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「記憶喪失?」
「はい、どうやらご自身のことが分からないようです。なぜあの場所にいたのかも」
男の子は2日間熱に魘されたが、3日目に漸く目を覚ました。それを見届けてアノンは執務室に戻ったが、ユナと交代で看病し続けていたアノンは、ロードから休むように言われて、その後自分の部屋でぐっすりと眠っていた。
そして起きた時に、ユナから男の子の状態を聞かされたのだ。
男の子の寝かされている部屋に行くと、そこにはミネリタとマチルダがいた。
ミネリタは理想の子供の色を持つ、その男の子に興味津々で、ここにいればいいと言い出してロードやアントンを困らせていた。マチルダは男の子がここに残ることに嫌そうだった。
そんな皆を見つめていたら、ミネリタがアノンに気が付いた。
「まぁアノン、貴方が連れてきた男の子、記憶がないんですって!可哀想よねぇ」
ミネリタの声と瞳はアノンに期待するように輝いて見えた。
「そうですね、気の毒ですね」
アノンの言葉にミネリタは満足そうに頷く。
そんな二人のやり取りに焦ったようにマチルダが、割って入った。
「でもおば様!こんな得体のしれない方は危険ですわ!」
マチルダの言っていることは正論だった。だが、彼女に言われるのは釈然としない。見守る使用人達が、そう思っていた時、アノンが口を開く。
「とりあえず、怪我を治してもらわないと、追い出すこともできませんよね。このままここで治療してもらいましょう。ロードは行方不明の届けがないか、役所に聞いてきてもらえるかしら」
アノンの言葉に一同納得して動き始めた。
そんな皆のやり取りを聞いていた男の子はアノンにお礼を言った。
「ありがとうございます」
「いえ、体早く回復するといいですね。身元が分かったらいいのですけど。それまで何と呼びましょうか?」
アノンの問いかけに男の子は首を左右に振って答えた。
「僕には何もわかりません。名を付けてもらえませんか?」
「私が?うーんそうですねぇ」
アノンが悩んでいると、横でミネリタが色々な名前の候補を挙げていた。それに便乗してマチルダも自分の考える名を言っている。二人の事をすっかり皆が聞こえないふりをしている時、男の子の伏せていた顔が上を向いた。真っ直ぐにアノンを見つめるその瞳は、青い色だが、普通の青と違って薄く、透き通るようにもアノンには見えた。
青よりも薄い青。
「ライト、あなたの名前ライトはどうかしら?」
アノンの言葉に男の子は嬉しそうに頷いた。
その日からジェルバン子爵家に、もう一人金髪の子供が加わることになった。
領地運営の勉強に忙しいアノンは、それからも変わらぬ日々が続いた。ライトの事は気にはなったが、見舞いに行く暇はなかった。偶に覗いても彼は薬で眠ってるときが多かった。
ミネリタはもう一つアクセサリーが増えたように、彼に構っているようだとアノンは聞いていた。
そんな時、久しぶりにルートがジェルバン子爵家にやってきた。どうやら謎の人物の登場を心配して来たのだった。あれからロードが手を尽くして調べても、ライトの素性は分からなかったのだ。あとは国境沿いという事もあり、可能性は隣国になるが、その問い合わせは国レベルで行わなければならず、一介の子爵家にそんな力はなかった。
「ふうん、本当に忘れちゃったみたいだな」
執務室で書類に向き合う子供らしくないアノンに、ルートがそう言って、気を引こうとするけれど、アノンは税率の計算問題を実地でしているところだったので、相手が出来ないでいた。
それに不満のルートは、アノンに仕事をさせようとしているロードやアントンに文句を言う。伯爵令息のルートに言い返す事が出来ないロード達は、その苦言を甘んじて受けていた。
「ルート!ロード達を責めないで。私は納得してるから」
「アノンが納得していても、これはおかしい事なんだよ!」
「そうかもしれないけれど、私がしようって思ったのは、お父様の領民を思う気持ちを大切にしたいからよ。お母様に任せたら皆が露頭に迷うわ」
「辺境伯家から手伝いは来ないのか?」
「⋯⋯そうね。でもあちらも普通じゃないのでしょう」
アノンの言葉に項垂れているのはアントンだった。アノンに執務をさせるとミネリタが言い出した時、真っ先に辺境伯に進言をしに行ってくれたのがアントンだった。
元々アントンはジュノンが辺境伯家にいた時からの従者だ、ジュノンの兄である辺境伯とも顔見知りではあった。だが辺境伯はジュノンの優秀さを妬んでいた為、その娘のアノンがどうなろうと知った事ではないと言ったのだ。
「私が不甲斐ないばかりに申しわけありません」
謝罪の言葉を述べるアントンを労りながら、アノンはルートを宥めた。
「ルート、心配してくれるのは嬉しいけれど、仕えてくれる皆を責めるのは止めて。私が頑張って済むならそれでいいのよ。でもありがとうルート。私を心配してくれて嬉しかった」
使用人以外でアノンを気にかけてくれるのは、もはやルートしかアノンには居なかった。
「困ったら絶対に頼ってくれよな」
「うん、そうするね」
「じゃあ、帰る。あまり長く居るとあの女が突撃してくるから。それと、身元の分からない奴なんだから、充分気をつけるように!」
ルートの言うあの女とはマチルダの事だった。見目の良い伯爵令息のルートを、初めて会ったときからマチルダは気に入り、まだ数回しか会っていないときに、勝手に幼馴染とお茶会で吹聴して周り、ハウケン伯爵家の不評を買っていた。
アノンにライトの事で注意を促して、ルートはジェルバン子爵家をあとにした。
ルートの危惧はその後、現実のものとなる。




