第37話 紅蓮、登場
島嶼連合の領海に入ると、白鯨号は、これまでとは異なる緊張感に包まれた。
「船長、周囲に複数の小型船。包囲されつつあります」
見張りの報告に、イザベラは冷静に応じた。
「慌てるな。友好の使者として来たことを、しっかりと示せ」
白い旗を掲げた白鯨号は、慎重に島嶼連合の中心地――巨大な珊瑚礁に囲まれた本拠地へと進んでいった。
「止まれ」
凛とした、それでいてどこか艶やかな女性の声が響いた。船上に姿を現したのは、鮮やかな紅色の衣を纏った、美しい女性だった。長い黒髪を潮風になびかせ、腰には島嶼独特の意匠を凝らした剣を提げている。
「私は、島嶼連合を束ねる者、紅蓮」
紅蓮は、まるで花魁を思わせるような、艶やかで独特の口調で名乗った。
「白鯨号の方々が、何用あってこの海域に踏み入ったのか、聞かせてもらいましょうかしら」
イザベラが一歩前に出た。
「私は白鯨号船長、イザベラ・デ・ヴァルモンド。此度は、友好と協力を求め、参上いたしました」
「友好、ですって」
紅蓮の目に、冷ややかな色が浮かんだ。
「王国の名を冠する者たちの『友好』というものが、これまでどれほど多くの島々を踏みにじってきたか、あなた方はご存知なのかしら」
その言葉には、深い怒りと、それ以上の悲しみが滲んでいた。
「紅蓮殿」
蓮は思わず口を開いた。
「その痛み、俺なりに、少しだけわかる気がします」
「あなたは……?」
紅蓮の視線が、蓮に向けられた。
「天草蓮といいます。俺は、これまで、ザガレスという大陸総督に狙われた、弱小の入植地をいくつも見てきました。力のない者が、大きな力に踏みにじられる痛みは、俺も、痛いほど知っているつもりです」
紅蓮はしばし、蓮を値踏みするように見つめた。
「随分と、若い割に、口の減らない水夫ね」
「す、すみません……」
「けれど」
紅蓮の表情が、わずかに緩んだ。
「その言葉に、嘘は感じられないわ。少なくとも、これまで会ってきた王国の使者たちよりは、ね」
紅蓮は、腰の剣に手を添えたまま、続けた。
「私の故郷は、かつて、王国の名を借りた侵略者たちによって、跡形もなく滅ぼされたわ。生き残ったのは、ほんの一握りの者たちだけ」
「……」
「それ以来、私は、この島嶼連合を束ね、二度とあのような蹂躙を許さないと誓ったの」
紅蓮の声には、深い決意と、それでも消えない古傷のようなものが、確かに滲んでいた。
「今回の話、簡単には信用できないわ」
紅蓮は、鋭い視線をイザベラに向けた。
「だけど――」
そう言いながら、紅蓮の視線は、再び蓮の方へと戻ってきた。
「あなたの言葉には、興味を持ったわ、天草蓮。少しだけ、話を聞かせてもらいましょう」
こうして、島嶼連合との初めての接触は、完全な決裂には至らず、しかし完全な和解にも至らない、ぎりぎりの均衡のうちに、ひとまずの一区切りを迎えることとなった。
蓮は、紅蓮の瞳の奥に垣間見えた深い悲しみを、忘れることができずにいた。この均衡を、本当の意味での協力関係へと変えるためには、まだ多くの道のりが必要だと、蓮は感じていた。




