第45話 世界周航への船出
海洋均衡協定の締結から数ヶ月が経った、ある日のことだった。
「船長、少しよろしいでしょうか」
会議所に、シズカが珍しく、緊張した面持ちでやってきた。
「教団の古い記録の中に、興味深い記述を見つけました」
シズカは、古びた巻物を机の上に広げた。
「これは、この海のさらに西方――誰も辿り着いたことのない、未知の大陸についての記述です」
「未知の大陸……」
イザベラが、身を乗り出した。
「教団に伝わる伝承によれば、遥か西方の海の彼方には、我々の知る文明とは、まったく異なる技術を持った文明が存在するとされています」
「本当に、そんなものが……」
蓮も、興味深そうに巻物を覗き込んだ。そこには、見たこともない意匠の船や、複雑な機構を思わせる図案が、朽ちかけた紙面に描かれていた。
「これまで、この海を渡ろうとした者は、幾人もいたと聞きます」
シズカが続けた。
「ですが、その多くが、二度と戻ってくることはありませんでした。あまりにも過酷な航海であるため、いつしか、この海域は『帰らずの大洋』と呼ばれるようになったのです」
ヴェルミナが、地図を広げながら分析を加えた。
「五大海洋勢力の均衡が保たれた今、我々には、これまでにない航海の自由がある。もし、この未知の大陸への道を切り開くことができれば――」
「この海の歴史に、新たな一頁を刻むことになるだろうな」
イザベラが、静かに、しかし確かな決意を込めて言った。
「危険な航海になることは、間違いありません」
シズカが、慎重に付け加えた。
「それでも、行く価値はあると、俺は思います」
蓮が、静かに口を開いた。
「もし本当に、俺たちの知らない技術や文化があるのなら、それを知ることで、この海全体が、もっと豊かになるかもしれません」
イザベラは、蓮の言葉に頷いた。
「よし。五大海洋勢力の代表として、白鯨号を中心とした世界周航艦隊を編成しよう」
***
それから数週間、世界周航に向けた準備が、急ピッチで進められていった。
「未知の大陸へ向かう以上、これまで以上の耐久力と航続力が必要になる」
ドルシスが、蓮と共に、艦隊の再強化に取り掛かった。
「食料の備蓄、水の確保――長期の航海に耐えられる装備を、しっかりと整えねばなりませんな」
ゴンザとボンゾウも、それぞれの専門知識を活かし、周到な準備を進めていった。
「んだら、腐りにくい木材、しっかり選りすぐっとくっす」
「食料の備蓄も、わいに任せとき。長旅に耐えられる保存食、なんぼでも用意したるで」
紅蓮もまた、島嶼連合の航海術者たちを派遣し、未知の海域についての伝承や知識を、惜しみなく提供してくれた。
準備が整った出港の朝、王国海軍、大商会艦隊、私掠船同盟、島嶼連合、そして海洋教団――五大海洋勢力すべてから、見送りの使者が港に集まった。
「白鯨号よ、七つの海の均衡を守る者たちの想いを乗せて、征け」
王国海軍の提督が、力強く声をかけた。
「必ず、無事に戻ってきてくださいね」
シズカが、穏やかな笑みを浮かべながら見送った。
「あなたたちなら、きっとやり遂げるはずよ」
紅蓮も、確かな信頼を込めて言葉を送った。
イザベラは、集まった人々を見渡し、静かに宣言した。
「これより、世界周航艦隊は、未知の大陸を目指し、出港する!」
甲板に立つ蓮は、これまでとは比較にならないほどの、大きな期待と、そして未知への緊張を、胸いっぱいに感じていた。
こうして、白鯨号を中心とした世界周航艦隊は、誰も帰ってこなかったという「帰らずの大洋」へと、静かに、しかし確かな決意を持って、その船出を果たすこととなった。




