第56話 潜水艤装
大渦潮への挑戦を決意してから、艦隊は一旦、近隣の島に停泊し、本格的な準備に取り掛かった。
「水圧に耐える船体、というだけでは、まだ足りません」
ドルシスが、これまでの資料を整理しながら、蓮に説明した。
「渦潮の内部は、恐らく、これまでの海とは比較にならない水深にまで及ぶでしょう。単に頑丈なだけでなく、渦の中を『潜って』進むための、特殊な艤装が必要になります」
「潜水艤装、ですか」
蓮は、これまで経験したことのない課題に、身を引き締めた。
『失われた文明の記録に、水中航行のための機構についての断片があります』
ゼロ号が、静かに情報を提供した。
『船体を完全に密閉し、内部の空気を保持する機構。そして、水圧そのものを、推進力に変換する特殊な構造――これらの技術が、必要になるかと思われます』
「水圧を、推進力に……」
蓮は、その概念に、深く考え込んだ。これまでの強化は、対象そのものを頑丈にし、性能を高めることが中心だった。だが今回は、それだけでなく、まったく新しい「仕組み」そのものを、道具に付与する必要があるということだ。
「まずは、模型を作ってみましょう」
ゴンザの提案で、小型の模型船を使った試作が始まった。
「んだこの構造……。相当複雑だな」
ゴンザも、これまでにない難易度に、苦戦の色を見せていた。
数週間にわたる試行錯誤の末、蓮たちは、ようやく、潜水艤装の基本構造についての理解を、ひとつの形にまとめ上げた。
「これを、旗艦に実装します」
蓮は、白鯨号の船体――これまで幾度となく強化を重ねてきた、いわば「相棒」とも呼べる存在に、改めて向き合った。
「今度こそ、これまでのどの強化よりも、深い理解が必要になる」
蓮は、船体の隅々まで、これまで培ってきたすべての知識と経験を総動員して、観察を続けた。木材の質、金属の接合、密閉のための工夫――ひとつひとつを、丁寧に、丹念に読み解いていく。
「イザベラさん」
作業の合間、蓮は、ふと、イザベラに声をかけた。
「もし、この強化が、うまくいかなかったら……」
「うまくいく」
イザベラは、迷いのない声で答えた。
「お前がこれまで積み重ねてきた理解と、努力を、私は誰よりも近くで見てきた。今回だって、きっと同じだ」
その言葉に、蓮は、静かに勇気づけられた。
「ありがとう、ございます」
***
数ヶ月にわたる準備期間を経て、蓮は、ついに潜水艤装についての、確かな理解に到達した。
「やります」
蓮は、白鯨号の船体全体に、両手を添えた。
――水圧を恐れず、それを味方につけろ。渦潮の内部、深き海の底までも、安全に進める船体になれ。
これまでで最も長い時間をかけた強化の末、白鯨号は、まばゆい光に包まれた。光が収まったとき、そこにあったのは、以前とは明らかに異なる、より重厚で、精緻な意匠を纏った船体だった。
「試してみましょう」
蓮の言葉に、艦隊は、浅瀬での試験潜航を行うこととなった。
白鯨号は、静かに海面下へと沈んでいった。船内には、これまでと変わらぬ空気が保たれ、水圧による軋みも、ほとんど感じられない。
「成功、みたいです」
蓮の言葉に、甲板――いや、今や船内となった場所にいた乗組員たちから、安堵の声が上がった。
「これなら、大渦潮にも、挑めるかもしれない」
イザベラが、静かに、しかし確かな期待を込めて呟いた。
準備は、整いつつあった。世界の果てへの、本当の挑戦が、いよいよ、目前に迫っていた。




