第36話 五大海洋勢力
ザガレス失脚から半年が経ち、白鯨号の名は、七つの海のあらゆる場所で知られるようになっていた。
「船長、ヴェルミナさんが、新しい話を持ってきています」
蓮の呼びかけに、イザベラは会議所へと足を運んだ。ヴェルミナは、これまでにない規模の海図を広げていた。
「これは……。この海域全体の勢力図か」
イザベラが目を見張る。海図には、色分けされた五つの大きな勢力圏が描かれていた。
「この海には、大きく分けて五つの海洋勢力が存在する」
ヴェルミナが、順を追って説明を始めた。
「まず、アウレリア王国海軍。最大規模の正規戦力を有し、この海域の名目上の支配者だ」
「次に、大商会艦隊。交易の利益を背景に、独自の武装艦隊を保持している。私がかつて所属していた組織だ」
「私掠船同盟。私たちのような、王国から免状を受けた私掠船が緩やかに連携する組織だ」
「島嶼連合。数多くの島々の民が束ねる勢力で、独自の文化と戦術を持つ」
「そして、海洋教団。武力こそ持たないが、広範な人脈と信仰的な権威を背景に、大きな発言力を有している」
イザベラは、五つの勢力圏が入り組む海図を、じっと見つめた。
「これらの勢力が、これまでは互いに小競り合いを繰り返してきた、というわけか」
「その通りです」
ヴェルミナは頷いた。
「そして、ザガレスのような野心家が現れるたびに、この均衡が崩れ、多くの弱小勢力が犠牲になってきました」
蓮は、その説明を聞きながら、ある考えが浮かんだ。
「もし、この五つの勢力が、協力し合えたら……」
「その通りだ」
イザベラが、蓮の言葉を引き取った。
「五大勢力が個々に反目し合っている限り、第二、第三のザガレスが現れる隙が、常に生まれ続ける。だが、もしこれらが手を取り合えば――」
「この海全体の均衡が、大きく安定するはずです」
ヴェルミナが締めくくった。
イザベラは、しばし考え込んだ後、決然とした表情で顔を上げた。
「やってみる価値はある。だが、これまでの因縁を思えば、容易な道ではないだろう」
「まず、どこから手をつけましょうか」
蓮が尋ねると、ヴェルミナが海図の一点を指し示した。
「私の伝手がある、大商会艦隊への打診から始めるのが、現実的だろう。だが、その前に――」
ヴェルミナの表情が、わずかに険しくなった。
「島嶼連合との関係を、まず整理しておく必要がある」
「島嶼連合、ですか」
「この海域南方の島々を束ねる勢力だ。連合を率いる女長――紅蓮という人物は、かねてより私掠船同盟や王国海軍と、複雑な因縁を抱えている」
「因縁、というのは」
蓮の問いに、ヴェルミナは静かに答えた。
「詳しいことは、私も伝聞でしか知らない。だが、彼女の故郷の島が、かつて大国の侵略によって滅ぼされたという噂がある」
その言葉に、蓮の胸に、ふとカラベラでの経験が重なった。弱者が大国の野心に踏みにじられる痛みは、蓮自身も、身をもって知っていた。
「会ってみたいです、その紅蓮という人に」
蓮がそう言うと、イザベラは少し驚いたように蓮を見つめ、それから静かに頷いた。
「よかろう。まずは、島嶼連合への使者として、白鯨号が向かうことにしよう」
こうして、五大海洋勢力の統合という、これまでとは比較にならないほど壮大な計画が、静かに動き出すこととなった。
その第一歩として、蓮たちは、複雑な過去を抱える女長――紅蓮のもとへと、船を進めることになる。




