、穏やかさが宿っていた。
『私は、本来、この場所で役目を終えるはずだった、探査機でした。今、こうして、あなた方と共に、この場所まで辿り着けたこと――それだけで、十分です』
「そんなことを、言うな……!」
蓮の頬を、涙が伝った。
『どうか、この先を、見届けてください。この世界の――そして、あなた自身の力の真実を』
その言葉を最後に、ゼロ号の瞳の輝きは、静かに、しかし確かに、消えていった。
船内に、重い沈黙が広がった。イザベラも、ヴェルミナも、ガイウスも、ドルシスも、獅堂グレンも、皆、言葉を失っていた。
蓮は、力なく横たわるゼロ号を、しばらくの間、抱きしめ続けた。
「……行こう」
やがて、蓮は、静かに、しかし確かな決意を込めて、顔を上げた。
「ゼロ号の想いを、無駄にしないためにも」
その言葉に、イザベラは、静かに頷いた。
白鯨号は、ゼロ号の犠牲を胸に刻みながら、構造物の最深部――静寂の中心へと、その航路を進めていった。




