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アノンの涙  作者: maruko


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8

 アノンには子育てをする余裕がなかった。

 子供を産んだその日だけは休めたが、それ以降もベッドの上でも書類仕事を熟した。

 外向きの仕事はライトとアントンが担い、内向きはロードとアノンが担う。

 だが、アルトが産まれる少し前から、ロードが目覚ましく衰えて来て、体を壊し始めていた。

 それでも彼は無理をしてアノンのサポートをしようと頑張ってくれたが、体力にも限界があった。


 そしてアノンは産後2ヶ月後には執務室で働き始めていた。殆どの時間乳母と過ごすアルト。それでもアノンはアルトを愛していたし、少しでも側にいたかったから、少しでも時間を詰めて、自分の休息よりもアルトに会うことを優先したりもしていた。


 アルトが5歳になった誕生日。


 家族でお祝いをしようと集まった時、アノンにプレゼントを渡されたアルトがお礼を言った。


「ははうえありがとうごじゃいましゅ」


 少し舌足らずでもアノンの事を母上と言ってくれたアルトに、アノンは嬉しくて抱きしめた。


「アルトおめでとう」


 だが、その後アノンから離れたアルトが向かったのは、マチルダのところだった。


()()()()()()ぼくちゃんとごあいしゃつできちゃ?」


「まぁ偉かったわねアルト、ちゃんとできていたわ」


 アノンは二人の会話を聞き、木槌で頭を殴られたような衝撃を受ける。


「何故アルトが君の事を母と呼ぶんだ!」


 その会話に激高したのはライトだった。

 外向きの仕事が主なライトも、あまりアルトには会えずにいた。

 だからこの場でマチルダの事を、アルトがお母様と呼んでいることを、初めて聞かされたのはライトも同じだった。


「まぁそんなに怒らないで、忙しいあなた達の代わりにマチルダが母親代わりをやって()()()()()()感謝こそすれ、その態度はないと思うわ」


「お母様!そんな事私達は頼んでおりません!」


 ミネリタの言葉にアノンも反論したが、そこで大人たちの大声にアルトが怯えてしまった。


「ぼく、ごめなしゃい」


「アルトが悪いんじゃないのよ」


 アノンが、怯えるライトの元に行き、彼を抱きしめて慰めたが、アルトはアノンに抱かれても身動いで嫌がった。


「いや!」


 アルトの態度に呆然とするアノン。

 そのアルトはマチルダの方へと向かおうとしたものの、そのアルトをライトが抱き上げる。


「アルト、お前のお母様はアノンだけだ」


 ライトはそう言って乳母へとアルトを手渡した。


「少し外してもらえるか」


「畏まりました。申しわけありません、奥様からアノン様の承諾を得ていると聞いておりました」


「いや、私達が悪い。乳母のせいではないよ」


 乳母とアルトが部屋を出たあと、ライトがミネリタとマチルダに告げる。


「いい加減にしてもらえませんか、あまりにも勝手なことをされるなら、私はアノンとアルトを連れて家を出ます」


「な、何なの!この恩知らずが!私が了承しなかったら貴方今頃野垂れ死んでたのよ!」


「そうかもしれませんが、その分の働きはしていると思います。私達は、貴方とマチルダの為の費用を必死で稼いでいるではないですか」


「な、なんと言い草なの。平民のくせに!」


 マチルダもライトに噛み付くが、ライトはそんなマチルダを見て鼻で嘲笑った。


「何を言ってるんだ、君も同じ平民だろう」


 マチルダは自分が成人して、この家に来た時に雇用契約を結んだことで、シトロン伯爵家の籍を抜けた事を知らなかった。

 あのまま卒業後、伯爵家に帰っていたら、彼女はまだ貴族でいられたのに、そんな事は思いも浮かばなかったのだろう。アノンに説明されて、やっと自分が平民になったことを理解したようだった。


「そんな⋯」


「それよりも、どうしてアルトにお母様と呼ぼせているの?」


「あらっ、だっていつも一緒にいるのはマチルダなんだから、当たり前じゃない」


 平民になっていた事実で、ショックを受けて固まっているマチルダの代わりに答えたのは、ミネリタだった。

 ライトと暫く押し問答していたが、結局その場はお開きになった。


 その夜、ライトからアノンは暫く仕事を休むように言われる。


「アノン、ごめんな。俺がしっかりしていれば、君に執務までさせずに済んでいたのに」


「ライトのせいじゃないわ。もう私、お母様が分からない!何がしたいのかしら?」


「この家を出よう」


「でも⋯私達が居なかったら⋯」


「だから仕事は俺がする。アントンが協力してくれて、人を雇うことも考えてるから。だからこの家の離れを修繕してそちらに親子三人で移ろう」


 ライトの提案で、随分昔から誰も住むことなく、倉庫のようになっていた、庭に建てられていた離れを急いで修繕して、親子三人で住むことになった。

 暫く不貞腐れたような態度だったアルトだったが、アノンが仕事を休んで常に一緒にいたことで、段々と落ち着きを取り戻したようで、アノンをお母様と呼ぶようになった。


 だが、それから一年もしないうちに、問題が発生し始める。

 アノン達が母屋から離れたことをよく思わないミネリタによって、アノンの代わりに雇われた執務を担う使用人達を、次々と解雇された。

 理由はただ、ミネリタがその者たちを気に食わないと言うそんな事だった。

 それで結局はアノンが執務に戻らなくてはならなくなった。


 だがその頃にはアルトもマチルダを母とは呼ばなくなっていたし、二度とそんな事にはならないとミネリタが誓ったこともあったし、タイミングが悪く、その頃に事業が低迷し始めて来たこともあり、ライトとアントンが殆ど帰れなくなっていた事も重なった。

 アノンが執務に戻るしか方法がなくなっていた。


 それからあまり変化もなく、アノンは只ひたすら忙しい日々に心も体も疲弊していた。

 そうして10年が経過したある日、ライトとアルト、マチルダの三人が忽然と姿を消した。






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